第36話 ローレンスに忍び寄る影

「くそっ……なんでこの俺が、こんな目にくそっ……!」


 酒場のカウンター席で、大量の酒に酔ったローレンスは、勢い任せにテーブルを叩く。

すると目の前にいた店主が、眉間へ皺を寄せた。


「大変恐れ入りますが、そうした行為は他のお客様のご迷惑です。お代は結構ですので、お帰りください」


「帰れだとぉ!? クソ生意気な、店だなおい!」


「お帰りください」


「このやろう! 俺は客だぞ! きゃく……ひぃっ!?」


 ローレンスの勢いは、たった一瞬で砕かれた。

なぜなら、彼を屈強で強面の男たちが挟んでいたからだ。


 ローレンスはそのまま、男たちに店の外まで引きづりだされ、路地裏へ連れ込まれる。

そしてひどい暴行を受けたのち、無理やり金をむしり取られる。


「店のいい雰囲気を壊すとこういうことになっちゃうぜ、お坊ちゃん?」


「ご、ごへんなはい……お金、飲んだ分は払いますから、全部だけは……!」


「俺らに手を煩わせたばかりか、他の客の迷惑にもなったんだ。これは罪滅ぼしの代金だっての」


「そ、そんなぁ……!」


 もはや立つ気力さえないローレンスは、ただ路地裏で、去り行く男たちを背を眺めるしかできなかった。


ーーなんでこうなった? どうしてここまで落ちぶれてしまったんだ?


 薄暗い路地裏で、ローレンスは膝を抱えつつ、自問自答する。

すると、こうなったきっかけは一つしか思い浮かばない。


(あのおっさんを……? トーガ・ヒューズを見放してから……?)


 初級魔法しか使えない、体が不自由で、さらに年老いた魔術師をパーティーから外す。

これの何がいけなかったのか? 高みへ登るためには、不要な要素は切り離して、どんどん改めてゆくことなんて当たり前のことじゃないのか? なにがいけなかったんだ? あれではダメだったのか?


 しかし答えは出ようもなかった。それほどローレンスという青年は未熟であった。


 人生には浮き沈みというものが存在する。

山もあれば、谷がある。そしてその谷があるからこそ、そこから這い上がり、次の高みを目指すことができる。


 だが、ローレンスにとって、この谷の存在は初めてのものであり、これが次のステップの礎と気づいてはいなかったのだった。


ーーそしてそんな弱い人間には、決まって悪い影が忍び寄るというもの……


「こんばんは。こんな寂しいところで、どうかされたのですか?」


 久々に降り注いできた優しい言葉に、ローレンスは顔を上げる。


 目の前には上等な身なりの、それでいてとても爽やかな印象の男がいた。


 彼はとても心配そうに、ローレンスのことを見下ろしていた。


 彼の吸い込まれるような、包み込むような雰囲気に、なぜかローレンスは安堵感を得る。


「あ、あの、貴方は……?」


「おっと、これは失敬。クーべ・チュールと申します。私は天空神様の信ずる者で、こうして迷える皆様のお話を伺いたく、放浪の旅をしているものです」


「聖職者さんっすか……」


「ええ。ここでこうしてお会いしたのも何かの縁。よければお話をお聞かせ願えませんか?」


 聖職者という清廉潔白な肩書き。不意に向けられた優しさ。そしてこのクーべ・チュールという男が放つ、得体が知れないが、どこか心地よく感じる雰囲気。


 気づけばローレンスは、心の中の鬱憤を、クーべ・チュールへぶちまける。


 なんでこんなに落ちぶれてしまったのか、どうして自分がこんなひどい目に遭わなきゃいけないのか、なんで借金を追わされることになったのとか、もしかしたら恋人が仲間と浮気をしているんじゃないとか、ありとあらゆる不平と不満を。


