第9話
土曜日、日曜日は両日共に勉強に明け暮れた。
明け暮れたとは言っても、朝昼晩の2時間ずつと夜だけ少し長めに行っただけだ。1週間もあればそんな勉強でそれなりにいい点数を取れる。
蓮のいた公立の中学ではこれくらい勉強すれば大差で一番を取れていた。
日曜日の夜。
その日もいつものようにテスト勉強前日用に勉強を行い、布団に入る。
勉強や他の事を行って小岩井の事を必死に忘れようとしていた成果か、そのせいか、真っ暗な天井を見上げると彼女のことを思い出してしまった。
また必死に考えを振り払おうとするも、一度考えるとなかなか頭から離れない。
明日自分はどんな顔で彼女に会えば良いのだろうか?
これまではどうやって喋っていたのだろうか?
考えれば考えるほど分からなくなる。
テスト期間は避けている事がバレない程度に声をかけることを心がけた。
この期間さえ終われば、小岩井ともいつも通りに接することが出来ると思っていた。
「植田?最近大丈夫?なんかあったん?」
「んや、なんも無いよ。大丈夫。テスト期間で勉強張り切ってただけ……!」
「んじゃんじゃ!植田、今日さ?明日に向けてまた一緒に勉強しやん?」
そう言って提案する小岩井は少しだけ眉頭に力が入っていて、少し申し訳なさを感じているような顔をしていた。
また江川と三人でやる事を考えると、胸の内がムカムカしてしまう。蓮はそんなものを見たくない。
「テスト前日は一人でやりたい派なんだよな……!ごめん!」
それを聞いた彼女は少し寂しそうな顔をして「そっか。」と返事をした。その顔を見て、罪悪感が湧き、「自分はこんなことがしたかったのか?」と嫌悪感すら湧いてくる。
自分は彼女とどうなりたいのだろうか?何もわからずに気持ちの整理がつかないままテスト期間が終わった。
テストが終わっても距離感は相変わらず分からないままで、いつしか声をかけることすらない日が生まれるようになった。
話さなくなった時間分、江川は小岩井へ話しかけるようになった。
なぜかぼっちだが学校を代表する美人と、頭は悪いが優しくて人気のあるスポーツマンの江川。
この二人が並ぶと絵になる。
心の底から本当にそう思えた。
そんなふたりと仲良くできてたあの時期はきっと幻想で、勉強も運動もそれなりだった中学時代は井の中の蛙だったのだろう。
「忘れてたんだ……。僕は僕らしく、やるべき事をほどほどにやってたら良いんだ……。」
友達がいなければこんな気持ちにはならなかった。
友達がいたから辛いんだ。
なら一番傷つかないのは友達を作らないこと。
少し寂しいけど、前と同じ独りに戻るだけだ……。
その江川ともどんな顔をして話せばいいのかわからなくなり、蓮はいつしか孤立するようになった。
「植田くん?ちょっといい?」
ある日いつものように寝たフリをする蓮に気弱そうな女生徒が声をかける。
「……。なに?」
あまり人と話さなかった蓮はどんな返事をすればいいか分からなくなり、にべもなく答えるしか無かった。
「あの、さ、ちょっとお話してみたくって……。」
「……。」
その女生徒はアイコンタクトで「ついてきて」と言うので、それを見て蓮はついて行くことにした。
人の多い廊下を抜けて、彼女について行くといつしか自分の足音が聞こえるほどに静かな場所に連れてこられた。
「えっと……。どうしたの?」
「あ、私内田……。」
「ああ、内田さん。」
どうやら学級委員長らしい彼女は内田という名前通り内気で八の字になった眉毛のせいで、困ったような顔をしている。
無愛想に返事をしたから怖がっているのだろうか?
