第2話

 王都カールッドは喜びに沸いていた。


 功業の立役者【勇者】リアスタンをうしなったとはいえ、ついに人類の宿敵である魔王を打ち滅ぼし、平和を手にできたのだ。

 魔王軍の残党どもも、やがて掃討されるだろう。いや、すでに統制をなくして各個撃破されていると、各地から王宮へ報告が入っている。


 王都の大通りをミュリエラと仲間たちが歩く。

 熱狂した群衆が押し寄せて暴動寸前となり、衛兵が動員されて押しとどめている。

 そんな役に駆り出されている衛兵たちの顔も、どこか朗らかだ。

 空を見上げれば、開け放たれた家々の窓から無数の花びらが舞い散っている。


「この俺様が生きてるうちにこんな目に遭えるなんてなぁ」

 と、大逆の賊徒【肝喰らい】オルソンドが口にする。


 オルソンドは剣の腕前もたつが、背の高い精悍な体つきからは想像もつかないほど敏捷なうえ、鍵開けや罠解除といった技術に加えて、それらを設置する腕前ときたら魔法と見紛うものだった。ドラゴンを仕留める落とし穴をたった四半刻で仕上げた時には、ミュリエラは本気で魔法の介在を疑った。


「儂が一生のうちに出会ったドワーフより多い人間が視界に飛び込んでくるわ」

 これはドワーフ族の鍛冶頭【山嶺の精髄】ボゴンの言である。


 リボンで飾られた立派な黒髭を誇るボゴンの戦闘力は、頑強さだけならリアスタンを越えていた。

 そればかりでなく、ビブル山の族長としての政治力もある。

 血族意識の高いドワーフたちは、もともと種族単位で団結するような者たちではないのだが、ボゴンの尽力で一たびまとまってからは、その結束力は尋常でなかった。

 旅の間、食料はもとより、魔族との戦いで片端から壊れていく武器防具の補給までも、ボゴンの伝手つてに助けられたものである。


「祝祭のやり方だけは私たちも人間族を見習わなければなりませんね」

 と、エルフ族の修道女【生ける神僕】十八大樹のパルシスも、普段の涼やかな顔をやや紅潮させている。


 触れれば折れてしまいそうな可憐さをたたえたエルフの乙女、パルシス。

 エルフは繊細で美しい種族とされていたが、パルシスのたおやかさは群を抜いた。

 煌めく白銀色の髪は常に霞色の僧衣で隠されている。こうでもしないと行く先々で地元の権力者から懸想され悶着が絶えないのだ。

 ただ美しいだけの女ではない。彼女の魔法はミュリエラも一目置くほどの技量であったし、造物主の奇跡を願う神聖魔法たる「秘跡」の技にいたっては、本来は死後に与えられる称号「神僕」を生前から捧げられるほどの域に達していた。

