機巧技師と添い遂げた人形のお話
往雪
第1話『少年とソフィー』
エリスと名乗る少女が家に届いたのは、風の強い日のことだった。
透き通った碧眼。柔らかなブロンドの髪が風になびき、金色の軌跡を描く。
少女はゆっくりとした所作でアンティーク調のドレスの裾を摘まみ上げ、膝を曲げて身体を沈める。ややぎこちない、覚えたてのような動きだった。
「お初にお目にかかります、ご主人様」
顔を上げた少女が、じっと視線を向けてくる。
淡い色を湛えた瞳の中には、銀灰の短髪を持つ青年が映っていた。
青年の顏は人並み以上には整っている。だが今は、眉間に皴が寄せられていて、彼女の訪問を歓迎している様子は微塵もなかった。
「主人だと? 私のことはジニアと呼べ。……全く、忌々しい」
振り向きざま、値踏みするような目付きで機巧人形の少女を瞥見し、青年──ジニアは不愉快そうに吐き捨てた。
◆
機巧技師、と呼ばれる職業がある。
二十年ほど前から流行し、今なお製造の続いている『機巧人形』と呼ばれる機械仕掛け。彼らが損傷した時に直し、寿命が来れば壊す。それが機巧技師の役割だ。
ロボットとは違って感情があり、心を持ち、人権が適応される彼らに触れられるのは、機巧技師の資格を持つ技術者のみ。
その中で、ジニアは腕はいいものの、変わり者の技師とされていた。
◇
──啜り上げるような声が、薄暗く狭い処置室内で反響していた。
「お願いです……! どうか。どうかもう一度だけソフィーと話をさせて!」
床に膝をつき、処置台の上に横たわる女中の手を両手で握って、少年は潤んだ声で懇願する。
女中、と言っても人ではない。既に物言わぬガラクタと化した機巧人形だ。
──寿命が尽きたその瞼は、今後二度と開かれることはなく。
華奢な指が少年の頭を撫でることも、もうない。
少年とソフィーという人形の間にどんなの思い出があったのかは想像し得ない。
しかし、絶えず涙を流す少年の姿は、人形であるエリスの目にも痛ましい。
「……一体、何度言えば分かる? 寿命だと言っているだろう。それが分かった上で、ここまで連れて来たのではないのか?」
ジニアは面倒そうに告げ、縋るように伸ばされた少年の手を払いのけた。
少年は酷く幻滅した目でジニアを見上げて、
「……父上が言っていたのに。丘の上に住む機巧技師は偏屈だけど凄腕だって!」
「何と言われようが、心臓部の止まった人形は動かせない。諦めろ」
ふん、と鼻を鳴らし、悲傷に項垂れる少年の姿を流し見て。ジニアは手にしていた鉄製の修理道具を、ごとりと処置台の上に置いた。
「ジニアさま。……どうにかならないのでしょうか」
と。それまでジニアの後ろでじっと顛末を見ていたエリスが、僅かに視線を落として告げてくる。表情こそ変わらないが、少年に同情を寄せているのだろう。
古いタイプの機巧人形は感情表現が不得手なものがほとんどだ。エリスも類に漏れず、感情を顔に出すことを苦手としていた。
「お姉、ちゃん……」
たどたどしい足取りで、少年はエリスの元へと歩いて行く。
ジニアは舌を打つと、少年を押しのけエリスの前へ、色を作して詰め寄った。
「いいか、私の言うことは絶対だ。もし逆らうなら、お前から壊すことになる」
私憤を晴らさんとばかりにジニアは語尾を強めた。
その言葉の裏──隠れた真意を読み取ろうとするかのように、碧い双眸がじっとジニアの瞳の奥を見据える。
──数秒間の沈黙の末。
「分かりました。ジニアさま」
エリスが頷いたことで、少年は絶望したような表情で再度俯いた。
「…………」
「お前もだ。臍を噛むくらいであれば最初から機巧人形なぞ買うな」
「っ……僕、帰ります。……ソフィーを持ち上げるのだけ手伝ってください。外まで行けば、あとは使用人が運んでくれるはずですから」
心底傷付いたと言わんばかりに胸を押さえ、少年はジニアをきっと睨み付けた。
ジニアは全く気にする素振りも見せず、普段の調子で返す。
「待て。そいつは置いていけ。ここで壊す」
「──壊す……って、ソフィーを?」
少年は一瞬呆けた後、信じられないといった表情を作る。
「他に誰がいる」
「そんなの、ダメに決まってる!」
女中の横たわる処置台の前に立ち塞がり、少年は首を大きく横に振った。
「なら、どうする」
「どうするって……連れ帰って、他の技師に見せる。……それで、直してもらう」
「どこまでも他人任せだな。私が気付かないとでも思っていたのか?」
「……なんのことですか」
少年が返答するまでの間──取り繕うような沈黙を、ジニアは見逃さなかった。
「機巧人形の状態だ。死後、随分と時間が経っているように思うが?」
「…………それは」
「ふん……どうせ、先に何度か別の技師のところに持って行って、それから私の元へ来たのだろう。寿命が来た機巧人形など誰にも直せん。だからここで壊す」
心臓部にガタが来た機巧人形は直せない。それが機巧技師の限界だった。
しかし、もう動かなくなった人形を解体したがらない技師がいないではない。尤も、その後に起こり得ることを考えれば、言うまでもなく唾棄すべき考えだが。
その上で。解体を拒む技師が、「別の技師に見せれば或いは──」となどと往生際の悪い言い訳をすることがある。
おそらくは、この少年も期待を持たされてしまった側なのだろう。
──勝手な想像だ。エリス同様に、少年に同情こそするわけもないが。
ジニアがまだ少年を家から追い出さずにいた理由はそれだった。
「でも……っ、もしかしたら、いつか直す方法が見つかるかも……」
「──機巧人形にいつか、は存在しない。……そもそも、お前は死者を愚弄しているということに気付かないのか? それが人間だとして、遺体を運んで病院を連れ回して、医者に見せて。匙を投げられれば、また次の医者に見せて──そのことについて、お前はどう思っている?」
「……………………」
「まただ。都合が悪くなったらだんまりか? 随分と見下げ果てた考えを持っているようだな」
憤懣を隠そうともせずジニアは鼻を鳴らし、続けた。
「それとも。お前はソフィーとやらが人殺しになってもいいと、そう言うのか」
ジニアの言葉に、少年は泣き腫らした目を見開き、息を呑む。
しゃくり上げるような声と共に、ぽたりと落ちた涙が床に染みを作った。
「っ…………それは、いや、です」
感情に任せて握り込まれていた少年の拳が、ゆっくりと脱力していく。
「ならば、壊すことを受け入れることだ。……全く、ここは息が詰まる」
呆然と後ろで立っていたエリスの腕を掴み、ジニアは踵を返す。
「──ジニアさま?」
「ここは息が詰まると言っただろう。お前も着いて来い」
少年を一人残して、ジニアはエリスを連れ処置室を後にする。
エリスは歩きながら、後ろ髪を引かれるように何度も後ろを振り返り、泣きじゃくる少年の背中を見つめていた。
「う、ぁ、あああぁぁ……っ」
──と、追いかけてくる嗚咽を振り払うように、ジニアは首を横に振った。
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