ツンデレ
黒田忽奈
ツンデレ
*
「ちょっとあんた、起きなさいよ! いつまで寝てるつもり⁉」
怒声。アニメのような声である。声の主に叱責され、ソファに崩れ落ちていた者がのっそりと起き上がる。
「あぁ~……おお、デルタちゃん、目覚ましご苦労。しかし一回目から怒らなくても良いんじゃない?」
部屋は暗く、乾燥していた。黒い室内にはたくさんの電子機器の液晶が浮いており、その寒色のスクリーンだけが照明となっていた。駆動音も響いている。
「そういうのってもっと、何回も揺すったりしてから言うもんじゃない」
寝起きの頭を掻きながら、怪しい風貌の者がソファに居直った。この研究室で発明家を営んでいる、アルファ博士という者だった。身じろぎする度に、関節がギシギシと音を立てる。
その目の前にいるのは、デルタと呼ばれた娘である。銀髪のツインテールが、黒い部屋に異質に映えていた。
「うっさいわね! さっさとコーヒーでも飲みなさい! 淹れたから!」
「おお、ありがとうありがとう。デルタちゃんは気が利くなあ」
ソファの近くの卓には湯気の立つマグカップが置いてある。側面には『はかせ♡』という文字が、彫刻刀のような刃物で深々と記されていた。
「目覚めの一杯だね。沁みるヨ」
「いつまで飲んでんのよ!」
突然、デルタに真正面から頭を殴られ、思わず蒸せるアルファ博士。
「痛った! 溢したらどうすんのもう、水濡れ厳禁なんだからこの部屋は」
「遅いって言ってるの」
「まだ一口しか飲んでないんだけどねぇ……」
それにコーヒーはまだ熱くて、一気に飲むのも躊躇われる。しかしアルファ博士は、これ以上デルタの機嫌を損ねるのがもっと怖かったので、喉奥にコーヒーを流し込んだ。
*
アルファ博士は数時間ほどPCに向かって作業していたが、作業を止めると一度大きな伸びをした。やはり全身がギシギシと鳴る。その音は博士がこの世に生まれてからの時間を表していた。
「まったく、全身に油を差したいような気分だヨ。それか、骨格を新品にしたい」
独り言。博士の顔は眼前のスクリーンの光を反射して青く染まっている。画面は難解なプログラムのコードに埋め尽くされていた。
「博士、まだお若いじゃないですか」
博士の独り言を、拾った者がいる。同じ研究室に勤めているもう一人の研究者・イプ四郎だった。まだ青年でありながらアルファ博士の補佐をする、優秀な科学者だった。彼は髪の毛を奇抜な真緑色に染めており、室内に翡翠の輝きをもたらしている。
「ありがとうイプ四郎。優しいのは君だけだよ」
ふと、空調の音しかなかった部屋に、スライドドアの開けられる音が響く。博士は振り返らずに、現在時刻を確認した。今は十三時〇七分三十一秒。恐らく助手であるデルタが、頼んでいたものを持ってきたのだろう。
博士が首を回して振り返ると、果たしてデルタが足でドアを開けて入って来たところだった。手にはトレイと、脇に書類の束を抱えている。
「イプ四郎、お昼ご飯です」
デルタはイプ四郎のもとへ行き、トレイを差し出した。パンが載っている。
「おぉ、ありがとうございます! 丁度、お腹が減っていたんです」
嬉しそうにパンを食べるイプ四郎。デルタは空になったトレイを受け取った。
「あのぉ~デルタちゃん、私のぶんは……?」
デルタはツインテールを回転させて振り向く。
「あぁ? 無いわよ」
「えぇ~、ショックなんじゃが」
「いっつも食事はいらないって言ってるのは博士の方じゃない」
「そうは言ってもねぇ、同室のイプ四郎にだけ差し入れがあって私には無いなんて、気分的に悲しいじゃない」
デルタは分かりやすくそっぽを向く。整った横顔だった。
「ふん、あんたなんて、加湿器の底の水でも飲んでれば良いのよ」
「手厳しいねぇ」
助手に冷たくあしらわれ、アルファ博士は諦めてコンピュータに向き直った。相変わらず無機質なコードでいっぱいだった。
と、そこへ。
「はい、これ」
机の縁に、書類の束が置かれた。博士が見れば、すぐ脇にデルタが寄ってきていた。
「頼まれた仕事、やっておいたから」
「あぁ、ありがとう。どれどれ……うむ、相変わらず優秀だね」
