第16話

 突如、赤い影が空から降りてきた。

 着地の瞬間、俺は宙に浮いたのではないかと錯覚するほどに体が揺れ、その振動に耐えられず地面に倒れてしまう。


 見上げるとそこには、視界を覆うほどの巨大な生物がいた。

 山火事の業火を思わせるほど、視界全体が赤く揺らめいて見える。

 巨大な体躯を覆う深紅の鱗が、日光を乱反射させていた。

 爽やかな快晴の空を、雄大な翼が覆い隠し、まるで鮮血に染められたのではないかと幻覚させる。


 レッドドラゴン――。


 ゲームをプレイしたことのある男子高校生なら、誰もが知っている存在。

 それが目の前に生きた獣としてあらわれたのだ。


 ヤツは飛来してきたのではない。

 大きな翼を羽ばたかせていたのなら風圧が凄いだろう。

 けれと姿を見せるまで気配はまったく感じなかったのだ。


 尻もちをつく人。

 横に倒れている人。

 うつ伏せに倒れた人。

 姿は違うけれど立っていられたクラスメイトはひとりもいない。

 もし衝撃で倒れなかったとしても、恐怖で腰が抜けただろう。


 俺を含め、悲鳴をあげる人はいなかった。

 喉を握られているような息苦しさで声が出せない。

 悲鳴をあげる前に失神した女子もいるようだ。




 ヤツが翼を折り畳むと、ほんの少しだけ威圧感が減った。

 山頂ほどの高い場所にあるヤツの頭には、金色に輝く四本の角が生えている。


「我が支配する森。木を倒す許しなど与えた記憶はないぞ」


 ヤツの声なのだろう、しかしクチは動いていない。

 まるでASMRを聞いているかのように、耳元で聞こえる。

 深く響く声は力強さと威厳を兼ね備え、聞く人の心に恐怖を刻み込む。


「ほぅ、我を無視するとは蛮勇だな。その度胸に免じて苦しまずに殺してやろう」

「怖くて声が出ないんだよ!!」


 まさか俺のクチから声が出るなんて思ってもみなかった。


「ほぅ、声が出せるのか」


 コイツ!! 声が出せないのを知っていて脅したのか。


 深いエメラルドグリーンの瞳は肉食獣特有の縦長の瞳孔だ。

 その瞳が獲物を狙うような視線を俺にむける。


「この地をあなたが支配しているなんて知らなかったんだ。すまなかった、許してほしい」


 俺は土下座をしてみた。

 これでヤツが許すとは思えないが、余裕がなくて他の手が考えられない。


「当然であろう、人間の前に姿を見せたのは初めてなのだからな」


 ヤツの言葉で理解した。

 初めから俺たちをもてあそぶつもりなんだ。

 なぜだろう、無性に腹が立つ!!!


 俺は頭のスイッチを切り替える。

 それは、演劇の舞台に上がる前におこなう暗示のようなものだ。

 俺ではない別人格を心に宿し役を演じる。

 すると、威圧感に押しつぶされそうな体に力が湧きだし、立ち上がる。


「許した記憶がないと言っときながら、初めて人間に会っただと。アンタ、初めから俺たちを殺す気なんだろ。怯えさせ、泣き叫ぶ姿を見て喜ぶ変態なんだな」


 コイツの目的が皆殺しでないのなら、俺ひとりが怒りを受ければ他のヤツらは助かるかもしれない。

 目論見が失敗したとしても全員死ぬのは確定なんだ、試しても構わないだろう。


「我を変態呼ばわりとは、おもしろい人間だな」

「だってそうだろう。殺すのが目的なら話しかける必要など初めからないのだから」


 ヤツが笑った気がする。

 あの鱗で覆われた硬そうなクチもとがゆるむはずないし、勘違いだろう。


「心外だな。我は慈悲を与えるつもりでおったのに。オマエの態度が悪いせいで気分を害したぞ」

「はいはい、俺のせい、俺のせい。怒りを鎮めてもらうには、俺の命を差し出せっていうんだろ」

「オマエ、己がひとり犠牲になれば他の人間が助かると考えておるな。死を覚悟した生き物を殺すなぞ虚無に等しい」


 ――くそっ、バレた!