 また、一行のうちでもっとも幼いと見せかけて、実はドワーフの長老格のボゴンよりも年長である。

 ミュリエラにとっても女同士、胸の内を明かして話し合える、無二の友人だ。

 パルシスは、手のひらに舞い落ちた花びらを見てつぶやく。

「もっとも、この花吹雪のためにどれほどの野花が摘まれたのか想像したくありませんが」

「……この先しばらく、カールッドは“花咲かぬ街”と呼ばれるであろうな」


 一同の先頭を歩くのは【海嘯の魔女】ミュリエラ。

 だがその表情は寂しげだ。この栄誉を受けるに相応しい人物が欠けているからだ。


「浮かぬ顔をしているな、ミュリエラ」王城の門をくぐりながら、ボゴンが言う。

「わらわの不手際でリアスタンは死んだようなものじゃ」

「そうかな。お主はよくやったぞ」

「あのような状況になれば、あやつはそういう行動をとる……わかっておった筈じゃのに。いつも詰めが甘い。今回ばかりは甘いで済まされぬ」

「いつまでも気にすんなよ。アイツも浮かばれねえ」オルソンドが声をかけた。

「世界を救って、ついでに女を助けて死ぬ、か。カッコいいじゃねえか。畜生、嫉妬するぜ。勇者様でなけりゃ大侠客として名を残しただろう」

「リアスタン様には似合いません」パルシスは憤慨して言う。

「聖務をお選びになっていれば、聖都大司教になられていたでしょう。そんなお方でした」

「大侠客に、大司教か。あやつは千年後、なんと言い伝えられるのであろうな……」


 王城では、論功行賞を兼ねた祝宴が開かれた。


 誰も彼も、顔が明るい。生きとし生けるものには皆、生まれた時から「魔王」という重圧がのしかかっていた。その重しががなくなったのだ。晴れやかにもなろう。

 王はもとより、特に貴族たちの顔が明るい。領地の農村を魔物から守る防衛戦力に割いていた人手と費用が浮くうえに、これまで「魔王の領域」とされていた手つかずの土地を開拓し、富を増やすことができるのだ。

 暗い森を切り拓いて野放図に広がる農地を夢見て、彼らは恍惚としていた。


 生き残った勇者一行の面々には、それぞれ褒賞が与えられる。


 ドワーフ族の鍛冶頭【山嶺の精髄】ボゴンには、一族の所領安堵。くわえて魔王の旧領域におけるすべての鉱山の優先採掘権を、百年間。


 エルフ族の修道女【生ける神僕】十八大樹のパルシスには、聖都大修道院の修道院長補佐──すなわち次代修道院長の座──と、大司教庁司教座特別相談役への推薦。


 大逆の賊徒【肝喰らい】オルソンドにはすべての罪状の赦免と銀五千リブレンの褒賞金、くわえて王都カールッドの一等地に召使い付きの屋敷が与えられた。


 そして──


「ミュリエラ殿、【海嘯の魔女】にして【大賢者】、御前へ出られませ」


 貴族と来賓と、仲間たちが見守る中、王の御前にミュリエラが進み出る。


「メーノン国王ロザラ陛下は、【海嘯の魔女】ミュリエラを新領土グリューデンへ封じ賜う。またこれに伴いの女へ爵位を授け、グリューデン女伯爵グラフリン・グリューデンとし賜う。その家名はグリューデンとし、以後、の女をミュリエラ・ウル・グリューデンと呼び賜う!」


 一同からどよめきが起こる。


「グリューデン伯爵」は、亡き勇者リアスタンへの授与が内定していた爵位。

 王はミュリエラをリアスタンに次ぐ戦功の持ち主と認め、貴族に列したのだ。


「魔王の首を取ったのはそなたと聞き及んでおる」と、ロザラ王。

「その働きをこれよりはメーノン王家への奉仕で生かして欲しい。ほんの礼じゃ」

 侍従が恭しく小箱を差し出す。そこにはグリューデン伯爵位の証しとなる印章指輪テールヤクリンが二つ、入っていた。緑の森グリューデンを意味する三本の木をあしらった紋章が刻まれた指輪だ。


 ミュリエラは箱の中から、片方の一つを拝領する。

 もう片方は、爵位の証明として王家で保管されるのだという。


「ありがたき幸せと存じます、陛下」ミュリエラは恭しく一礼した。


 堅苦しい儀式が済むとお待ちかねの飲み食いとなる。

 どこを見渡しても、明るい話題ばかりだ。と、いうより、貴族たちはいかにして自領の周囲の魔物の潜んでいた森を切り拓き、沼地を埋め立てて、麦畑や牧草地にするかという「切り取り」の話しかしていない。開拓熱はいやがおうにも高まる。これより人の時代が始まるのだ。


