第2話

 驚いて、声のした方を振り向くと僕の後ろには男が立っていた。


「はぁ、全く……最近の若いやつは不法侵入が好きなのかねぇ」


 男はパーマのかかった明るい茶髪を肩まで伸ばしており、さながらバンドマンといったような風貌だった。


 服装は黒の花のイラストが入った柄シャツで、パンツはヴィンテージデニム。首には高価そうなシルバーのネックレスを付けていた。


 歳は僕よりも上、二十代後半くらいだろうか。


「あなたは誰ですか?」


 僕は恐る恐る尋ねる。


「ん、オレ? オレはこの部屋の主の従兄弟のテルアキ。お前さんは?」


「僕はユウトって言います。友人です」


「あー……あいつの友達か。まぁ、ゆっくりしてけよ。茶でも入れるからさ」


 そう言うと、テルアキと名乗った男性はキッチンに向かい、ケトルに水を入れ始めた。

 どうやら、彼は見た目ほど悪い人物ではないようだ。


「あの……従兄弟さんがどうしてるか知りませんか? ここ最近連絡が取れなくて……」


「あぁ、あいつは今入院してるぜ」


 テルアキさんはケトルをガスコンロにかけながら平然と言ってのけた。


「入院!? コウヘイは何か病気や怪我でもしたんですか?」


「別に病気や怪我もしてねぇぜ、あいつは。ただ眠っているだけだ」


「なんだよかった……アイツ頑張りすぎて栄養失調で倒れちゃったんですかね?」


僕は安堵から冗談めかしてテルアキさんに聞くが、テルアキさんは浮かない顔をしていた。


「だといいがな」


 テルアキさんはそう言うと、紅茶の入ったカップを2つと個包装されたカップケーキを持ってテーブルに置いた。


「こんなものしか出せなくて、すまないな」


「いえ……僕の方こそ。突然押しかけて、ごめんなさい」


 僕は紅茶に口をつける。


 飲んでみて、以前この家を訪れた際に、コウヘイが出してくれたものと同じものだということに気づいた。


 テルアキさんも同じように紅茶に口をつけ、マグカップを机に置いた後、おもむろにこんなことを話しだした。


「なぁ、明晰夢って知ってるか?」


「明晰夢……ですか? 確かあれですよね。夢の中で自分が自由にコントロールできる夢みたいな……」


「そうだ。よく知ってるな」


「この前、テレビの特集でやっていたのを見ました」


 テルアキさんの方に目を向けると、ポケットからライター、バッグの中からタバコの箱を取り出していた。


「悪い。タバコ吸ってもいいか?」


「あっ、はい……どうぞ」


 彼はタバコを口に加え、タバコに火をつけた。

 煙をゆっくりと吐き出した後、彼はまた話し始めた。


「もし仮に明晰夢を完全にコントロールできるようになった場合、どうなるとお前は思う?」


「どうなる……ですか? そりゃ夢を自由自在にコントロールできたら夢を見ることが楽しくなっちゃって、現実のほうが夢よりつまらなくなっちゃうんじゃないですか?」


 僕がそう答えると、テルアキさんは「へぇ……」と呟いた後、満足そうにニヤリと笑った。


「お前いい線いってるぜ。さしずめ80点ってところかな」


「はぁ……ありがとうございます」


「お前の考察は間違っていない……だが、お前が言ったのは最終段階の手前……つまり、その先があるんだ」


 テルアキさんは、いつの間にか取り出した銀色の灰皿にタバコをトントンと叩きながら含みをもたせるような言い方で言った。


「明晰夢を完全にコントロールすると、自分の存在する世界を思うがままに書き換えることが出来る……らしい」


「……らしい?」


「そりゃ、体験したことあるやつなんて、にはいないだろうな。こんな危なっかしい方法、オレなら試したくもないけどな」


 テルアキさんは煙草の吸殻を灰皿に移し、新しいタバコを取り出した。


「テルアキさんは何で明晰夢について、そんなに詳しいんですか?」


 僕は疑問に思っていたことを聞いてみることにした。


「色々調べているときに、やたら明晰夢について詳しいやつがいてな……そいつから聞いたんだ」


 テルアキさんは新しいタバコに火をつけながら答えた。


「さっき、テルアキさんはって言いましたよね。でも、僕は話を聞く限りデメリットが今のとこ見当たらないと言うか、いいこと尽くめのような気がするんですよね。特に、とかは、すぐ食いつきそうですけど……」


 僕がそう言うと、テルアキさんはニヤリと笑った。


「やっぱ、お前いい線いってるよ」


 続けて彼は説法を説くように仰々しく僕に言う。


「あらゆる物事において努力と才能ってのは大切になってくる。だから、それをやる上でもそれらは例外ではない。才能がありすぎてもダメ、努力しすぎてもダメだ。結局はバランス、努力と才能がいい感じに噛み合うのが大事なんだ」

 


「んで、この明晰夢を完全にコントロールする方法、これにはかなりの穴がある。まず、才能がありすぎてもダメ。才能があるやつは感覚を掴むのが早いが、最終的には制御できなくなる。また、才能がないのにも関わらず努力しすぎてもダメだ。変にかじって、失敗して取り返しがつかなくなるっつうわけ。結局は人間の手に余るものってことだな」


「すみません。言ってる意味が僕にはよく分かりません……」


「あー……抽象的過ぎたな……すまねぇ、久々に物分りがいいヤツと喋ったんでつい浮かれちまった」


 テルアキさんは頭をポリポリとかいた後、タバコを灰皿にトントンと叩き、灰を落とす。


「結局、明晰夢を使って理想の世界を作り上げようなんざ無理なんだよ。結局どこかで綻びが生じるんだ。たどり着くのは今と同じ世界じゃねぇ。下手すれば、自分が存在しない世界にたどり着く可能性だってある」


「言ってることは分かりますし、とても興味深い内容だと思います。ですけど、何で僕にそんな話をするんですか?」


 テルアキさんは短くなったタバコを灰皿に押しつぶした。そして僕の目をじっと見つめながら言葉を続けた。


「最近になって、老若男女問わず原因不明の昏睡状態に陥る……そんな症例のヤツらが増えているのは知ってるか?」


「いえ、初めて聞きました」


「患者を医者が調べても、どこも悪くなかったそうだ。――ただ眠っているだけ。それだけなんだ」


「その人達は今も目覚めていないんですか?」


「あぁ、誰一人例外無く……な」


 テルアキさんはティーカップを手に取り、紅茶を飲む。僕も喉が渇いたのでテルアキさんと同じようにする。飲んだ紅茶は少し冷め始めていて生温くなっていた。


「目覚めなくなった人たちには何か共通点はあったりするんですか?」


「あぁ。眠った奴らには皆2つの共通点があったんだ。まず、1つ目は皆、強い挫折経験を最近もしくは過去に味わっているんだ。そもそもの、挫折しない人間なんてこの世にいるかわからんが……。ともかく、そいつらはみんな周囲に“やり直したい”と日頃から言っていたらしい」


「なるほど……じゃあ、2つ目は」


 僕が質問すると、テルアキさんは先程僕が手に取ろうとしたパンフレットを、僕の前に見せた。

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