1章 夜明けの領域
【1-1】キリヤという男①
エメラル港を出て約半日。夜になってから大分時間も経ち、少しだけ頭が重く感じる中、フェリーから下船すると、前の方で案内役のノルドが誰かに連絡していた。
(あれは一体なんなんだ)
そうノルドが手に持つ薄い板に疑問を持つと、斜め下から
「あれ、ここの領域の通信機だよ」
「へえ、あんなに薄いのに」
「俺達の領域よりは何十倍も技術は進んでるからね」
朱雀様の言葉にそれはそうだと頷けば、改めて港周りを眺める。
どれも俺が生まれた領域とはあまりにも違っていて、城以上に高い建物に唖然としてしまうと、隣にいたシルヴィアが同じく驚きの声を漏らす。
「木みたいな建物がいっぱいありますね……」
「だなぁ」
こんな長い建物でこの領域の人々はどんな生活をしているのだろうか。
そんな事を考えていると、先程まで誰かと話していたノルドが振り向き、「お待たせ」と言う。
「ここから少し離れた広場で待ち合わせしているから、まずはそこに向かおうか」
「あ、ああ。分かった」
返事をし、ノルドの後ろを三人でついていく。
少し進むだけでも見慣れない物が存在し、それを見つける度にシルヴィアと共に驚く中、ノルドが話しかけてくる。
「そういや、その神器について説明は受けてる?」
「ああ。スターチスから」
「そう。なら話は早いや」
良かったと言いたげにノルドは笑む。
神器というのは対神の力を持ち、同時に神の力を受け継いだり、名を授かった武器や道具の事である。
今回、俺達がここに来たのもその神器関連なのだが、改めて頭の中で振り返ってみる。
神器ルーポ・ルーナ。
かつて、ここ夜明けの領域にあった狼の国・インヴェルノ国に伝わる神器であり、これを扱えるのは主にその国を治めていたルブトーブラン家の血を継いだ者のみとされている。
つい数週間前まで夜明けの領域すら知らなかったが、時と星を司る神スターチス曰く、俺の母親がそのルブトーブランの血を引く人だったらしく、俺にも扱えるという。
絵で見ただけではあったが、見た目は白く細い剣身に金色の月装飾が施された美しい剣である。
だが、俺は基本的に素手で戦う事が多く、こんな華奢な剣を扱えるかは不安であった。
(まあ持ち主によって形を変えるとも聞いているし……)
自分に合う形になれば良いか。
そう考えていると、目の前でノルドが立ち止まり、危うくぶつかりそうになる。
どうしたと声を掛ければ、ノルドは引き攣った表情で返してきた。
「これは厄介な事になった」
「?……!」
ノルドの視線の先。それを見た途端、その周囲に同じ格好をした集団が囲い込んでいる事に気付き、シルヴィアの肩を引き寄せる。
笑みを浮かべた気味の悪い白い仮面が、その集団の異様さを物語っていたが、そのうちの一人はノルドを見て叫んだ。
「悪神の手下ノルド! 今ここで成敗してくれる!」
「悪神の手下?」
何だそれとノルドに目を向ければ、ノルドは大きなため息をついて「ダサい」と不満を漏らした。
「まだその通り名が引き継がれていたなんて……本当に困った宗教だね。夕暮教は」
「貴様……我らの教えを愚弄するか!」
「流石悪神の手下!」
「さっさと滅びよ!」
口々と集団から様々な事を言われるが、ノルドは面倒そうな表情を浮かべたままその集団を眺めていた。
一方で、俺とシルヴィアは訳も分からずその様子を見つめていると、何か事情を知っているのか朱雀様がげんなりとした表情を浮かべて言った。
「以前から厄介な宗教が広がっているとは聞いていたけど……これだったのかぁ」
「知っているんですか?」
シルヴィアの質問に朱雀様はこくりと頷くと、横目でノルド達の様子を見ながら説明する。
「まあ、俺達にとってはまだ新興宗教ではあるんだけど、ちょっと特殊というか何というか」
「簡単にいうとカルトですね」
ノルドが発言した途端、更に仮面の人々は声を荒らげる。どうやら火に油を注いだらしい。
朱雀様は呆れた様子でノルドを見つめていたが、流石にこのままではまずいと思ったのだろう。子どもの姿でありながら、ノルドと集団の間に割り込み、仲裁する。
「俺達今から用があるから。構ってくるなら今度にしな」
「何だこの子どもは」
「我らは今大事な話をしている。子どもはさっさと帰りなさい」
「だったらその子どもの可愛い顔に免じて今日はこれで」
「どきなさい。さもないと神から天罰が降りますよ」
「……はあ」
やれやれと言った様子で俺達を見た後、朱雀様は集団の一番先頭にいるリーダー格の男を見る。
領域も違えば、神の知名度が変わるのは何となく分かる。が、それにしたってあの四神に対してここまで言えるのは大したものである。
シルヴィアは不安げに二人の様子を見つめていたが、ここで二人や集団とはまた違う声が聞こえてきた。
「んだよ。折角振り払ったと思いきやまた絡んできやがったのか?」
「?」
背後から現れた紺色の髪の男は、ノルド達を見て言うと、ノルドは振り向き様に「あ」と声を漏らす。と、同時に今までノルドに詰め寄っていた集団は男を見るなり、今度はそちらによってたかって暴言を吐き始めた。
男はそんな人々の声を他所に、タバコを咥え煙を吐いていると、ノルドや俺達をちらりと見て言った。
「場所が悪いな。移動するか」
「待て悪神! 今度こそとっ捕まえて封印を……!」
「はー……ったくうるせえな」