 どうすればいい……。


「図星だな、焦った姿は滑稽こっけいだぞ」

「悪趣味だな」

「オマエを苦しめるのは愉快だ。いいことを思いついたぞ。オマエの一番大事にしている人間を差し出すがいい」

「あいにくだったな。俺は誰とも仲良くないんでね」

「ならば我が選んでやろう。隣におる人間か」


 ヤツは隣にいる儀保裕之悪友を、太く黒々とした爪のついた指で指名した。

 酷く動揺し、目を見開き、視線が泳いでいる。

 まだ声すら出せないのだろう、尋常じゃないほどの汗を流していた。


「動揺せんな。ならば、その人間か」


 儀保裕之悪友の後ろにいる牧瀬遙ミーハーを指名する。

 恐怖が限界に達したのだろう。彼女は気を失い倒れてしまう。


「なんだこれも違うのか。ならばその人間か」


 牧瀬遙ミーハーの隣にいた幼馴染詩織を指名した。


「オマエ、唾を飲み込んだな。その人間に決定だ」


 幼馴染詩織の瞳から涙があふれ出す。


「明日、迎えにくる。我に悪態をついた罰だ。悔みながら別れを惜しむがいい。もし逃げ出せばこの場にいる人間はすべて殺すぞ」


 ヤツは翼を広げるとふわりと宙に舞った。

 風圧をまったく感じない。

 鳥のように翼の力で飛ぶのではないようだ。

 まるでハンググライダーのように音もなく滑空しながら飛び去った。




 威圧感が去り、空気が軽くなる。

 しかし、誰もクチを開こうとはしない。

 いや、恐怖でまだ声が出せないのだ。


 あんな生き物がいたのも想定外だし。

 クラスメイトが生贄になるのも衝撃的だ。


 たぶんクラスで一番強いであろう狛勝人空手バカでさえ一歩も動けなかったのだ。

 体が動いていたとしても勝てる相手ではないだろう。



 石亀永江委員長がよろめきながら立ち上がった。


「第二回、クラス会議を始める」


 まだ青ざめているが、彼女の表情は真剣だ。


「議題はあの化け物について、どう対処すべきか議論する」


 こんな状況なのに立ち上がる彼女を心から尊敬する。


「まずは苦瓜にがうり君、ありがとう。キミが声を出さなかったら全員死んでいただろう」


 腰が四十五度を超えるお辞儀、いわゆる最敬礼を俺にしている。

 その深さが、彼女の感謝の深さを表わしていた。


「いや、勝手なことをして悪かった」

「そんなことはない。わたしは指一本動かせなかったのだ」


 彼女が頭をあげた。


「今は動く。ならば、せめて議事進行だけでもやらせてもらう。あの化け物、戦って勝てる相手だと思うか?」


 狛勝人空手バカを見ながら質問した。


「無理だな。俺は戦う気でいた。しかし立てなかった。足がいうことを聞かなかったんだよ」


 彼は苦悶くもんの表情で自分の足を思いっきり殴った。

 鈍く重い音が響く。

 本気で殴っているのが伝わる。


 ――怖えぇ~っ。


ばん君の火なら焼けないか?」

「無理、無理、無理!! 心を落ち着かせないと炎は使えないんだ」

「そうか……。逃げるという選択肢は無理だろう。あの化け物なら軽々と追いつくだろうからな」


 クラスメイトは虚ろな瞳で地面を見つめている。

 誰もが彼女の窮地を救いたいと心から願っていた。

 だが、良い解決策は見つからず、焦燥感だけが増えつづける。




 頭上に輝いていた日差しは、気がつけば傾き、俺たちの影は長く伸びていた。

 周囲の暗闇が絶望感をいっそう深めている。


 答えの出ない方程式を解くかのように、難解な表情を浮かべるクラスメイト。

 誰ひとりとして解を見つけ出せず、冷酷にも時間だけが過ぎ去っていく。


 これ以上はクラスメイトを苦しめるだけだ。

 ならばいっそのこと犠牲者を減らすべきだろう。


「たぶんアイツは俺たちが悩み苦しむのを楽しんでいるんだよ。だから思いどおりになってやるものか。詩織しおり、いっしょに食われてやる、あきらめてくれ」

「うん……。みんなが助かるのならそれも悪くないね」


 コイツは俺の提案にウンと答える。

 いつもの癖だ。

 それを知っていて俺はともに死のうと提案した。

 恨んでくれて構わないぞ。


「最後の晩餐だ、おいしいものを食わせてくれ」

「そうだな……」


 石亀永江委員長が食事の準備を指示する。

 クラスメイトは重い腰をあげ、動き始めた。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 夕食後、少し早いが寝ることになった。

