小岩井愛の生存戦略!
伊藤温人
たからもの
第1話
覚えている限り物心ついた頃から自分には欲というものがなかった。
小学生の頃は学校で「物静かで欲張らない良い子」と言われ、家では「安上がりな良い子」と言われた。
別にそれに対してどうとも思わない。
卑屈な自分は多少皮肉が混じっているのかと思い勘ぐったことがなかった事もない。
そして何より無欲と言うのは主人公らしさや自主性がないと言われているようで少し腹立たしかった。
しかし、言われるのが嫌だったそんな言葉も、喉元過ぎれば熱さを忘れるというもの。受け入れてしまえば対して腹を立てることでもなかった。
こんなひにくれ者になったのは中学生になってからだと思う。
厨二病という訳では無いということも無いのだろう。
だが、理由としては進学すると共に関東から関西へ引っ越したことが大いに関わると考えられる。というのも喋り方や方言の差からいじられることが多くなり、気持ち悪がられることが常習化してきたからだろう。
14歳になると一度担任は自分の事を呼び出すことがあった。黒髪に黒縁メガネのいかにも陰キャラな自分を、だ。
当時は全体的に毛量の多い髪型以外に呼ばれる要因の検討いくつもありどれの話だか分からなかったが、話を聞いてみれば納得だ。
結局「自主性がない。」だの「将来の夢」だの、「後悔のない選択」だの……。
自分は不良でもなければ、特に優等生という訳でもないため当時の担任のその時の話をちゃんと聞いていた。
ちゃんと真面目に考えているような返事をして、「まだ将来のイメージがつかなくって……」と言い続ければ、先生は最終的に諦めて、肩を落として落胆した様子で諦めてくれた。
そもそも将来の夢とはなんなのだろうか?
アイドルやミュージシャンに、宇宙飛行士などだろうか?
そんなものになれるわけがない。
実際どれほどの母数が無条件にそれらを憧れて夢半ばで諦めているのだろうか?
知らないが知りたくもない。
オリンピック選手が昔からその競技をやらされているように、他の夢のようなものを叶えた人たちもきっと一緒だ。
家にギターがあって防音室が整備されているような家庭が、結局音楽に触れる機会が多くなりデビューを掴み取る。
かの有名な漫画家を目指す漫画だって結局2人組の2人とも元々絵や話作りが上手く、才能があっただけだ。
結局夢が叶わなかった時、夢が潰えた瞬間。
諦めた瞬間にどんな後悔をするのだろうか……?
大学をちゃんと卒業して働いとけばよかった?
夢なんて見なければよかった?
漫画じゃなくって参考書見るべきだった?
そうやって心の中で漠然と希望のない「将来」に向かって不満を垂らしていると、担任は「まぁ、後悔のないようにな?」と脅し文句のような捨て台詞を残して言った。
この先生の話を聞いた時の感想というか感覚を今でも覚えている。
何も無い人生を通して初めて自分で見つけた“自論”。
どちらかと言うと感覚的には“悟り”と言っても差し支えない程の感覚だった。
「おい、レン?話聞いてるのか?お前の将来のことなんだぞ?」
「あ、はい。」
植田蓮は自分が恍惚とした表情をしていたのに気が付いて、急いで顔を俯けた。初めての高揚感。初めての発見。自分史に残るであろうこの感情。
「れ、レン...?せ、先生は何も怒っているわけじゃなくって、お前を心配してだな...」
担任の先生が武者震いをする自分のことを心配して慌て始める。
「いえ!先生……!僕は悲しいんじゃなくって、先生の話に感動したんです……!」
この返事には流石に担任も驚いた様子を一瞬見せたが、「え?あ、そうか...?んじゃこの話明日のホームルームででも話そうかな...?」とすぐさま喜ぶ様子を見せた。
レンの言葉は嘘ではなかった。
心から感動した。
この悟りにより視界が開けたような気さえした。
畳張りの進路相談室を出て、夕日に照らされた昇降口を通り帰宅する。学校から出ても整列して走る野球部の掛け声が聞こえる。
「そうか……、」
周りがうるさかったためか、独り言になっていた。
「そうか!この世に後悔の無い選択なんて無いんだ!!」
文系と理系の選択や、志望校の選択、職場選び、恋人選びや友達選び、夢を追うか諦めるのか。それさえも例外ではない。
必ずどこかに存在する「あの時ああしていれば...」という感情。これは何を選択しても必ずついてくるものであり、絶対的で不変的で普遍なものだ。
それは夢も例外ではなかった。追っても追わなくても結局は後悔をする。ならば理論値として「損害の少ない方」を選ぶべきだ。
悩むことなんてする必要は無い!