紙の束は博士が頼んだ計算や事務仕事の書類であり、デルタはそれらすべてをこなしていた。
「これで研究が捗るよ、ありがとう」
博士が礼を言う。デルタは何も言葉を返さず、ただ机の傍に立っていた。
「? どうした?」
「……あと、これも」
デルタは持っていたトレイの下に隠していた、タブレットを博士に差し出した。
「ほう、これは……まさか、某大が公開した、人工知能の対人コミュニケーションデータ?」
博士がタブレットのページを捲ると、最新の研究結果の数値がまとめられたファイルが延々とスクロールされていった。
「まとめておきました。便利そうだったので」
デルタは素っ気なく言う。
「デルタちゃん……これはとっても役に立つよ。ありがとう!」
「べっ、別に、あんたのためにデータまとめたわけじゃないし! これは、そ、そう! イプ四郎に頼まれたからで!」
「僕は頼んでませんよ~」
事の顛末を見守っていたイプ四郎がにこやかに言う。若葉のさわやかさである。
その一言でデルタは一気に赤面し、博士は感極まってしまった。
「デルタちゃん、こんなことまでできるようになって……私は涙が零れそうだよ」
「う、うっさいわね! も~~~‼」
博士一人と助手二人。研究室は微笑ましい雰囲気だった。
*
「そういえば、アルファ博士」
「なんだねデルタちゃん」
何日かした後、相変わらずスクリーンに向かっている博士の元へ、デルタが寄ってきた。時刻はまだ朝早く、イプ四郎は出勤していない。研究室には二人しかいなかった。
博士はキャスター椅子を回して振り返る。
「雇われてからけっこう経つけどさ、私、博士が一体なんの研究をしているか、全然知らないわ。事務仕事ばっかりで」
「……おぉ、そうかそうか」
博士は再び椅子をくるりと回してスクリーンに向き直ると、凄まじい速度で打鍵を始めた。
「別に君には、私が何の研究をしているか知る義務は無いんだよ。業務には全く関係ない。それでも知りたいかね?」
「何よ。私だけ仲間はずれなワケ? イプ四郎も知ってるのに」
デルタは腕を組んでスクリーンを覗き込んでくる。
「はいはい、じゃあ見せてあげようかね……はい、これ」
博士はあるファイルを開くと、そこに載っている情報を大写しにしてスクリーンに表示する。
「ちょっと、これ……」
デルタは怪訝そうな顔をする。
「これって、私?」
表示されたファイルには白髪ツインテールの美少女の写真があった。さらにその横には、身長、体重、瞳の色、指紋、製造年月日など、ありとあらゆる情報が整然と並んでいた。
「うっ」
デルタは力なく膝から崩れ落ちた。
*
「あれ、博士、デルタちゃんはもう終了ですか?」
定時となり出勤してきたイプ四郎が部屋に入るなり目にした光景は、弛緩しきったデルタの両脇に手を差し込んで引きずっている博士だった。
「おぉイプ四郎くん。おはよう。ついさっきな、デルタちゃんが私の研究を知りたいと言ってきたんだ。彼女も起動してから長いからね、そろそろ言い出すだろうと思っていたよ」
デルタは博士に恣に身体を引きずられても、微動だにしない。表情の無い顔は死体よりも死体のようだった。
「デルタちゃんは優秀だったけどね、やはりアンドロイドはまだ、自己が人造生物だというアイデンティティの崩壊には耐えられないようだ。特に、それを知らされずに作られた個体はね」
博士のスクリーンにはデルタに関するすべての情報が載っていた。デルタを製造したのは博士だった。
「ま、良いのサ。デルタちゃんには十分なデータが溜まった頃合いだ。そろそろ回収しようと思っていたから丁度良かったよ」
博士はもはや意思を失ったデルタの身体をとりあえずソファに寝かせておくと、またスクリーンに向き直った。
「しかし難しいな……“ツンデレ”を再現するというのは」
イプ四郎も横に来てスクリーンを覗き込む。
「アンドロイド技術もだいぶ進歩したが、このツンデレという性格はどうにも再現できん。やはり機械には、『愛するが故に冷たくする』という人間の微妙な心理を理解するのが難しいんだろうネ。好意と敵意。どちらか一方を再現することはできても、両方を適度に併せ持つパーソナリティの形成は困難だ」
