第9話
馬車が王都カールッドの街中をゆく。
乗っているのはアニエ、リリ、そしてミュリエラである。
ミュリエラが「お披露目式」への出席を承諾した日、すぐに医者がやってきて、簡単な問診を行っていった。
その後すぐ、お披露目式の介添え役となったミュリエラのドレスを用立てるべく、慌ただしく馬車に乗せられたという次第である。
「奇遇にも、今日は私のドレスの最終確認の日でもあったんですよ、
「ミュリエラと呼んでくださって構いませんぞよ」
「はい、ミュリエラ様。それで、お店のほうも手が空くことでしょうし、ミュリエラ様のお身体の採寸とドレスの直しも頼んじゃおうって」
いつも朗らかなアニエだが、今日はさらに増してはしゃいでいる。
やはり、自分の晴れ舞台である「お披露目式」──相変わらず詳細は謎だが──で着る一張羅を目にするのは、わくわくするらしい。
また、外出できることにも興奮しているようだ。
千年前もそうだったが、しかるべき家柄の未婚女性が外を出歩くには色々な条件がある。特にこの時代ではそれが厳しくなっているようで、リリのような召使いだけではなく、分別のある大人の婦人が監督者として付き添わなければならないようだった。
要するに、今のミュリエラがそれである。
ただこれは逆に言えば、アニエはミュリエラという、外出のための便利な通行手形を手に入れたことにもなる。これから引き回されそうだ、とミュリエラは心の中で思った。
「あ、ここです。着きましたわミュリエラ様」
馬車はカールッドの大通りに面した仕立て屋の前で止まる。
看板には「タロス山、ルドラルフ夫人の店」とあった。
「いらっしゃいませ、チャリンドのお嬢様……おや、初めてお目にかかる方ですね」
店の主人らしき年配の女性が一行を出迎えた。その姿を見てミュリエラが驚く。
「ドワーフ。ドワーフの女性じゃ!」
「はい? 左様でございますが……?」
ルドラルフ夫人は戸惑いを隠せない。
「申し訳ございません。わたくしめの種族に何か不都合がございますか」
「いや、ありませぬ。大変、失礼をいたした。お詫び申し上げまする。ドワーフ族の方をお見かけするのは久しぶりで、嬉しくなってしまったのですじゃ」
「ミュリエラ様、紹介しますね。ルドラルフ夫人です。いつもドレスの仕立てをしてもらってる、カールッドでは一番のデザイナーよ。ルドラルフ夫人、こちらミュリエラ・ウル・グリューデン伯爵夫人。私のお友達で、外国の方」
「ああ、なるほど。外国ではドワーフは珍しいかもしれませんね」
ミュリエラの言葉は本当だった。千年の時を飛ばされて以来、ルドラルフ夫人は初めて会うドワーフであり、いわば千年ぶりの再会である。正直、人間以外に見かける人類種族がエルフばかりなので、ドワーフは滅びてしまったのではないかと恐れていたのだ。
それだけではない。
千年前のミュリエラの世界では、ドワーフの女性は部族の治める「山」に引きこもって外界に顔を見せない存在だった。それがなんと、こうして店を構えている。千年の間に起こった社会構造の変化は相当なものらしい。
ルドラルフ夫人は、ドワーフらしい背の低い体躯に合ったドレスを身にまとっていたが、そのドレスの各所に用いられたレースや刺繍は、店の技術力を誇示するかのように凝ったものが使われていた。ミュリエラは彼女以外の仕立て屋を知らないので、カールッドで一番かどうかは分からないが、千年前なら世界一の腕前と太鼓判を押せただろう。
「さて、では、お嬢様。仕上げを御覧ください」
助手とおぼしき若い娘が、トルソーに着せたドレスを客たちの前へ運ぶ。
アニエは目を見張り、ミュリエラは嘆息した。
そこには繊細と優美とを絵に描いたような、白く輝く素晴らしいドレスがあった。
「いかがでございましょう。打合せ通りのデザインです。ガウンの前開きは今年の流行でございます。ペティコートのボリュームは見ての通り少々増しまして、これですとお嬢様のお体に合わせたバランスになるかと思います。胸元の開きも、お披露目式に臨まれる若い女性ともなればまあ、この程度が慎み深いというものでしょう。それから刺繍でございますけども、こちらはご父君のご希望通り……」
ミュリエラにはその説明の半分も意味が分からないが、目の前にある何重にも折り重なった輝く布と金糸の集大成は、国中の富を集めてもまだ
思わず手を伸ばしてそっとドレスに触れたミュリエラが、小さく驚きの声を上げる。
「
「ええ、左様でございますが。今年は絹織物の値段が高くなりましたけども、うちに限ってはまがい物の布地で補うなどということは、いっさいありませんので、ご安心ください」
弁解するようなルドラルフ夫人の言葉をよそに、ミュリエラは驚きと興奮の表情を表に出すまいと必死になっていた。
それは、千年前のミュリエラの時代において、伝説の繊維であった。
はるか東方との交易でしか手に入らぬ、美妙と官能からなる、究極の高貴なる布。
ミュリエラですら稀にしか目にしたことのない生地が、なんともここまで潤沢に、惜しげもなく使われている。まさか、メーノン王国でこの黄金にも等しい布が生産されているとでもいうのだろうか。だとしたら、いったいこの世は、どこまで進歩しているのだろう?