これが若干14歳にして見つけた植田蓮の人生訓だった。
「考えるは自分がどうしたいかじゃない!『どうするべきかだ!』」
その日の足取りがいつもより軽かったのを覚えている。
この日から将来的に選択肢が増えるからということで、未来の自分がいくらでも迷えるように勉強だけはちゃんとするようにした。
内申点も悪くはない。
成績表に「優柔不断」や「自主性がない」なんて書かれるはずもなく「多くの人の意見を偏見なく聞き入れ...」のようなことが書かれていて、やんわりとだけ伝えられていた。
そんな一見ピュアで優等生な、実態は捻くれ者の蓮は地元で有名な中高一貫の学校へと通うことが決まった。
高校生になる頃には、「めんどくさい」と思って決めきれなかったことも客観的な視点になるよう心がけ理論値を考えて動くようになっていた。
そんな様子を見て担任してきた先生も「自主性が生まれた」と思い安心した様子で蓮を見送った。
入学式の日。
高校に入ると多様性は著しく減ると聞いていたが、本当にそのようで、偏差値60を超えるこの高校ともなるとみんな大人しそうである。
一見性格がきつそうな人や、ヤンチャそうな人物もいたがよく観察すると中学の時ほどではなかった。
蓮は自分に近しい感覚を得て、この学校で上手くやって行ける気がしてきた。
入学式前にも関わらずそれなりに和気あいあいとした雰囲気なのは、中高一貫であったかららしい。中高一貫といっても高校から入学する人もそれなりに多いらしく、よそよそしく話している雰囲気の生徒も多く見受けられた。
そんな中なぜか話し相手のいない蓮は教室の片隅で読書をしていた。
せめてもの抵抗として読む本は映画化してる作品を選び話しかけられたら話題を広げられるように準備していた。
そんなことを考えているとガラガラと扉を開く音と共に教室が静まり返る。みんなの視線は彼女の方へむく。
艶やかで綺麗な黒髪。生気のない瞳はツリ目気味ということもあり、近寄りがたい印象を持たせている。
その女子生徒は入学時に渡された紙を見ながら自分の席を探して座ったのは蓮の隣の席だった。
蓮は同じ紙を見て座席から名前を探す。
彼女の名前は小岩井愛。
少女も高校からの入学組なのだろうか?誰も話しかけに行く様子はない。
――もしかしてこの子も友達いないのか……?
クラスでは「植田」の名字のせいで運悪く1番後ろの1番窓際の席になってしまい、他の生徒との文字通り接点が無くなってしまっていた。
入学式後の休み時間では前の席は入学早々インフルエンザとなり、右斜めでは話しづらければ既に友達がいる様子であった。
そうなれば消去法的に顔はいいのに何故かぼっちになっている隣の席のワケあり女子に話しかけるのは必然と言えるであろう。
――話しかける勇気なんてねぇよ!?
端正な顔立ちをした無表情の彼女を横目に寝たふりをするのだった。
放課後に人が居なくなるまで教室でまどろんでいた。というのも「誰か話しかけてくれないかな?」という淡い期待があってウトウトしているとほんとに寝てしまっていただけだ。
夕方五時頃になり夕日が影を長くする頃、誰もいなくなったのを確認して教室から出る。
学校の中をよく覚えるように、半歩ずつ廊下をゆっくりと歩くとあることに気がついた。
「屋上の扉空いてる……。」
この時レンはビビッときた。
誰かが通ったであろう痕跡を見て、この先で誰かが自分を待ってくれているような気がしたからだ。
行くか迷った時、蓮の中の理論値は「行くべきでない」と判断した。
それでも自分を変えてくれる何か、それが何かは分からないが何かが待ってくれているような気がして、蓮はその鉄製のはしごに手をかける。
天井から降りているハシゴを一段一段上がっていく。
はしごを上る途中でどこかで聞いた歌の鼻歌が聞こえた。タイトルは思い出せない。
屋上に出てみると風が強く一瞬目を細めたが、直ぐにその景色に圧倒された。
空が近い。
オレンジと青のグラデーションが空一面に広がり、所々見える生徒とは違う世界にいるような感覚。空が広いというより空が近い。
それらの景色の中心には彼女が居た。
腰ほどまで延びる艶のある長髪に、鋭く全てを疑うように尖り、穢れを知らないような綺麗な瞳。
無愛想の権化のように小さな唇がデフォルトで少しへの字になっている。
「小岩井さん!」
レンは思わず、フェンスの向こうにいる彼女を大きな声で呼んだ。彼女はびっくりして振り返る。
「何しようとしてんの?」
問いかけると、にべもなく黙り込む。「見ればわかるだろう?」と伝えているようだった。
「ちょ!ちょっと待って!?」
「何?」
「何?じゃない!飛んだらダメだ!!」
咄嗟に出た言葉。
「なんで?」
「なんでって……、」
言葉が詰まる。
――親が悲しむから?
