第11話
小岩井と蓮は翌日から以前と同じように……、という訳には行かず、二人はよそよそしく朝の挨拶をする。
「おは……よう、ざいます。」
体が力んでおどおどとした感じが出てしまう蓮。
「ん、おはよ。」
ふてぶてしく挨拶をする小岩井を見て、怒っているのかと勘繰ったが、以前から違いがないような気もする。
蓮は自分の席に荷物を置くと、避ける前までの彼女との会話内容をよくよく思い出してみる。
――あれ?今までどんなこと話してたっけか?
その日あった事や、読んだ本やニュース、アニメの話くらいしかした記憶が無い。
――こんな話、仲直りした翌日から話してもいいのか……?
何も無かったように話すのもなんだか違う気がした。けれどどんな言葉をかければいいのか分からない。
これまで人間関係というものから逃げてきた自分の経験のなさが仇となり憎く思う。
「植田植田。」
黙り込む蓮に小岩井が声をかける。蓮は咄嗟に改まって「はい!」と返事をした。
「もう怒ってへんから普通でええで。」
心を見透かされていた蓮は心臓が引き抜かれたほどに飛び跳ねたのと同時に酷く安堵する。
「おう……。ありが……!」
「けど次やったらマジしばくからな?」
「はい!」
礼を言い切る前に彼女から鋭い眼光で脅され、部活生のような良い返事をする蓮。
もう一度彼女と笑い合える今になって振り返る。
独りの方がマシだと思ったあの時。
あのたった4日ほどの自暴自棄はとても辛いものだったような気がする。
「今日水曜やけど一緒帰る?」
小岩井は以前までと何ら変わりない提案をする。
それこそ以前までなら二つ返事で承諾をしていた。しかし、蓮は『もう逃げない。』と、そう決めた。だから自分にはしなくてはならないことがある。
「僕もう一人謝らなきゃ行けない奴がいるから、だから少しだけ遅くなってもいい?」
小岩井はなんの事か分かったようで、机に置いてた左手をヒラヒラとさせて「わかった」と一言言った。
話の区切りを見計らったように内田が蓮に話しかける。
「植田くんちょっと……。」
「お?どうしたんだ?」
「あの、先輩が植田くんのこと呼んでる。」
蓮が廊下に目を向けると、そこに居たのは陸上部の入部テストをしてくれた先輩。
ちょうど朝礼にやってきた先生と入れ違いで教室を出るが、大空先生に「蓮借ります!」と堂々と悪びれもなく言うため、先生求めるタイミングを見失っている様子だった。
「アイツらどこいったんだ……?」
「さぁ……。」
その場にいた内田へ独り言のように尋ねた大空だったが彼女も行先は知らないようで、二人の背中を眺めるだけだった。
昼休みになり購買へ向かう蓮。
小岩井が今日は弁当だったことに気付かず、蓮は購買競走に出遅れて一人寂しく坂下のパン屋へ向かう。
――これも罰だったりすんのかな……?
なんて思いながら階段を下っていくと、後ろから大きな声で誰かを呼ぶ声が聞こえた。
「れーーーーーん!!」
「サック!?」
叫びながら急な坂を走って下るスポーツ少年を見つけると、蓮は驚きから動くことが出来ず、急に止まることが出来なかった江川と直撃する。
「うぉい!蓮!お前いつの間に小岩井と仲直りしてたんだっつーの!」
「……ったいなー。まぁお陰様で、」
久しぶりだったというのに昨日も一昨日もずっと仲が良かったような、何事も無かったような、そんな江川の接し方に、バツの悪かった蓮は少しだけ救われた。
いつかの時のように並んで歩く二人。
「サックってさ、部活に自分より速い人いる?」
「お?もちろんおるで!入部試験とか言い出してた人!やっぱ熊田先輩には勝てへんな〜!」
「いつか勝てる?」
「んやー、やっぱ先輩には叶わんよ。二年の差ってのはデカいからなー。」
蓮はずっと疑問だったことを尋ねた。
「なんで陸上部入ったの?走るだけじゃん。」
緩く尋ねる蓮に「失礼なやつやなー!」とツッコミを入れようとしたが、声音とは裏腹に見定めるような目をした蓮を見て真摯に答える江川。
「あー、んやー、俺もわからへんわ!俺は小学校の頃野球してて、中学でもクラスで速い方やったから誘われて入っただけやで?」
そう言うと蓮は「……った。」と、なにやら呟いてから江川の前に立ちはだかる。
「僕とまた勝負して!またおんなじ距離!い……、今すぐ走っても勝てる気はしないから2ヶ月後くらいに!」
江川はこの間蓮に圧勝してしまった時から、少し後ろめたく思っていた。走ることに興味を失ってしまったのではないか、陸上部にはもう入らないのではないか、そんな思いが自分を責めたてていたが、蓮は今走ろうとしている。
「ってことは陸上部入るんか!?」
喜んで弾んだ口調で蓮に訊ねるが、蓮は「いや!入らない!」と即返答する。
「な、なんでや……!?」
「お前と同じ練習してたらお前を一生越えられない!」
これまで部長の熊田と同じメニューをこなし続けたが、タイムは更新しても縮まらない差。
この考えは江川の胸に酷く突き刺さった。
