とある”少年”の備忘録
睡蓮
第1話
毎晩、悪夢を見る。毎回毎回同じ場所、同じ登場人物、同じ結末。僕はこの悪夢に嫌気がさしている訳ではない。ある意味感謝しているのかもしれない。おかげで自分のあの時の事を今日まで一度と忘れた事はない。そしてこれからも僕の脳裏に焼き付いて消えることはないだろう。
目を開け、暗い部屋の中が目に入った。時計の針はまだ二時を指している。深くため息をついて、重たい体を起こして身支度を始めた。いつもの黒いパーカーと斜め掛けのカバンを手に取り、身に着けると昏い街へと繰り出した。
電柱の明かりが消えかかった薄暗い路地を目的もなく歩き始める。こんな夜中に人なんかいるはずもなく、辺りは死人のように静まりかえっている。そんな静寂を突如、聞き覚えのある声が破った。
「逃げるんじゃねぇよ。大人しく自分の運命を受け入れな。」
あの人の声が聞こえるものの姿は見えない。僕は声の後に鳴り響き始めた気味の悪い金属音を頼りに、あの人を探し始めた。
「ひぃっ・・・命だけは助けてくれ・・・!」
またあの人はくだらない事をしているんだろうか。少し呆れつつもあの人のいる通りまで来た。
「またやってるの?」
両手の小型ナイフで見知らぬ人を脅している男に近づきながら話しかけた。
「星夜・・・お前こそこんな時間に何で出歩いてるんだよ。良い子は寝てる時間だろ?」
ルイは僕に笑いながらそう言うと、また見知らぬ男性に向き直りナイフを男性の首元に当てた。
「ひっ・・・。」
酷く怯えた様子の見知らぬ人を僕は冷めた目で見た。
「ルイ、一応聞くけどこいつ何したの?」
「こいつか?あぁ・・・また立ち入り禁止区域に入ったんだよ。これで三回目、忠告はしてたしもう無理だな。」
ルイは呆れたようにため息交じりで吐き捨てると、ナイフを男性に向かって振り上げた。
「やめっ・・・。」
男性の喉元をナイフが切り裂き、血が溢れ出た。苦しそうに首を抑えて転げまわる男性を他所に、ルイは頬の返り血をぬぐいながら僕に振り向いた。
「んでまた?」
ルイは僕の顔をのぞき込みながら聞いてきた。
「いや・・・大丈夫。心配しないで。」
その質問に僕はできる限りの笑顔で答えた。
「・・・大丈夫じゃなさそうだな。ついてこい、お前一人にしておくと心配。」
ため息交じりに告げると背を向けて歩き始めた。仕方なくついていこうと足を踏み出した時、気を失ったのか路地に倒れる男性が目についた。
「この人どうするの。放置?」
僕は既に少し遠くに行っていたルイに問いかけた。その声に気づいたらしいルイは振り返って、分かりやすく面倒そうな顔をしながら戻ってきた。
「後で消しとくか。」
また歩き始めたルイに、僕は床に倒れる人を見つめた後に足を動かせた。締め付けられているかのような頭の痛みを感じながら歩いていると、いつの間にかルイの家に着いていた。
「・・・大丈夫か?いつの間にか顔色死んでるじゃねぇか。」
「顔色死んでるって何だよ。」
僕はわざと笑い交じりに言葉を返した。
「とりあえずそこ座って休んでろ。何か飲めるか?」
部屋に入り言われた通り近くのソファーに座っていると少し頭痛は落ち着いた。
「ちょっと落ち着いた。飲めるよ。」
そう返して少し部屋の中を見回すと、机の上に置いてあった黒いノートに目がいった。どうやらそれは日記のようだ。何語かは分からないが、綺麗な字で書かれている。ただ誰のものなんだろうか。ルイはこういうものを書くほど几帳面ではないだろう。
「このノート何?」
「あー…それは…。」
カフェオレを僕の前にある机に置いてノートを見ると困った表情をした後、軽い口調で答えた。
「お前の父親の日記だよ」
その瞬間、驚きで頭が真っ白になった。
「俺もどうせ読めねぇし、それやるよ。頭のいいお前ならいつかは分かるだろ。」
僕の頭を撫でながらルイは珍しく優しい口調でそう告げた。改めて日記を読もうと思い、開いてみてもよく分からない言語が並んでいるだけだった。
「これ何語?」
「確かあいつが信頼できるやつにだけ教えてた自作の言語だったか…面倒だから諦めた。」
ルイの事だから恐らく理解する気もなかったんだろう。夢でしか父さんの記憶のない僕としては日記の内容が知りたい所ではある。
「誰か他にこの言語を読める人は?」
「ここにはいない。まぁ自力で解読は出来るらしいけどな。」
