第14話

「マリルエ・ローム・ハストル嬢、付き添いは御母上のハストル伯爵夫人様」


 王侯貴族ら招待客が詰めかける謁見の間に、侍従の声が響き渡る。

 すると応えて、輝くドレスに身を包んだ貴族令嬢が、付添い人に手を取られて進み出る。

 メーノン王国女王エリドレーダ三世が腰を下ろす玉座の十歩手前まで進み、そこから令嬢のみ二歩進んで──


「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」


 ──と膝折礼カーツィを優雅に行い、一瞬待ってから後ずさりし、雲上人に尻を向けて失礼とならぬ充分な距離を置いてから、そのままカーブするように後退して、側面の退出口より謁見の間を辞する。

 このダンスが、なんとぶっ続けで百組以上行われるのである。


「ジェノール・ルニエ・ローム・タイデューデン=ハルム嬢、付き添いは御母上のタイデューデン=ハルム子爵夫人様、ならびに、ご知人のクルーデンストム侯爵未亡人様」


 令嬢たちの型通りのダンスを百回も眺めさせられるだけなら、こんな儀式など誰も見たがらない。イベントの本筋は、彼女たちへのにあった。

 謁見の間の両側を埋め尽くす参列者たちは、小声でひそひそと、結婚市場に送り出された「新商品」に容赦のない批評を加えて、社交界に流す。どの時代でも、口さがない噂は最高のエンターテインメントであった。


