第5話

 さくりさくりと微かな足音がする。

 鳶職の見習い衆の男が家路を急ぐ。

 それを遠くに聞きながら、総司はそぞろ歩きの振りで尾行いてゆく。

 その足捌あしさばき、背格好、彼の生業が総司にほのめかしている。

 彼があの船頭ではないのか。残念ながらあの高瀬舟では背を向けており、三日月の薄暗がりでは顔姿の印象は刻まれておらぬ。

 だが総司には特質がある。

 彼の剣を支えているのは、その心眼にある。

 特に敵の動きを察知する勘所かんどころが抜きんでている。それで先手が打てるのである。彼自身はその眼を常に信じていた。


 見習い衆は屋台で何かを求めた。

 それを紐で下げて木賃宿へ向う。

 出稼ぎで来ているのかも知れぬ。

 先の天皇行幸での、賀茂上下神社への造替ぞうたい工事において、彼も京入りを果たしたのかもしれぬ。 

 船頭の京言葉は地の者の口調に聞こえたが、さりとて彼も上方言葉を聞き分けられるほどの長逗留はしていない。

 なぜおれはここに居るのかを、彼はつらつらと眺め始めた。

 そも武士として大身することが望みである。

 それは武蔵野の豪農子倅でありながら土武士として身を鍛えてきた、土方兄さぁなどは希求の大望であろう。少なくとも総司は、陸奥国白河藩の足軽徒士という端くれの侍である。然しながら更なる俸禄は欲しい。

 それ故に清河八郎の先導で、徳川将軍の警固という目的で浪士隊を組み、京くんだりまで上ってきた。然るに漸く旅装を解いてみれば、行幸に供奉する将軍家茂公の警固が目的ではないと清河はいう。

 京で尊王攘夷をすべしという。

 尊王攘夷の口上を隠れ蓑に、不埒な狼藉を働く奸賊の成敗に上ったのが、賊そのものになるべしと、かの山師は言うのである。

 いや山師がいうには、我らは民からは奪わず襲わず犯さず。尊王を口にしては狼藉を働く浪士を斬るのは勿論だという。天下静謐のために幕府に対し、尊王を貫き攘夷を迫るのだという。それが本願であると。

 師である近藤勇は憤慨した。

 それは義が通らぬと。

 ぬしには誠はないのかと。

 雷門の雷神の如き容貌で、腰にびた虎徹の小口を親指でこじりながら、清河に迫った。それを青筋を立て反駁をしながら、清河が後退する。仲裁に入ったのが土方歳三である。


 おれは判らぬ。

 その一件以来、彼らは屯所で留め置かれた。

 金回りのいい芹沢鴨が、若衆を色街に誘うだけの無為な日々である。近藤一派のみが、日中の鍛錬の時間を怠らない。

 清河の姿はあれ以来見てはおらぬ。

 其処の所の塩梅は、土方兄さぁが付けてくれるだろうよ。

 兄さぁは若いみぎりで、木綿問屋で奉公したり、家伝の軟膏の行商もしたりと、おれの想像もつかぬ苦渋を嘗めてきている。その目利きが云うことに従えばいいのよ、と考えて暇を持て余していた。

 それで彼は伏見に鬼が出るという風聞に、乗ったのである。

 これも余る程の無聊が、彼を衝き動かしたのであろう。

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