 ミュリエラたち四人は、貴族の輪には加わらず、その喧騒を眺めていた。


「お互い、成り上がったモンだよな」とオルソンド。

「カールッドの往来を大手振って歩けるなんざ、夢にも思わなかったぜ」

「五千リブレンの銀、何に使うのだ?」ボゴンがジョッキの酒を飲み干して言う。

「とりあえず女郎屋で一杯やるかな」

「もう少し建設的な使い方をせい」

「羽目さえ外さなきゃ、死ぬまで呑んで暮らせる額だ。適当にやらせてもらうぜ。俺にはお前らドワーフみたいに鉱山経営の才能なんざ無ぇーからな」

「旧魔王領域の鉱山を百年か……」

「おうよ。どんだけ金銀が出るんだろうな? よかったじゃねえか」

「簡単に言ってくれるわ。探鉱もこれから始めるのだぞ。いちから掘って、運び出して……収益が出る頃には百年経っとる。儂らドワーフの寿命にも満たん。体よく新領土の開発に駆り出す腹積もりなのだろうよ、メーノンの王は」

「所領安堵ってやつもあるだろ」

「安堵されずとも元々、儂らの山じゃい。即金で五千のほうがまだマシだわ」

「そうは言うけどな」オルソンドは杯を置く。

「俺ァもともとメーノンじゃ知られた盗賊団の頭目だった。赦免はまぁ、願った通りだけどよ。カールッドで屋敷と銀五千リブレンって、程ほどに贅沢して、残りの人生、行儀よく過ごせってことだろ? しかも召使いって名前の監視つきでよ……。生き方を変えるのは辛ぇよ」