「おや、タイデューデン=ハルムはクルーデンストムのおばあちゃんを引っ張り出しましたよ」

「ハルムはもともと伯爵家の家柄だ。先代から爵位が下がってしまったので、見栄を張りたいのだろうね」

「だが、タイデューデンの荘園を相続したんだろう。となると、やはり、次は称号に欲が出たといったころか」


 と、平民には何を話しているのかさっぱりわからない、おしゃべりの小さなノイズを背景音楽にして、儀式は粛々と進んでいく。


「シェスムーン・ローム・ドルキュル嬢、付き添いは御母上のドルキュル子爵夫人様、ならびに、御祖母のベネルケン・オン・ペルストム伯爵夫人様」


 中には、辛辣な批評を受けてしまう娘もいる。


「なんと、ドルキュルの娘は……」

「やあ、それ以上はお言いなさるな。紳士として」

「しかし、謁見の間がたちまち荘園の村の豚の品評会になってしまいましたよ」


 表向きの平静さを保ちながら、お披露目式は進んでいく。

 緊張から「ダンス」の遂行をしくじり、ドレスの裾を踏んでしまう娘がいる。

 女王の前での挨拶を口ごもってしまう娘もいる。

 彼女たちは皆、今日から始まる人生の生存競争で、スタートラインを下げた状態から始めなくてはならない。


「ケイアナ・ローム・ミュアヴァーロ嬢、付き添いは御母上のミュアヴァーロ子爵夫人様」


 たまに、人目を引く美しさを持つ娘が登場する。


「ほう! これは……」

「明日からミュアヴァーロの屋敷はさっそく求婚者でごった返しそうだ」

「おや、待ってください。……なんと、これでもだめか!」

「今年の陛下は物差しが厳しすぎるんじゃないですか?」


 令嬢は女王の前に進み出ると、挨拶の口上と共に膝折礼カーツィを行って、一瞬待つ。

 この一瞬は、女王からの「お言葉」を待つ間なのである。

 だが、今年はここまで、一人も女王エリドレーダ三世から言葉をかけてもらえていないのだった。


「ソヴリネ・ローム・ノールドルストム嬢、付き添いは御祖母のノールドルストム子爵未亡人様」


 宮廷人たちの目にはなんとも味気なく映るドレスに身を包んだ娘が進み出る。

 胸を飾るネックレスは宝石なしの銀。

 おまけに、子供のように背の低い娘であった。

 だが、凛とした立ち振る舞いは黒曜石のように輝く黒髪を際立たせ、自信に満ちて誇り高い顔つきはお家の懐事情など微塵も感じさせない。

 その美しい整った輪郭の両側に、ダイヤモンドと銀のイヤリングが光っている。


「ノールドルストム! まだ存続していたのか」

「たしか、先代だか先々代が投資の失敗で家産を食いつぶしたという……」

「いや、ドレスは地味だが、包んでいる娘の方はなかなかじゃないか?」

「水仙のような細さだ。まるでエルフの森から代役を選んで──」


 と、口さがない品評を一発で黙らせるハプニングが起こる。


「可愛らしいわね」


 玉座の主、女王の一言だった。

 ついにお言葉が発せられたのである。

 参列者の驚きとささやきの声がそこかしこで聞こえる。

 ソヴリネは、誇り高く勝気な顔を上気させ、優雅に後ずさりして謁見の間を退出した。


「これで、子爵家までの家柄の娘は出尽くしたな」

「あとは男爵家の娘だろう?」

「となるともう、お言葉は出ないと見ていい。ソヴリネ嬢が今年の勝者だな」

「こりゃあ大逆転劇だ。ノールドルストムは家を盛り返すぞ」


 お言葉によって引き起こされた静かな喧騒と雰囲気の変化は、男爵家の娘たちが待機する回廊にまで伝わった。


「何が起こったのじゃ?」と、ミュリエラがチャリンド夫人に耳打ちする。

「お言葉が出たようですね」

「お言葉、とな」

「女王陛下のお言葉です。たいていの娘は拝領できないのですけど。もし女王陛下からお言葉をかけて頂けたら、それは娘にとって最上級の熨斗のしとなります」

「いいなぁ……」アニエがぽつりとつぶやく。「私なんかじゃ」

「アニエ嬢よ。自信の無さはそなたの太陽をさえぎる雲となる。堂々としなされ。もし、女王がそなたに何の感想も抱かなければ、メーノンはそれまでの国だったということじゃ」

「あら、まあ、伯爵夫人グラフリン様……」

 ミュリエラの不遜な後押しの言葉に、チャリンド夫人が恐縮した。


 謁見の間では男爵家の娘たちのお目見えが進行し、近づいた終わりの時間が参列者たちの間にを生じさせる。


「今年の収穫はノールドルストム子爵家のソヴリネ嬢といったところか?」

「ミュアヴァーロ子爵家のケイアナ嬢もなかなかでしたよ」

「だが持参金が期待できそうな娘も──」


 侍従の声が響き渡る。


「アニエ・チャリンド嬢、付き添いは御母上のチャリンド夫人、ならびに、ご知人のグリューデン伯爵夫人様」


 謁見の間の扉が開く。

 百人以上の娘のダンスのすえ、ようやく最後に登場した平民の娘に、弛緩した老若男女の参列者たちは当初、ほとんど興味を持とうとしなかった。

 ところが、母親といささか場違いな衣装に身を包んだ「伯爵夫人」に手を引かれて進むアニエの姿を一瞥するや、誰もが言葉を失って目を離せなくなった。


 それはまるで、白い帆を張って処女航海に臨む壮麗な船であった。

 介添えを務める「グリューデン伯爵夫人」なる見知らぬ人物の青いドレスがさながら海を思わせて、よりいっそう娘の装いを引き立てている。


「何者だ、あの横の人物は……?」

伯爵夫人グラフリン……なのですか?」

「まるで慣習にそっていない。それにあの帽子ときたら」

「いや、それ以前に、爵位なしの家がどうして伯爵家からの支援を……?」


 アニエと紹介された娘の頭には、ティアラがない。

 貴族の娘ではない彼女には着用の資格が無いのだ。


 だが、すらりとした背の高さと、肖像画家が美化をこめて描くような端正な顔立ちは、頭上を飾るティアラの有無など忘れさせるほどの高貴さを放っている。

 ネックレスからイヤリング、腕輪に至るまで、あくまで品を保って控えめではあるが高価な宝石をちりばめたアクセサリーからは、この娘を嫁に迎えた時の持参金が相当な額にのぼるであろうことを思わせてならない。


 しかし、それにも増して人々を感嘆させたのは、ドレスである。

 貴族の男たちは息をのみ、その妻や娘たちは嘆息した。


 慣習通り、純潔を示す白絹で作られていたものの、モチーフの選択はなかなかに洒落ていた。金糸と銀糸とで精巧に刺繍された花束の柄が幾何学的に織り出され、ダイヤモンドの複雑なカットを思わせる見事なテキスタイルを演出している。

 細部では伝統的に、全体としては革新的に。


 いや、それ以上に、ドレスのシルエットが斬新極まりなかった。

 肩と胸元を晒した流行のデザインは用いられていない。胸元は薄いレースで慎み深く隠されているうえに、たおやかな首から肩にかけてのラインは膨らんだ袖で覆われている。だが、それらがデザインに与える影響は絶大だ。