アルファ博士は髭の無い顎をさする。
「博士の研究って、下らないですよね……」
イプ四郎が溜息とともに呟く。
「そんなこと言うない! ツンデレアンドロイドの開発は私の長年の目標なのだ!」
博士は語気を荒くする。大声が静かな研究室に反響する。
「オタクと呼ばれた男性たちの高齢化に伴って、美少女型アンドロイドの需要は急速に拡大している! 優秀な家庭用アンドロイド市場はまさにドル箱なのだよ!」
イプ四郎は半目のまま腕組みしている。この妄言のようなものを聞くのも飽きたものだった。
「その中でも特に、ツンデレアンドロイドはまだ誰も開発に成功していない! 柔和で従順なアンドロイドでは満たされない一部のオタクたちの市場は、今まさにガラ空きなのだ! 私が最先端の先駆者となれば、とんでもない富を得ることができる! 私の名が歴史に残るかもしれないんだ!」
「俗っぽい……」
イプ四郎はやはり冷たくあしらう。このやり取りは何度も何度も行われていた。
「イプ四郎くん、君は優秀だから良いよねぇ……どうして私なんかの研究を手伝ってくれてるんだい」
博士は威勢はどこへやら、急にしょぼくれる。
「正直、博士の研究がどう役立つかは、僕には皆目見当もつきませんよ。でも、博士のロボット技術だけは本物です。僕はそれさえ学べればあとは何でも良いんですよ」
「冷たいなぁ……」
ますます項垂れる博士。
そんな博士を見ると、イプ四郎も流石に申し訳ない気持ちになってくる。
「博士、変人だし、友達いないし、僕がいなくなったら一人ぼっちじゃないですか。研究が完成するまでは一緒にいてあげますって……まぁ、こんな物好きは僕くらいなものでしょうね」
その言葉に、博士はハッとしてイプ四郎を見る。
その目には、涙があった。
「……イ……イプ四郎くーん! 君はなんて優秀な助手なんだ!」
「ちょ、ちょっと博士⁉」
博士は椅子からガタリと立ち上がり、そのままの勢いでイプ四郎に抱きついた。
「君が居るからこそ、私の研究は完成する!」
「ちょっと博士痛いですって! ギブギブギブ! 折れる!」
*
「さぁ、いよいよ新型が完成したぞ!」
数日の時が経ち、博士は上機嫌だった。
場所は研究所のとある一画、人型アンドロイドの製造現場として用いているスペースだった。博士の目の前には二メートルはあろうかという巨大なカプセルが設置されており、そのガラスの光沢には、機械的な人型のシルエットが反射していた。
「出でよ! 真のツンデレアンドロイドぉぉぉ!」
博士は勇んでボタンを押す。同時に目の前のカプセルが緑色に発光しはじめ、やがてゆっくりと開かれてゆく。わずかに開いた隙間からは勢いよく白煙が噴出する。
そしてついに、内部から人型が現れた。
新たな人型アンドロイドはやはり美少女的な骨格をしており、繊維質な毛髪パーツは眩しい緑色のツインテールだった。
「………………」
アンドロイドは無言で辺りを見回すと、次いで己の陶器のような両手を見、一寸の間。静止した。
そして、
「……この……死ね!」
「ぐおっ」
博士に歩み寄ると、猛然と殴りかかった。研究室に、金属と金属がぶつかったような、鈍い衝撃音が響く。
「おぉ痛い痛い! 元気で良いな。ツンデレは多少暴力的なくらいが丁度良いんだ。しかし今のはやりすぎだな。出力を調整しなければ。私の身体が普通の人間だったら撲殺されとるわ」
博士の身体は十年以上前に合金に改造済みだったので、アンドロイドからの致命の一撃も難なく耐えていた。鋼の肉体は古いとはいえ、傷一つ付かない。
「しかし、灯台下暗しとはこのことだな。まさか理想的なツンデレのサンプルが、一番近くに在ったなんて」
暴れるアンドロイドを抑えつけながら、博士は上機嫌にまくしたてる。
「やはり人間の脳髄からは良い情報が採れるなぁ! さ、これから一緒に、真のツンデレの世界を二人で作っていくぞ! イプシロンちゃん!」
〈了〉
ツンデレ 黒田忽奈 @KKgrandine
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