短短編集

陸離なぎ

ある無為な夜遊び

 黒い布をかぶせて目立たないようにしたランプの光は足元を照らしてくれている。けれどその光は心もとなく、ランプを持っているムイにくっつくくらい近づかないと足元が見えなかった。

「せめて月明かりをさえぎるあのくもがどこかに行ってくれれば」

「どうして? もっとくっつていいよ、アル」

「男の子と女の子はあんまりくっつくものじゃないって先生が」

「アルは、知りあってからたった三年とちょっとしかない先生と、お母さんのおなかの中から十一年ずっと一緒にいるわたし、どっちが好きなの?」

「そりゃぁムイのことがいちばん、なによりも好きだよ。でも、これからしようとすることだって先生に怒られるよ」

「その先生はもういないじゃない」

「そう、だけど」

 ボクたちの住んでいた村は、西にある川の水があふれ、にごった水にのみ込まれてしまった。

先生は頭のいい人だったので、川が氾らんしたときにどうしたらいいか、いつも語ってきかせてくれていた。はなしを聞いていた村人たちは逆の方向にある山小屋まで避難できたけれど、聞く耳を持たなかった人たちはほとんどみんな、水の底に取り残された。

先生も本当なら助かったはずだけど先生の話を聞かなかった人たちを助けに行って、とうとう帰ってこなかった。

「だけど、ムイ」

「じゃあアルだけ帰ったら? わたしはひとりでいくから」

普段なら、たとえば近所のおばあちゃんがあいさつをしてくれたり、クラスメイトが話しかけてきたりなんてしたら、シュンとだまり込んでボクの背中にかくれるのに、二人きりだとムイはとたん強気になる。

だけどボクは兄だ。兄が妹をほうっておくなんてできない。それにムイにまでおいて行かれるなんて、そんなの考えたくもない。もし遠くへ行ってしまうというなら、ボクもいっしょだ。

「まってよムイ、ボクもいっしょに」

 いくよ、と言おうとしたときムイは顔をこちらに向けてニィっと笑った。ボクがこう答えると初めからわかっていたようだ。ボクは少しはずかしくなってしばらくのあいだ足元の道を見るのに集中した。

 そうしてボクとムイは村がしずんでできた、にごった湖まで下りてきて、ふちにそって右回りに進むと一本の背の高いイトスギが見えてきた。イトスギはこの場所に一本しか生えていないので、暗くてもすぐにわかる。

 ムイは木のまわりの草を踏み分けながら裏側に回っていき、昼の内に隠しておいたボートにランプを置いて布をとった。

「まぶしいっ」

 ムイはなぜかボクに文句を言ったが、ボクもまぶしかったのでなにも言わず目線を下げた。そのとき、今まで転ばないようにばかり気を使っていたから気が付かなかったけれど、ムイの下半身は短い紺色のスカートと短い靴下の組み合わせで、細くて白い脚をこれでもかと出していた。

「ムイ、だめだよそんな格好で」

「え? なあに? わたしにドキドキした、アル?」

 ムイはどうしてか少し嬉しそうに左足を前にだし、スカートを少し上げふとももを見せてきた。

「そうじゃなくって、草むらにはいるときは長ズボンにしなさいって、先生が言ってた」

「あっそ。また先生」

 ムイは頬を膨らませてボートに乗り込み、

「じゃあアルが運んでね」

 そっぽを向いてしまった。

こうなってしまったらボクには言うことを聞くしか手がなくなる。

「もう、しかたないなぁ」

 ため息を吐きながらムイの方へ歩み寄るとムイは顔をそむけたままだ。だけどムイは本当は口元を緩ませている。双子のボクにはわかるのだ。ムイは怒っているというよりも、ボクにわがままを言ってそれを聞いてもらいたいのだ。妹というのはそういうものだと先生がボクにだけ教えてくれた。よくはわからないけど少しはわかる気がする。

 ボートといっても大人ならふたりと乗れない大きさの木でできたボートなので、ムイが乗っていても頑張れば押すことはできた。おでこにびっしょり汗をかきながらなんとか、にごった汚い茶色の湖にボートを浮かべて、落ちてしまわないように気を付けながらボクもボートに乗り込んだ。

「おつかれさま、アル」

 ムイはすっかりニコニコしていて、パーカーのポケットから取り出したハンカチでボクの汗を拭いてくれた。

「ありがとムイ、もういいよ」

「うん」

 ムイはハンカチを胸に抱いてからポケットにしまい、船の先端を向いて座るボクの方から見て左のオールに手をのばした。ボクは逆のオールを担当し、湖の中央に向かって少しずつ進んでいった。

 十分か二十分か、正確な時間はわからないけれどゆっくり歩くくらいの早さで進んだ。

「そろそろ、真ん中ぐらいじゃない?」

「うん。一緒に来てくれてありがと、アル」

「でも、どうして?」

改めて辺りを見回しても汚れた色の湖しかない。そしてこの真下にボクたちの十一年がしずんでいる。

「ムイはどうして、ここにきたかったの?」

「だって、月が見えるかなって思ったから」

「月?」

「まわりに木がいっぱいあると、見えないから」

 顔を上げて見てみると、いつのまにかくもはどこかに行っていて、大きくてまんまるな月が浮かんでいた。

「わぁ」

 思わず目を見開いて口元がゆるんでしまう。

「ほんとはね、アルが来てくれなかったらこないつもりだったんだ」

「え?」

「村がしずんじゃってからアル、ずっと元気なかった。だからきれいなお月さまをみたら元気がでるかなって思って。今日はいつもよりすごく大きく見られるらしいし」

「そっか。はは、そうか」

 月そのものと、やさしい月の光を受けて輝く妖精のようなムイとを交互に見て、ムイの気持ちがうれしくて照れてきた。

「ありがと、ムイ。元気でたよ」

「よかった」

「でもさっきまで月は出てなかったけど、そのままだったらどうするつもりだったの?」

「アルといっしょに来たらハレる気がしたから」

「あはは、ムイらしいね」

「それに、もしハレなかったら、ふたりきりじゃないとできないこと、するつもりだったよ?」

「そ、それって」

「これも元気付ける方法だって、本に書いてた。だからそうするつもりだった」

 ムイはほっぺたを赤くし、目を左右に泳がせた。

「でも先生は、兄妹でそういうことしちゃだめって」

「先生、じゃなくてアルはどう思うの? わたしとしたい? したくない?」

「そりゃ、ゆるされるのならボクだって、したい」

 ムイの顔をまっすぐに見られなくて顔を横に向けてしまう。

「今ならだれも見てないよ? わたしたちをゆるさない人はどこにもいないよ?」

「む、ムイ」

 だけどムイはじっとボクの方を見つめてきていて、思わずムイの方に向きなおると、もうムイのサクラ色のくちびるから目がはなせなかった。

「いいの?」

 ムイはなにも言わず、頭を上下に動かしてほほ笑んだ。

 今が月夜じゃなければ、大きくてまんまるな月が出てなければガマンできた。ふとそんな言いわけが思い浮び、ボクは月のふしぎな力のせいにして、いけないと言われたことをムイとした。

 ボクとムイのくちびるがふれあうことを止めるモノはなにもなく、ただ満月だけがボクたちを静かに見守っていた。



〈ある無為な夜遊び・終〉


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