第五章 第三話

 雷の発生源は、塔の屋上。フアナの隣に立つノウンが、自らが得意とする雷の魔法を放ったのだ。


 魔女アラディアによって与えられた力は強大。青空の中で雷が次々に迸り、その度に黒焦げになったワイバーンが地面に落ちていく。


 しかし。


「ほう、人形にしては見事だ」


 一匹のドラゴンが感心したように雷を批評した。その雷を、軽めのブレスで相殺した上で。


 ワイバーンと違いドラゴンは依然として健在。ある者は回避し、ある者は身を固めて弾き……いずれにせよ、雷で脱落したドラゴンは一匹もいない。竜と亜竜では大きな差がある。ワイバーンを容易に仕留めるノウンの魔法も、ドラゴンにとっては致命傷にならない。せいぜい足止めができる程度。


 だが……この状況においては、足止めで十分だった。


「むっ!?」


 直感的に危険を察知したドラゴンたちが振り返る。そこには地上から跳び上がったアデライーダが、ドラゴンを仕留めるべく聖剣を振りかざしている。ドラゴンたちは即座にブレスを放つ準備に入った。自分たちの最大火力を集中しなければ危険な相手だと見抜いたのだ。


 だがその途端に矢や爆薬、そして魔力光の雨が下から浴びせかけられた。最前線にいる人間たちは今も地上の魔物へと攻撃を続けているが、それ以外の地点に配置された騎士や民兵は空の魔物に対する射撃に移った。


 無論、ドラゴンはこの程度では傷つくことはない。傷つくことはないが……集中は削がれ、姿勢は崩れる。ノウンの雷も、依然として放たれ続けているのだから尚更だ。


 ドラゴンたちが受けた影響は、ブレスを吐くのがほんの数呼吸遅れただけ。だが仮にも大魔王を目の前にして、数呼吸の遅れは致命的と言う他ない。


 聖剣が輝く。


 首から腹まで縦に斬り裂かれたドラゴンの断末魔が大気を揺るがす。放つ寸前だったブレスがドラゴンの体を爆散させ、アデライーダの身体を煙で覆い隠したことで他のドラゴンたちの反応は遅れた。大気を固めて宙を蹴ったアデライーダが煙から姿を現し、二匹目のドラゴンを斬り捨てた。


 残りのドラゴンたちはようやくブレスを放ったが、放つ場所もタイミングもバラバラだ。ただ散発的に放たれただけの――しかし、まともな相手であればそれだけでも十分すぎるブレスを、アデライーダは一つだけ聖剣で切り払って相殺。残りは回避しながら、空中を突撃する。


「三匹目」


 アデライーダが呟くと共に、ドラゴンの首が胴体から切り離されて飛んだ。そのままアデライーダは方向転換し、次の標的を狙う。


 その後も次々に落ちていくドラゴンの死体に、人間たちが歓声を上げた。彼らにとってドラゴンとはまさに黄金竜が齎す恐怖の象徴。それがあっさりと倒されていく光景を目の当たりにすれば、士気も上がるというものだ。黄金竜に勝てる、そんな希望が人間たちの心から恐怖を拭い去り始めて。


「これはいけませんねぇ。私のかわいい部下をこうも殺してしまうとは」


 しかし、その黄金竜自身は笑っている。部下を死地に追いやり、自らは後方から戦いを眺めながら……その実、新たなる呪詛を張り巡らせながら。


「部下たちは、私の所有物である。つまり、貴方がたは私の所有物を傷つけたということ。

 ならば……弁償するのが筋であり、私に対しての負債が生じた」


 黄金竜が静かに指を王都へと向ける。その瞬間、見えない魔力の糸が絡みついたと気付くことができたのはアデライーダとノウンだけだった。


【ひれ伏しなさい】


 その声は、物理的な音ではなかった。そもそも黄金竜は魔物たちの後ろに控えたままで、王都へと声が届くような位置にはいない。


 にも関わらず黄金竜がそう告げた瞬間、魔物と戦っていた人間たちは黄金竜の命令を認識し……ほぼ全員が膝を折った。あらゆる戦闘行為を放棄して倒れ込んだ、否、ひれ伏した。


「……が、ぁ…………!」


 特に精力的に魔物を攻撃していた騎士が、地面に這いつくばったまま声にならぬ声を漏らす。言葉を紡ぐことでさえできない。今の彼らには、黄金竜にひれ伏すという行為以外は許されていない。


 配下を傷つけた、それを理由にして黄金竜は新たな呪詛を刻んでいた。戦争であれば殺し殺されは当然、という理屈すら通じない。ただ一方的な理由で呪詛を発生させる、だからこその魔王。


「黄金竜の呪詛を確認……これ、は……!」


 そして、ノウンもまた倒れ込む。彼女は事態を理解していたが、それが何の意味も成さない。人間たちと同様に、新たな呪詛を刻まれ黄金竜にひれ伏す。


 しかし、彼女のすぐ側には唯一、倒れ込む様子のない者がいた。フアナだ。


「ノ、ノウン!」


 フアナはとっさに、ノウンに聖剣の鞘を触れさせた。アデライーダは聖剣を使うことで呪詛から逃れている、ならばその輝きを残している鞘を近づければ……その読みは正しかった。ノウンはなんとか呪詛から解放され、姿勢を戻した。


「呪詛の消滅を確認。フアナ様、もう結構です」


「え? で、でも、ずっと近づけていないと呪詛が……」


「いえ、この呪詛は黄金竜にとっても急場凌ぎのようです。

 聖剣の輝きを一度浴びせるだけで無効となる簡素なものでした」


 試しにフアナは聖剣の鞘を離してみたが、ノウンが倒れることはなかった。そのままノウンは雷の魔法でワイバーンを撃ち落とし、呪詛から逃れたことを証明してみせる。


「帳簿などの書類がない口頭のみによる請求である以上、契約として弱い事が影響しているのでしょう。

 これならば容易に解除が可能です」


 そう言ってノウンが両手を地面に……倒れ込んだ人間たちに向けると、呪詛から解放された者が次々に立ち上がっていく。


 ノウンを中心に呪詛が解除されていくのが、目に見えて分かるほどの速さだ。もうしばらくすれば、騎士も民兵も全員が呪詛から解放されていくだろう。


「あ、あぁっ……!」


 それでも、フアナは悲鳴を上げずにはいられなかった。


 この機を逃さずに、魔物たちが攻撃と突撃を開始した。まだ起き上がれない最前線の人間たちが蹂躙されていく。


 もうしばらくすれば、でさえ今の状況では後手。魔物が放った魔力光が騎士に突き刺さり、攻撃先を変更したワイバーンが民兵を引き千切る。最前線は崩壊し、ゴブリンやオークが王都の中へと侵入し始めた。


「ア、アデライーダさんは……!?」


 思わずフアナは、空を見上げた。反射的に、彼女が最も頼りにしている大魔王の姿を探していたのだ。聖剣を持っている以上は呪詛に捕らわれないはずで、この状況を覆せるのはアデライーダしかいない。


 だが、空にはもうアデライーダの姿はなかった。どこに……と思うより先に、フアナは別のことに気付いた。


「ドラゴンが……」


 空を舞うドラゴンの姿は、もはや一匹もない。地上に目を戻せば、あちこちにドラゴンの死体が落ちているのが見える。ワイバーンも数を減らし、その生き残りが地上にいる人間を襲っているのみ。もはや空中に魔物の姿はない。


 では、アデライーダはどこに?

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