 ひとり用のテントで横になる。


 テントは張った紐に布をかけただけの簡単な作りだ。

 パーソナルスペースを保つために距離を置いているが、密閉していないので外の声は丸聞こえだ。


 明日が心配で眠れない。

 たぶんクラスメイトも目は閉じているがおきているだろう。



しょう君おきてる?」

「ああ」

「少し話いいかな?」


 俺はテントから出ると、少し先を歩く幼馴染詩織の後を追う。

 ゆっくりと歩きながら堤防の上へ登る。


 不思議な夜空だ。

 月がないのに空はうっすらと明るい。


 深い森のなかに、ぽっかりと穴が開いている。

 寒々とした広場にポツポツとテントの花が咲いている。

 上空を飛ぶドラゴンからは、さぞかし見つけやすかっただろう。


 幼馴染詩織が立ち止まった。

 俺に背をむけて顔は見えないが、目線はたぶん夜空だろう。

 腰のうしろで手を組んでいる。


「眠れないのか?」

「うん」

「あたりまえの質問をしたな。悪い」

「ううん、声をかけてくれてありがとう。話を切り出す勇気が出たよ」

「そうか」


 彼女はふぅと溜息ためいきを吐いた。


「わたし、明日死んじゃうんだね」

「いや」

「えっ?」

「俺の加護は他者を不死にできるんだ」

「ホント?」


 驚いた声ではない。たぶん冗談だと思っているのだろう。


「委員長が連れ去られただろ、あのとき彼女は死んでたんだ」

「知らなかった……」

「死ねないってのは呪いなんだよ。死は苦痛から解放してくれる救いでもあるからさ」

「もしかして、委員長のお見舞いにいっていたのは」

「呪ってしまった罪滅ぼしさ」

「そうだったのね……」


 言い出すべきか、いまでも悩んでいる。

 彼女をこの世界に縛りつけても良いのだろうか。

 死ぬことで元の世界に戻れる可能性だってゼロじゃない。


 幼馴染詩織が振りむくと、ハーフアップにしている髪がふわりと広がる。

 目からは大粒の涙がこぼれていた。


しょう君は優しいから、わたしを不死にするの、悩んでるんでしょ」

「さすが幼馴染だな、俺のことわかってる」

「怖い、凄く怖い。苦痛が怖いんじゃないの……。苦痛に耐えられなくなってしょう君を恨んでしまいそうなわたしが怖い……」

「いいよ、恨んでくれて構わない」

しょう君、――好き。――ずっと前から好きでした。この思いがあれば死の苦痛でも耐えられるわ」


 俺には好きな娘がいる。

 ずっと片思いしている相手だ。

 悪いけれどそれは幼馴染詩織じゃない。


 俺のせいで悲劇のヒロインに選ばれたからといって、いきなり好きになれるわけがない。

 でも、俺への思いが彼女の心を救うのなら、いくらでも恋人役を演じよう。


「俺もだ。詩織しおり、愛している」


 泣きながら幼馴染詩織が俺の胸へ飛び込んできた。


 顔をあげ、目を閉じている。

 キスをして欲しいんだな。そのくらい俺でも察するよ。

 安心できるのならいくらでもするさ。

 俺のクチに価値などないのだから――。


 軽くキスをする。

 ちなみにファーストキスじゃない。

 幼稚園のころ、コイツに強奪ごうだつされている。

 覚えていないだろうがな。



 幼馴染詩織は覚悟した。なら俺も覚悟しよう。

 【恋愛対象】の指名可能人数はふたり。

 今は石亀永江委員長出水涼音令嬢が指名してある。


 出水涼音令嬢とは約束しているのではずせない。

 なので石亀永江委員長をはずし、幼馴染詩織を指名した。



しょう君、抱いて欲しい……」


 幼馴染詩織は震えるクチビルで呟いた。

 きっと途方もない覚悟で伝えたのだろう。


 据え膳食わぬは男の恥、ということわざがある。

 俺は『用意された食事は残さず食べなさい』という教えなのだと思っている。

 端的に言えば『好き嫌いするな』だ。

 しかし俺はZ世代。好きなものは食べるし、嫌いなものは残す。


「ダメです」

「えっ?!」


 驚いた表情で幼馴染詩織が俺の顔を凝視する。


「アイツは俺の嫌がることをして楽しんでいるんだ。もし詩織しおりに手を出してみろ、『貢物を汚した罰を与える』って言うに決まっている」

「そんなの言わなければわからないわ」

「オマエ、処女だろ?」

「えっ、そ、そうだけど……」

「アイツ、捕まえたあとでチェックするに決まってる」

「えっ?! チェックって何????」


 夜でもわかるほど顔を赤くしている。

 どうやってチェックされるのか想像してるな。

 コイツけっこうスケベだ。


「想像に任せる。詩織しおり、必ず助けにいく。だからそれまで耐えてくれ。助けたあとで必ず抱くから、な」

「約束よ、絶対だからね、初めての相手はしょう君って決めてるんだからねっ!!」


 コイツ、ほんとに重い。愛が重すぎる。


「ああ約束だ」


 俺と幼馴染詩織は別れのキスを交わしたのだ――。

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