若干苛立ち混じりに男は呟く。すると男は俺を見て微かに目を開き固まると、ニヤリと口角を上げ、こちらにやってくる。
「おい、兄ちゃん。お前半神なんだろ?」
「っ、何でその事を」
「お前の顔見りゃすぐに分かる。それよりも、あいつらどうにか出来ないか? 足止めさえ出来りゃ何でも良い」
肩に腕を置かれ言われると、俺は改めて仮面の人々を見る。
集団の中には見慣れない凶器を持った人々が何人か居たが、俺は少し悩んだ末に集団の足元を見ると、先頭から一気に後ろに向けて足元を凍らせる。
突然の氷に集団が慌て始めると、それを好機とみなし、男は一目散に駆け出した。
「行くぞ!」
「ちょ、キリヤ!」
「ま、待て! どこに行くんだ!」
ノルドに続いて俺も叫べば、シルヴィアの手を引いてキリヤと呼ばれた男の後を追う。
一見ある程度歳をとった中年の男ではあるが、その足は歳を感じず速く感じた。
その速さに置いていかれないように走るものの、腕を引くシルヴィアを気にしていると、広場から少し離れたガラス張りの建物に入り込み、そのまま箱状の何かに乗り込む。
『ドアが閉まります。ご注意下さい』
どこからともなく女性の声が聞こえると、扉が閉まり閉じ込められる。それからすぐに上昇し始めると、俺はシルヴィアを抱きしめながらキョロキョロしてしまう。
「な、上がって……る?」
「何だ? 知らないのか? エレベーター」
「エレ、ベータ?」
片言で繰り返せば、キリヤの代わりにノルドが言った。
「上昇機って言った方が分かりやすいかな。階段だと果てしないからさ」
「ああ……なるほど」
納得するも慣れない感覚にソワソワしていると、しばらくして鈴のような音と共にあの声が聞こえてくる。
『三十二階です』
「降りるぞ」
キリヤに言われ、扉が開くと同時にそのエレベーターから出る。そこに広がっていたのは、地上とはまた違う世界だった。
建物を貫くように様々な長さや太さの管が頭上に広がり、その下を沢山の人々が楽しげに歩いている。
空は遠く、隙間から見える夜空とは対照的に、まるで昼間の様に辺りは明るかった。
「今……夜だよな。何でこんなに明るいんだ」
「そりゃ勿論灯りがあるから」
「そ、それはそうだが、それにしたって明る過ぎないか? それに大分時間も経っているだろ」
そう訊ねるとノルドはにこりとして言った。
「この街は眠らないんだよ。皆好きな時間に寝て好きな時間に起きてる。この世界に昼も夜も関係ないのさ」
「ま、いい子は夜はちゃんと寝てるけどな」
ノルドの後ろでキリヤは欠伸して言う。ちなみにノルド曰く、現時刻は午前二時をとうに過ぎていた。
フェリーで仮眠していたとはいえ、思った以上に疲れがあるのかキリヤの欠伸がうつると、それを見たノルドは苦笑いして「早く家に行こうか」と言った。
「そういやキリヤ。部屋はちゃんと片付けているよね?」
「ゴミは出した。というか、数日前にお前がやっていただろ」
「やったけど……キリヤすぐに汚すでしょう? 正直部屋のタバコ臭がまだ気になる所だけど」
「大丈夫。消臭はちゃんとした」
「本当? 女の子もいるんだからちゃんとしといてよ」
ノルドとキリヤの会話に、シルヴィアは困った様に笑む。そういや普段人見知りな彼女が、初対面の人に対して前に出ているのは珍しい気がする。
二人を気にしつつ、小声でその事をシルヴィアに言えば、シルヴィアはキョトンとした後、笑みを浮かべながら言った。
「何か、緊張しなくて」
「そう、なのか」
「はい」
それは良かった……と言いたかったのだが、俺と初めて出会った時には、人見知りを発動していたから、何だか複雑な気分である。
何とか笑みを作った後、再度二人を見れば未だにノルドの小言が続いていた。
それを面倒そうに聞き流し、空返事をするキリヤは、俺の視線が気になったのか、こちらを振り向く。
「そういや、お前。母親の事はどの位知っている?」
「えっ」
いきなりの問いに俺は立ち止まると、シルヴィアや後ろにいた朱雀様も止まる。
キリヤの隣にいたノルドも足を止めれば、俺はキリヤから一瞬目を逸らした後、「少しだけ」と返す。
「スターチスから聞いたくらいだ」
「……そうか」
間を開けてキリヤは返事すると、正面を向く。神妙な面持ちなキリヤにノルドも静かに見つめると、キリヤは小さく息を吐いた後、少し低めの声で言った。
「四百年もありゃ、一度くらいは母親の事位気にするもんだと思ったが、どうやらそんな気は全く無かった様だな」
「……」
どこか責められているようなそんな口調に、俺は何も言い返せなかった。だが、代わりにノルドがキリヤを咎めようとするも、キリヤはそのまま前に進んで先に行ってしまう。
「ごめんね。悪気はないと思うんだけど……」
「いや、あれは完全にわざとだろ」
ノルドの気遣いを他所に、朱雀様がきっぱりと言い切る。
まあ、実際にスターチスに言われるまで、母の事を気にしなかったのは事実であるものの、それはそれとして知る術がなった。
(それに今までこの領域すら知らなかったのは……)
仕方なかったとはいえ、自分ではどうにも出来なかった事情がある以上、もやもやとした気持ちは残る。
無意識のうちに手を握りしめると、傍にいたシルヴィアの視線に気付き、心配させぬように微かに笑った。
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