「どうしたんだよ?」
「あのね……?小岩井さんとなんかあったんかな?って……。」
蓮が相変わらず無愛想に尋ねると、彼女は顔色を伺うように本題を切り出した。
「関係ないだろ……。」
「ううん。私陸上部でマネージャやってるんやけど、江川くんが気にしてて……。」
江川という名前にどうしてもイラついてしまう。
蓮は自分でもうまく説明できない状況になんと言ったら良いのか分からず、暫く考え込んでから「分からない」と答えるしか無かった。
「分からないって……。植田くんが分からなきゃ私たちも分からへん……!だからちゃんと教えてよ!」
「だから僕にもわかんないんだよ……。」
「小岩井さんのこと嫌いなの?」
「嫌いなわけないだろ!?」
瞳がジンと熱くなるのを感じた。口の両端に力みが生まれる。気持ちと体の制御ができず、つい声を荒げてしまった。
内田が震え、後退るのを見て怯えさせてしまったことを理解し、駆け足で教室を出る蓮。
小岩井はもちろん江川へもこんな顔は見せられないと思い、蓮は授業をサボって屋上に向かう。
人生で初めて授業をサボった。
ひびの入った心を落ち着かせるために、何も考えないように、大好きな歌手のプレイリストをかけてみた。しかしこれまで音楽にあまり興味のなかった自分のプレイリストは小岩井の好きな曲ばかりで、結局イヤホンをつけるも音は流さなかった。
埃まみれの屋上で空を見上げる。
自分は何をしたいのだろう。どうなりたいのだろう。全く分からない。
無音のイヤホンは優しく、つらい現実から守ってくれているような気がした。
「どんな顔して教室に戻るんだよ……。」
蓮は次の授業まで屋上で過ごすことにした。
考え事のすべてから逃げ、何も考える必要のない今現在。
授業だっていつも十五分で分かるようなことを五十分かけたりと、時間がもったいないため聞いたことは無い。だから今回授業に出席しないからと言って大した損害にはならない。
皆勤賞だって持っていてもいつか誰かに自慢できる以外の役割が無ければ、そんな友達すら今はもういない。
「空ってこんなに広かったんだな……。そうだよ。もういいじゃないか。」
心のしこりも受け入れてしまえば、前からあったような気さえする。
そう思えば何も失わない。
環境が変わればそれ以外が変わっていくのも当たり前だ。
ならもう前みたいに何の変化もなく、ただ生きているだけでいいじゃないか。
きっといつか運命の出会いがあって、きっといつかうまくいく。
それまでほどほどに生きていればいいじゃないか。
そうだ。
「変わるのが怖けりゃ変わらなきゃいい。負けるのが怖けりゃ戦わなきゃいい。嫌われるのが怖けりゃ独りでいればいい……。」
わかりきっていた事なのに、いつも自分の中の理論値が教えてくれていた事だったのに、どうして今まで忘れていたのだろう。
「良いんだよ。足も速くなくって、頭もよくなくって、普通で良いんだ。」
近年まれにみるほどに心が平穏だ。
最近までの荒波のような憎しみ、苦しみ、苛立ち、喜怒哀楽のすべてから解き放たれた。
ここをゴールだと思うと波が落ち着いて、今はただ凪だ。
「もういいんだ。」
閑散とした学校に、授業を終えるチャイムが鳴り響く。
蓮は教室へ戻る前に、スマホに入ったプレイリストをすべて削除した。
彼女との関係もこれでおしまいだ。
なんてったって彼女は今生きている。そして、江川という友達もできた。
なら自分の役目はもうおしまいだろう。
一年という契約なんてもう必要ない。
小岩井愛の生存戦略はこれにて終焉だ。
初めて授業を抜け出した蓮が教室へ戻ると、小岩井は心配に思ってか蓮に話しかけた。
「さっきの時間どうしたん?授業出ないなんて珍しいやん。」
きっとさっきまでの自分であれば、何でもないと不貞腐れながら答えていただろう。
「んや!なんもないよ!大丈夫だ!」
今ならそう言って笑って見せられる。
その顔を見て安心した様子の小岩井。
きっと昔の彼女のように心の底から友達であると断言できるようなことは今後ないのだろう。
けれど、それでもいいと思えた。なんてったって全てはどうでもいいのだから。
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