僕は深いため息をついた後に机の上のカフェオレを飲み、読めもしないのに日記のページをただ捲っていった。暫くしてふと部屋の掛け時計に目を向けると、時計の針は3時を指している。
「日記ありがと。」
何か言いたげな様子のルイを無視して、足早にルイの家を出た。辺りはまだ暗い。良い子なら眠っている時間帯だろう。ただ何故か良い子になるのが嫌だった。どうせ眠ったとして待っているのはいつもの悪夢だけ、それなら眠る意味なんてない。なんて理由を適当に頭で考えながら家までの道のりを遠回りをしながら歩いた。
「ただいま。」
返事は帰ってくる事はないと分かっていながら今でも癖が残っている。少しの寂しさを感じて、部屋を見つめた。元々この部屋の主は双子の兄である朔夜だったが、ある事件をきっかけに行方不明となってしまった。
「…帰ってきてよ…朔夜…。」
そう言ったって帰ってこないという事は頭でよく分かっている。藁にもすがりたい気持ちであるが、いくら探したって神頼みをしたって結果分かった事は「朔夜はどこにもない。」それだけだった。それが分かってもなお、僕は「朔夜はいつか帰ってくる」と信じ続けている。部屋は今でも朔夜が消えたあの日から物の配置は変えていない。いつも一緒に寝ていたベッドも朔夜が好きだった本もお揃いのパーカーも消えた朔夜が消えたあの日からずっとそこにある。僕は棚から教科書を取って、自分の部屋へと戻った。朔夜が今の僕の部屋を見たら何と言うのだろう。必要最低限の物、そしてモノクロで統一されたこの部屋を朔夜は「星夜らしくない部屋だな」と笑ってくれるのかな。学校の準備をするこの時間、頭にあるのは鮮やかな過去と灰色の今だけだ。
僕は変わらない灰色の世界を過ごしている。それは学校でも同じだった。
教室は生徒の楽しそうな声で満ちている。ドラマの感想、ゲーム、遊ぶ約束、宿題の確認。楽しげに話している人達もいれば、一人で本を読んでいる人もいる。何かしら人生の中で夢中になれる事があるのならその人は彩られた今を生きているのではないだろうか。消えた自分の家族を探すのに夢中になっている僕を他人はどう思うのだろう。 たとえそれを知ったとして何が変わる訳でもないが。
突如、授業開始を告げるチャイムではなく聞き覚えのない音楽が流れ始めた。聞き覚えはないはずなのにどこか懐かしく、そして明るい曲調であるのに不気味さを持っている、そんな音楽。音楽が終わり、教室はさっきまでの楽し気な空気とは打って変わって、戸惑い、困惑の空気が流れていた。
「未来のある若者の皆さんはさぞ楽しく平和な人生を送られている事でしょう。ただ、それは楽しい人生なのでしょうか?」
音楽が終わったかと思えば、とある男性の声で教室には静寂が訪れた。
「皆さんには今からとあるゲームに参加していただきます。」
困惑している人、突然の出来事に怒る人、意外にも好印象を示して楽し気な人。僕は静かに男性の言葉を待っていた。
「各クラスから4人代表を決めてください。代表となった方は一回の会議室までお越しください。」
あの不気味な音楽も相まってか教室には張りつめた空気が漂っていた。
「誰かやりたい人とかいる?」
仕切るのが好きなクラスの学級委員の女子だった。
「なんか馬鹿らしくなってくるな。適当でいいんじゃね。なんか行けばいんだろ?」
学級委員主導で代表決めは進められ、学級委員の男女とその友人で例の声に従い会議室へと向かったようである。
そして少しの時間が経ち、それは丁度皆が待ちくたびれた頃であった。
「それでは一回目のゲームを終了いたします。A・C・F組の方々は新たに4人代表を選んでください。」
例の男性からはそれだけが告げられた。いつゲームが始まってゲームの結果も内容もない事に教室の空気はゲームを馬鹿にする声が増えてきた。
「え、というか先生たちは…?」
「怖いよね…早く帰りたい。」
「というか新しい代表とか言ってたよね?」
僕のいるクラスはF組、新しく代表を決めなければいけない所らしい。仕切る人がいなくなったがどうするつもりなんだろうか。
「てかそもそもこれ真面目にやる必要ある?」
男子のその一言に他のクラスメイトも続いた。
「待ってればドッキリでしたーとか言いながら戻ってきたら笑うわ。」
「いやそれな。」
普通に考えて、中学生ならまだしも高校生にもなって学校でゲームをしましょうなんて中二病じみた事を真面目にやる人なんて精神年齢が幼いか、それをかっこいいと思い込んでいるほんの一部の人間だろう。