「ルドラルフ夫人。わらわはこのような美しいドレスを見たことがない……。もしメーノンの女性がこのような皮を持つと知れたら、万国の狩人が弓もてこの店に押し寄せるであろう」
「まあ、お誉めいただき恐悦でございます」
ミュリエラの賞賛にルドラルフ夫人が気を良くしている横で、アニエは最初こそ顔を輝かせていたものの、ドレスを検分するうちに表情が曇っていった。
その様子に気づいたのは、リリである。
「アニエお嬢様。ドレスにご不満な点がありましたか」
その言葉にルドラルフ夫人も表情を硬くする。
「いいえ、違うのよリリ。すごく、すごく素敵よ。だから悲しいのよ」
「と言うと……?」
「こんな素敵なドレス、きっと私には似合わないわよね。だって、私……おでぶちゃんだから」と、アニエは胸を押さえる。
「お嬢様、そんなこと……」リリは声をかけるが、言葉が見つからない。
ルドラルフ夫人も、最後の最後になってどうしようもない課題をふっかけられてしまったとばかりに落胆している。
「当方も、できる限り努力はしてございますが……」
ミュリエラは一瞬、アニエの言葉の意味が分からなかった。
が、すぐにだいたいの事情を察した。
と、言うより、昨日から思っているのだが、千年前と今とで美的価値観が異なっているようなのだ。もちろん、美醜の概念が逆転してしまっているというような極端な事態は起こっていない。だが、一部では、千年前には好ましいと思われていたものが、今では好まれなくなっている。
要は、アニエの胸部が豊かすぎるのだ。
千年前、人間族の美的価値観においては、女性の胸の大きさは豊かな栄養事情を表す、富と健康のしるしであった。だが、ドレスのデザインを見る限り、現代において人間族の女性が理想とする体型は、エルフのように細く、華奢な形となっているようなのだった。
その理想に合わせた流行のデザインにおいては、アニエの豊かな胸はいかにも
しかしそれでも、アニエの豊かな胸とは釣り合いがとれていない。
少なくとも、アニエはそう思ってしまっている。
「(不憫じゃのう。こればかりは、本人のせいではあるまいに)」
ミュリエラは、ルドラルフ夫人の作り上げたドレスを見た。
本当に素晴らしい出来栄えだ。
この力作が、朗らかで愛すべき少女の
千年前ならドワーフは鎧を作り上げる者たちであったが、今ではドワーフの女性がドレスを作り上げている。この変化ひとつとっても興味深く、好ましいというのに。
「(ドワーフ……鎧……)」
ミュリエラは何の気もなしに、考えを口にした。
「いっそのこと鎧にしてしまえば、どうかのう」
「……は? 鎧? ……でございますか?」
「そうじゃ。わらわにはアニエ嬢の体型のどこが悪いのか、とんと分からぬが、その……まあ、素人考えなのじゃが、このドレスのほっそりとした意匠がアニエ嬢の豊かな部分と不釣り合いなのであれば、この……肩の部分をじゃな、鎧のように盛って膨らませてしまえば、よいのかもしれぬ。ドワーフの鍛冶が作り出す鎧は重厚で、皆そうじゃった」
と、ここまで口にして、ミュリエラはしまったと思った。
ルドラルフ夫人はこの道の玄人である。偉そうに改善策など示しても、彼女を侮辱するだけではないか。
ところが、ルドラルフ夫人は、目を大きく見開き、黙って自作のドレスを見つめた。
「……肩……鎧……ああ、なるほど。確かに、わたくしどもドワーフは昔、鎧職人が多かったと申しますけども……いえ、ちょっと待ってください。ええーっと……ん? ああ。うん? あーっ……あっ……はい! はい! ええ、ええ! いけるかもしれませんよ! ちょっと失礼!」
スケッチブックに木炭を走らせ、大まかなシルエットを描き始める。
「仕立て直しはさすがに無理ですが、肩と袖だけ……ここをこうして盛って……絹もまだありますし……実は最小限の工程で……いけます! 思いつきました! 浮かびましたよ! 新たなる流行の誕生です!」
彼女のスケッチは、たおやかに肌を晒した肩のシルエットへ、逆にふくらみを盛った斬新なデザインを示していた。
創作者の霊感に打たれて興奮しているルドラルフ夫人に、リリが声をかける。
「あの、一週間でこれを直すのはさすがに無理では?」
「やりますよ。やりますとも。やらせてください。盛る箇所は別の部品にして作業しますので、最悪、間に合わなくてもこのままのデザインでお召しいただけます。一週間、寝なくたって働きます。当店が流行の最先端となる、一世一代のチャンスですよ。やるなと言われてもやります!」
服飾と魔法とで分野は水と油ほども違うが、同じく霊感を生業とするものとして、ミュリエラにはその気持ちが分かりすぎるほど分かった。この状態に入った創作者は、どうやっても止められない。
店の奥で作業しているお針子たちに指示を出すべく、ルドラルフ夫人は挨拶もそこそこに走り去ってしまった。
「あの、できれば、わらわの寸法も測ってほしいのじゃが……」
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