「いい機会じゃろ、オルソンド。更生せよとリアスタンも申しておったではないか」

 ミュリエラが口を挟む。

「そうですよ、オルソンドさん。神の思し召しとお考えになれば」

 パルシスも声をそろえる。

「更生か……ま、昔の手下を呼んで、報奨金を分けて……カタギで暮らせるように手配して……しばらくは忙しくなるかもな」

「なんじゃい、しっかり建設的ではないか。見上げた侠気よ!」

 ボゴンは笑ってオルソンドの背中を叩いた。

「そういう意味での褒賞では……パルシス、おぬしがいちばん報われておるかの」

 ミュリエラが言う。

「そうですね……聖都への栄転ですから」とパルシス。

「根付く場所が変わるということは、名前も変わるのであろう?」


 エルフ族は、属する集団によって名前を変えたり、父と母からそれぞれ別の名前を授かるという、奇妙な風習を持っている。


「はい。今までは“十八大樹より出でてリアスタンの仲間に根づきしもの”でしたが、これからは“聖都大修道院に根づきしもの”となるでしょう」

「これまで通りパルシスと呼んでよいかや」

「ふふ。ミュリエラさんなら大歓迎です。でも、もしかしたら、母から授かった名前に切り替えるかも」

「エルフから聖都大修道院長が出るのは初めてじゃ。母御も父御も喜ばれよう」

「今すぐにではありませんが」

「それでもエルフほどの寿命の者が就任するのは意味がある。画期的じゃ」

「その時間のほとんどは、神の御許におられる勇者様へ、とりなしを願う祈りに費やすことにいたしましょう」

「届くじゃろうよ……祈りの力に、影響が出ねば……」


 ミュリエラが言いよどむ。


「……ミュリエラさん。やはり、お気づきで……」

「うむ……減じておるのう……」

「……魔力……ですよね?」

「この世にあまねく満ちておるはずの魔力。すべての魔法の源となる魔力。わらわほどの者でも注意せねば気づかぬほど、わずかに減っておる」

「魔力が減る? そんなことあるのか?」オルソンドが言う。

「魔女とエルフが揃ってあると言えば、あるのだろうよ。素養のない儂らにはわかりようもない」とボゴン。

「世界の相が変わる前触れでしょうか。魔力が減じれば、神の御わざにも差しつかえがありますか」パルシスは心配げだ。

「まだ分からぬ。おぬしも、調べてくりゃれ。聖都へ移れば、閑もできよう」


 宴がお開きとなり、ミュリエラは下女に導かれ、用意された寝所へ案内される。

 その途上で彼女を呼び止めるものがいた。


「グリューデン女伯爵殿。お休みかな」


 響き渡るような声は武人の証しだ。メーノン王国第一陸戦卿──近衛騎士団団長を兼ねる、メーノン王国軍の元帥──名は、確かコロテル。爵位は、ええと……


『リンドン公爵でございます、ミュリエラ様。王の係累で、継承順位は第十二位』


 ミュリエラの耳元で、そっとビブリオティカがささやく。

 これこそ、この魔法のマントの恩恵だった。ミュリエラが見聞きした知識を蓄えて、つい忘れても耳打ちで助けてくれる。


「これは、夜分に失礼。リンドン公爵殿下」

「いやいや声をかけたこちらが悪いのだ、女伯よ」

 コロテルはミュリエラに付き従う案内の下女を一瞥すると、今度はミュリエラがその指に嵌めているグリューデンの印章指輪テールヤクリンに目をやった。

「我らの一員になられたご気分はいかがか」

「身に余り、困惑しておりまする。本来、今は亡き勇者に授けられるべきものでございますゆえ……」

「英霊、リアスタンの魂に安らぎあれ」

 コロテルは首を垂れた。

「ところで、爵位と言えば、女伯爵殿。我らには主君の恩寵に報いる義務がござり申すことはご存じかな」

「存じ上げておりまする、公爵殿下」

「そのことで、いずれ、相談を受けてもらいたいのだが」

「魔王軍残党の掃討……でございましょうや?」

「それもある。だが……」

 コロテルの声が低くなる。

「メーノンの栄光を考えた時、敵は魔物だけとは限らぬ」

「わらわはこれまで魔物しか屠ったことがございませぬ」

「承知しておる。が、存念を聞きたいのだ。そこもとには王家への奉仕の義務を果たし、召集に応じる意志はあるかと」

「いささか時間を要しまする、公爵殿下。わらわの賜ったグリューデン伯爵領はただの森でございますゆえ。切り拓き、移住者を募り、田畑を耕し、それから──」

「意志をたずねておるのだ、女伯爵!」

 コロテルは苛ついていた。武人につきものの気性だ。

 ミュリエラはやや間をおいて、静かに答えた。

「わらわの魔術の技は、人の世のために用いるべきもの。人に牙を向けるものではないと、胆に銘じておりまする」

 コロテルはじっとミュリエラを見つめた。

「いずれその時は来よう。では、お休み」


 案内された寝所で、ミュリエラは窓を開け、そよぐ風を味わっていた。

「やはり……世界から魔力が減っておる。局所的な現象かと思っておったが……」


 すると、扉をノックする者がいる。


「誰じゃ?」

「宮仕えのものでございます……お夜食をお持ちいたしました」

 迎え入れると、下女がパンとチーズ、酒瓶とゴブレットを盆に載せて運び込む。

 テーブルに品物を置くと、そそくさと退去していった。

 ミュリエラはそれらの品物に意識を集中する。


「……ビブ。意見を申せ」

 ミュリエラの声は聞こえないほど静かだ。

『お考えの通りかと。パン、チーズ、酒ではございません。ゴブレットですね』

「正解じゃな」

『下女も扉の外で控えております』

「わらわが倒れる音を待って耳をそばだてておるのであろう……」


 ゴブレットの内側に毒が塗ってある。ミュリエラは魔法の技でそれを見分けることができた。犠牲者が倒れたら素早くゴブレットをすり替え、痕跡を消す……。


「やはり先ほどの問答がまずかったかの」

『公爵とは限りません。王であるかも』

「どちらでも変わらぬ。結局、わらわの力が手に入らぬとなれば除くということじゃ」

『提案を受けるという選択肢はありませんか?』

「ありえぬ」ミュリエラは言い切った。

「人の世を守ってきたこの技を。リアスタンが教えてくれた、牙なき人々を守る意義を。わらわは汚すわけにはいかぬ。一介の人間の王国の領土拡張の先兵として働くなど、ありえぬ」


 ミュリエラは窓の外を見た。空にモントが浮かんでいる。メーノン人はかつて「月のように弧をえがく地」に住んでおり、そこから移住してこの地に住み着いたのだという。メーノはモントの古語と推定されている。

 輝く月の光を浴びながら、ミュリエラは独りごちた。


「この世に生きるのはメーノン人だけではないというのに……」

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