「そんな2ヶ月で俺に勝てるわけないやん……。流石に俺の事舐めすぎやで?」
「怒んなよ……。いや、怒んのも分かるけどさ……?僕……この間の勝負で、自分に言い訳して逃げた。から……、払拭したいっていうか……真剣にやって勝負したいんだ!」
――こいつ『負けてもいいから』とか『負ける前提』みたいな冗談は言わへんねんな……。
本人にそのつもりは無くても完全に舐めた態度をとる蓮に江川は多少なりイラつきを覚えたが、所詮は素人。
きっと部活という走る時間が用意されていない蓮が本気を出したとて、走る習慣が身につく位で大した結果にはならない事は分かりきっていた。
――始まる前から結果の分かっている勝負にイラつく必要も無あらへん。
江川はそう考え、あっさりと試合をすることになる。
「やるなら真剣勝負やな。8月の後半に記録会がある……。そこで勝負しよや。」
蓮の長い黒髪と大きなメガネに隠れていた瞳から喜びの色が見えた。
「おう!受けて立つ!ライバル!」
江川に拳をつきだす蓮。それにやれやれと言った雰囲気を出しながら拳をぶつける江川。
「それはこっちのセリフやし!」
今日から約二ヶ月半後に二人は勝負の約束を交わしたのだった。
昼休みが終わり、下校時間になるまであと二限のみとなった。
テストが終わり気が抜けた昼休み後の数学の授業はやはり眠たいもので、寝ている生徒がちらほら見える。
こんな晴天で暖かい気温。
眠くなるのも仕方がない。
しかし蓮は呑気に寝ている場合ではなかった。
――今日は久しぶりに小岩井と一緒に帰る日だ……。ああもう!普段どんな顔してたっけ!?
彼女は「普通でいい」とそう言ってくれたが、普通が分からない。
――そうだ!こんな時のためのノートだ!
蓮は思いついたかのように急いで、けれど誰にもバレないように急いでとあるノートを取り出した。
青くて通常のノートより倍ほどの厚みのあるこのノートは蓮が小岩井と出会った時に作ったノートで、心理学や鬱、健康法についてなどが記載されたノートだった。
――あー、ミラーリング効果。ラフターヨガ、単純接触効果……。ピグマリオンに、ジョハリの……。
小岩井を避けていた最近。
この期間があった為か、こういった勉強を怠っていた蓮はこのノートを見てとあることに気がついた。
――……、僕……小岩井のこと好き過ぎじゃね?
初恋もまだな蓮には恋という感情がよく分からなかった。けれど、これが恋の「好き」とは違うことは何となくわかる。
決定的な証拠として、よく恋の症状として言われる「好きな人とは用がなくても連絡したくなる。」や、「好きな人からの連絡は早く返したくなってしまうが、返事が早いと引かれちゃいそう」などがあげられる。
しかし自分たちの連絡を思い返してみると直近で連絡をとったのは中間の範囲のメモ位だ。それに加えて返信がお互いに早すぎる。
計三分ですべての内容が終わっている。
高一数学で習った背理法で言うのならきっとこれは恋では無いのだろう。
――なんでこんなノートを作る程まで小岩井の事が好きなんだ……?
理由は意外と簡単に出た。
――江川との違いで言えば、男女?相棒?出会い方?出会う早さ……?
蓮はここで小岩井が人生初の友人であることに気がついた。
中学時代の休み時間ではすぐに教室を出て図書室で本を読み、グループディスカッションなどでは同じくぼっちと絡むなど、孤立してても目立たないように生きてきた。
ここに来て酷く残酷な現実を突きつけられたような気がする。
蓮は大きな溜息をして沈んだ気持ちに区切りをつけた。
放課後。チャイムがなると共にみんな一斉に席をたち教室から出ていく。
蓮は今日一日をかけてとある秘策を思いついていた。
仲直りした彼女と仲良くなるための秘策。
それはぐっと距離が近づいたあの瞬間を再現すればいいのだ。
「小岩井……、帰ろーぜ」
小岩井は昨日の今日でうまく話せないことは仕方がないと割り切った気持ちで蓮の様子をうかがっていた。
「うん。」
訝しげな小岩井を差し置いて蓮は淡々と帰る支度を進める。
蓮は小岩井がこちらを見ていることを確認して、机の中から勢いよく筆箱を取り出した。
席に座って体を前に向けたまま横目で彼女に宣言する。
「一発ギャグします!」
「……!?」
動揺して硬直する彼女。
筆箱をマウスに、ノートをキーボード、リュックサックをモニターにみたててゲームをする素振りを見せる。
「ラッグ……!ラッグ、ラッグ!パソコン重て〜!」
「……。」
「うわ、なんか勝てた……。ラグのラック」
「……。」
「……。」
「……。」
「……。まだ二回目だからそんな『またか……』みたいな顔はやめて欲しいかも。」
「……。」
相変わらず無視する彼女。空白の時間に耐え切れなかった蓮は「よし、帰ろう!」と言って荷物を持ってその場から逃げ出すのだった。
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