 既存のスタイルでは肌と胸元の露出によって艶めかしさを演出していたが、このドレスは逆にそれを隠すことで慎みを表現し、ほとんど威厳に近い雰囲気を醸し出しているのだ。


 アニエ・チャリンドが白銀の山嶺なら、他の令嬢たちは積み上げた砂の山だ。

 この新しいデザイン思想を前にして、着用者の胸の大きさを思い出す者は皆無だった。


「なんとまあ……」

「……美しい……!」

「あの娘は何と紹介されました?」

「チャリンド家のアニエ嬢だそうですが」

「無位無官の家にあのようなエレガントが? まるで王族じゃありませんか。誰の差し金なんです?」


 参列者の中に混じって立つクロード・チャリンドは、息子のコリノを傍らに置きながら、愛娘の引き起こした事態に満足気な笑みを浮かべた。


 アニエが母とミュリエラに付き添われ、静かに女王の前へと進む。


「(さあ、女王とやらよ。下塵よりたちのぼる一代の麗姫を御覧ぜよ)」

 と、ミュリエラは伏せた目をちらりと女王エリドレーダ三世へとやった。


 エリドレーダ三世は、生気がないほど青白い肌を持った、年配の女性であった。

 細密画のように微細な刺繍を全身にほどこした、黒を基調としたドレスに身を包み、メーノン王国の宝冠を頭上に戴いて、もの憂げな姿勢で玉座に腰掛けている。

 その顔は面長で、若い時には美貌を誇ったのであろうが、化粧では覆い隠せぬ老いが見て取れた。


 だが、ミュリエラは彼女の顔を見て、雷に打たれたような衝撃を受けた。

 女王はアニエを見ていない。

 ミュリエラを凝視していたのである。


 アニエが訓練通り、二歩前へ進む。


「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」

 膝折礼カーツィを完璧にこなし、待つ。


『ミュリエラ様……!』

 ビブリオティカが主人の耳元に警告に似た言葉を届ける。

「(わかっておる。わかっておる、ビブよ)」

 ミュリエラは声を発さないが、ビブリオティカには完璧に聞こえる。両者の意思疎通は、わずかな魔力を介した精神感応で行われるのだ。

「(わらわは、あの女王に、一度会うておる……!)」


「きれいねぇ」


 女王が言葉を発する。

 参列者から静かなどよめきが起こった。

 お目見えを許されたとはいえ、爵位のない家の娘に「お言葉」がかけられるのは前代未聞であった。

 アニエの体がびくりと震える。


「ぜひ、ご教授願いたいわね。女の世間話というやつで」


 貴族たちが顔を見合わせる。

 ──二度も! 二度も、お言葉がかけられた!

 アニエは自らの身に起こった夢のような事態に気絶しかけながらも、渾身の力をふりしぼって後ずさり、退出する。


「アニエ、しっかり……!」


 母親のジゼが小さな声で勇気づける。

 その声に支えられたのはアニエだけではなかった。

 ミュリエラは、ジゼの声で女王を目の当たりにした衝撃と戦慄から回復し、なんとか母娘とともに退出の「ダンス」を踊った。


「(いったいどういうことなのじゃ……!?)」


 謁見の間は、たちまちざわめき出した。


「二度ですよ! 二度もお声がかかりましたよ!」

「前代未聞とはまさにこのこと!」

「アニエ・チャリンド嬢とやら、最後の最後に持っていきましたね!」

「あのドレス! あの肩! ねえ、あれってどこの仕立て屋かしら?」

「それよりあの言葉、お聞きになりました?」

「ええ、女の世間話ですって! なんということでしょう、陛下からもうお茶のお誘いということですか!?」


 退出口の扉が閉まる先でのそんな声を遠くに聞きながら、ミュリエラは必死に心を落ち着かせようとしていた。


「(あの言葉は……アニエ嬢に向けられたのではない! わらわじゃ! わらわに向けて発されたのじゃ!)」


 忘れられぬ、宿敵の顔。

 朽ちた顔とはずいぶん変わっていたが、それでも見間違えようがない。

 千年前、魔王の体に溶け込んでいた「依り代」。

 エリドレーダ三世と名乗るメーノン王国の最高権力者は、かつてミュリエラが魔法の矢で貫いた存在──


 【黒王妃】ギュメディアその人だったのである。

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