親のために生きてるわけじゃない。
――そう習ったから?
実際そう。
――なんで悪いのか、なんて分からない……。
たくさん頭の中で選択肢が浮び上がる。
蓮の中の理論値ですらそれに応えは出せなかった。
そして迷いに迷った結果、蓮は開き直ることにした。
「私が目の前で死んだら罪悪感があるから?」
「まぁ、それもある。夢見も悪いからかも……。」
「正直やな?」
「そう、僕は正直者……。だから正直に言おう!」
開き直るのに大切なのは堂々とすること。
レンには死んじゃいけない理由なんてものは分からなかった。だからこそ分からないなりに分かってる風に、嘘がバレないようにできるだけ堂々と言い放った。
「死ぬなんてダメだ!だって勿体ない!」
「……うるさいなぁ!もったいない!?私は生き続けるより死んでここじゃない世界行った方が価値あると思ってんねん!それを勝手にもったいないって言わんといて!初対面のあんたにはなんも分からんやろ!」
「そうだ!わからない!でも、友達だって悲しむだろ!」
小岩井愛は眉間にしわを寄せてあからさまに困惑した様子だった。
「あ、私に友達とかおらん...!」
「そんな悲しいこと言うなよ!いるだろ!一人くらい!」
「んな!そういうあんたはどうやねん!あんた入学式終わってこの時間って大体は学校で出来たやつと遊んどるか、中学時代の友達と遊ぶかのどっちかやろ!?」
「ギャフン!」
「おらんのかい!」
食い気味で言い放つ蓮に小岩井がたじろぐ。その姿を見て蓮は続けて言い放つ。
「……で、でも!僕に一年くれ!死ねない理由を作ってやるから!」
微妙に上から目線な言い方には多少の後悔はした。
少しの静寂が訪れる。
意味があるのかないのかすら分からない自分の身長ほどしかないフェンスを挟んでいる彼女の表情はへそほどまで伸びる奇麗な黒髪に隠れてよく見えない。
「明日世界が終わっても、明日まで生きてたらまだ良い事あるかも……!って……、そう言ってた……。そのー、その歌ってた曲は……。」
返事はない。再び訪れた沈黙に蓮は自分の非力さを痛感した。その時だった。
「……むけ」
「……え?」
彼女の声は震えていて小声でよく聞こえない。
もしかしたら泣いているのだろうか?
「フェンス登ったらスカートの中見えるからあっち向け言うとんねん!」
「はい!す、すみません!」
怒ってるだけでした。
彼女がフェンスを登る音が聞こえる。
トンと小さく着地した音を聞いて振り返ると、セミロングのもう量の多い彼女の前髪が大きく風に揺らされた。
誰よりも黒く奇麗な目をしていたのを覚えている。
その日の夜。
蓮は小岩井愛について考えることにした。
――どうすれば彼女は救われるのだろう……。
そもそも救うって何からだ?
何か問題を抱えているのか?
理由もなく死にたくなる時だってあるだろう。テストの点数なんて理由で死にたがる人もいれば、人間関係をこじらせて死にたがる奴もいる。
植田蓮は自室の机に置いてあるノートを見て独り言をつぶやく。
「僕だって何も考えがなかった訳では無い……。さぁ!お勉強の時間だ!今日から始めよう!小岩井愛の生存戦略を!」
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