「A・F組の新しい代表者さんが来られていませんね。10分以内にお願いします。」
例の男性のその言葉を聞いて、一部の女子がひそひそ何かを相談し始めた。
「え、なんかやばそうじゃない…?」
「でも私、怖いし行きたくないよ…。」
普段なら気にも留めないような教室に響く蛍光色に彩られた声で眩暈がした。
「はぁ・・・。」
ため息をついて、僕は教壇に向かった。
「僕行ってきますけど誰か他に行きたい人いますか。」
先程まで騒がしかったのが嘘かのように静まりかえった。
「一応あと三人要りますけど」
僕はそう言葉を続けた。
「なら…行く?」
「美玲と佳奈戻ってきてないもんね…心配だし…。」
名乗りをあげた二人は確か、最初に代表として行った女子二人の友達だったか。
「暇だし行く。」
もう一人名乗りを上げたのは僕の印象にはない男子であった。
そんな謎のメンバーが流れで代表と決まった。
廊下はまだ静かかと思えば、案外他クラスの生徒の騒ぐ声が響いていた。先頭を突っ切る僕と真ん中で少し怯えながらついてくる女子二人、その後ろに暇を持て余しているらしい男子。傍から見ると奇妙な構図かもしれない。
「…ん?」
鼻をつく刺激臭に違和感を覚えてふと立ち止まった。
「如月君?どうしたの…?」
突然立ち止まった僕を不思議にそうに彼女達は見つめている。少し僕と距離があった後ろのメンバーはどうやらあの臭いには気づいていないようだ。
「ちょっとここで待っててもらえます?先、会議室見てきます。」
僕はそう告げて、その臭いの先にある会議室に向かった。近づく度に刺激臭よりもむせ返るほどの鉄の錆びたような臭い…いや、僕はその臭いの正体を知っている。あぁ来なければ良かったと後悔したとて状況は何も変わらない。確認のためと頭の中で繰り返し、開けた会議室の扉が見せたのは絶望としか言いえない状況であった。
ざっと見て17人。その中にクラスメイトらしき顔も確認できた。床には海が出来ていた。青という色がどれだけ綺麗なのかを僕はその時思い知った。
冷静でいなければ、どうすればいい?思考を巡らせても見える気配すらない答えを探して僕は自分自身に無理やり探させ続けていた。半分正気を失いかけていたかもしれない。
「きゃあああああ」
耳を劈く甲高い悲鳴で僕は正気に戻った。驚きと共にその悲鳴の主の方を見るといつの間にか僕の真後ろにいる。いつの間に、とふと思ったがそんな事よりもまず先にする事がある。
「…一旦休んでてください。中確認してきます。」
なるべく平然を装って泣いている二人にそう告げた。これが正解の行動なのかも分かっていない。でも誰かがやるしかない。
会議室の中は変わらず凄惨な光景が広がっている。床に広がる血の池と四肢が欠損しており、何人かも分からない遺体。辺りには何とも言い難い異臭が漂っている。 僕は遺体を踏まないように気を付けながら見覚えのある顔が揃っている所まで行った。上に被さっているものを退けて、彼らの状態を確認した。ほとんどが何か大きな刃物で引っかかれた…いや、引き裂かれたかのような怪我を負っており、もう少し早ければ助かったかもしれないが僕が見た頃にはもう出血が多く手遅れであったようだ。しかし、そのうちの一人は血に濡れてはいるものの怪我一つ無かった。その彼女に被さるように他のメンバーが倒れていた様子から察して守られていたから助かったのだろうか。他のクラスもここに呼ばれているのなら他の確認はしなくてもいいだろう。この異常空間でそこまでの良心は持ち合わせていない。
僕は眠っている彼女に自分の上着をかけて、背負って会議室を出た。
「美玲!?」
廊下で泣いていたうちの一人が僕の方を見て、酷く驚いた様子で叫んだ。
「他は無理。」
僕は簡潔にそう答えた
「…何であんな事に?」
「知るか。ただ…相当やばい状況らしいな。」
脳内では四肢を切るほどのやつがいるという恐怖で一杯だった。ただ、誰かは冷静でいなければ結局共倒れになって終わるだけじゃないか。悼み、悲しむ事が悪い事であるとは思わない。それこそ普通の人の持っている感情であり、必要なものだろう。そう考えるなら僕は普通ではなく、欠けている人間なのだろうか。
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