「とてもお辛い状況なのですね。でも、貴方はそんな中でも頑張っていらっしゃいますよ、自信を持ってください」


 あらゆる黒い感情をぶつけても、クーべ・チュールはそれを受け止めたかのように、優しい笑顔を浮かべてくれた。


 そのおかげで、少し気持ちの晴れたローレンスは、聖職者の彼へ首を垂れる。


「ありがとうございました。少し気持ちがすっきりしました……」


 とはいえ、これからどうするべきか? 多少スッキリしたものの、どう動いて良いかわからない。


「おや? まだ貴方のお顔に光が差しませんね?」


「すんません、お話を聞いてもらってすっきりはしたんですけど……でも、じゃあ、この先どうしたらいいかわかんなくて……」


 そうローレンスが心の中を露呈すると、クーべ・チュールは赤く煌めく液体を封じた、円筒を差し出してきた。

先端には穴の空いた針のようなものが付いている。


「これは?」


「こちら、私が調合しました特製のポーションです」


「なんかちょっと俺と知っているのと違うような……?」


「こちらは体の治癒よりも、心の治癒におもきをおいたものでして。しかもこちらは直接体へ"打つ"ものになります。服用よりも効き目が早く、効果も期待できる特製です」


 見るからに怪しい薬だと、弱っているローレンスでもわかった。

更にそんな得体の知れないものを、直接体へ打ち込むなど、どう考えてもおかしい。


 しかしーーそうとはわかっていても、その薬に惹かれてしまうのは、やはりクーべ・チュールが異様に魅力的に写っているからなのか否か。


「す、すみません、結構です……」


 それでもローレンスは己に残った僅かな恐怖心に従って、断りを入れる。


「そうですか」


 と、突然、それまで朗らかだったクーべ・チュールは突き放すのような声を放つ。


 途端にローレンスは、切ない感情に見舞われた。


 まるでずっと片思いをしていた女に振られたような、愛しい人が去ってしまうかのような。


「貴方はまたそうやってチャンスを自ら棒に振るのですね。チャンスは貴方の都合など待ってはくれません」


「で、でもぉ……」


「そしてきっと、チャンスを逃したローレンス、貴方はこれからも堕ち続けてゆくことでしょう。ゆめゆめ、そのことをお忘れなきよう。それではさようなら」


「ま、待って!」


 気づくとローレンスは、去りゆこうとするクーべ・チュールの背中を呼び止めていた。


「なにかまだご用で?」


「あの、それ……いただけませんか? 金は全然ありませんけど……」


「お代は結構ですよ。これは慈善事業でして。後から請求することもありません。なにせこれは天空神様の信徒としての、私の役目ですからね」


 ローレンスは優しい雰囲気に戻ったクーべ・チュールから赤い液体の入った円筒を受け取った。

そしてギュッとうでをつかんで血管を浮かび上がらせ、そこへ針を刺す。


 今の鬱憤を晴らしたい。

これがそのきっかけになるよう、他力本願な願いを託しつつ、ローレンスは自らの体へ煌めく赤い液体を流し込んでゆく。


 そんなローレンス様子をみて、クーべ・チュールは一瞬"にぃ"といった不気味な笑みを浮かべるのだった。


●●●


(この商店主は自ら奮起し、商売を立て直したか……喜ぶべきことだが、彼は"人の魔物化事件"とは関係なし、と……)


 リストから対象の男の名前を消す。

これにて、エマ教授から頂いた資料をもとに"件の事件の次の被害者"となりそうな人間をまとめた一覧表は、黒一色に染まる。


ーージェシカさんから依頼された"人の魔物化事件"の操作を初めて、早数日。

すでに捜査は手詰まりの様相を呈示し始めている。


(これは発想を変えた方が良いかもしれないな……さて、どうするか……)


 と、冒険者ギルドに併設されている、カフェにて思案をめぐらせていた時のことーー


「ただいま戻りました、トーガ様!」


 弾んだ声と共に、パルが背中から抱きついてきた。

今回はみんなを引っ張ってくれたり、初めてお互いに数日間離れていた彼女。


 公衆の面前であるが、俺自身もしたいので、周りのことなど気にせず口づけを交わす。


「んっ……」


 パルはいつもの調子で、舌を差し込んでこようとしたのだが、さすがにここでそれはダメなので、こちらの舌で押し返す。


「んぅ……!」


 少々不満そうではあるものの、パルは大人しく引き下がり、唇を離してくれるのだった。


「ここで始めるつもりか?」


「あっ……ごめんなさい……」


「今夜、ゆっくり部屋でな?」


「はいっ! 楽しみにしてますっ!」


「それで成果の方は?」


 男性冒険者の嫉妬と羨望の、女性冒険者の興味と興奮の視線を受けつつ、パルへ問いかける。

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