間話4 勇者の決意と王女の願い

 月が満ちる日がやってきた。

 シンとノゾミが本格的に迷宮攻略へ向かって数日後のことである。

 ソフィアと何を話し、どんな顔で会い、どう決断をするのか。

 迫る未来の不安に、カイは硬く拳を握りしめる。

 時刻は夕刻。

 すでに訓練を終えた騎士は各々部屋へと戻り、訓練場にはカイと団長のアステルだけが残っている。

 

「今日は一段と気合いが入っていたようだが」


 アステルが剣を磨きながら、ポツリと呟く。

 

「そうですかね」


 マインド的にはいつもと変わりはなかったのだが。

 そう言われてみれば、剣を握る拳に力を込めていたのかもしれない。

 いつもより、腕の疲労が溜まっている。

 

 シンは無事、迷宮の最深部にまで到達できているだろうか。

 セレーヌ・ディアベルリア副団長に、シン、そしてノゾミと来た。

 さらには、セキメタス大森林から使者としてやってきた、精霊の加護を有する少女もついている。

 この上ないパーティメンバーだ。

 もしかすると、自分はお役御免、なのだろうか。

 それはそれで少し、寂しい気持ちもする。


「最近、思い詰めた顔をしているな。ソフィア様のことで何かあったか?」

「いえ、特にはありませんが、わからないことだらけで、正直疲弊しているのかもしれません」

「お前は頑張りすぎる傾向がある。少しは休めよ」


 ぽんと、肩に手を置かれた。

 カイはアステルを師匠として慕っている。

 こういう時、師匠の優しさは身に染みる。


「そういえば今夜、急遽お前が護衛につくようになったみたいだが、大丈夫か?」

「ええ。もちろん。あと、事件の目星もつきました」

「それは期待しているぞ。俺は犯人探しは得意じゃないんだ」


 そのように話していると、アステルが突然顔を顰めて、はるか上空に視線をやった。

 つられてカイも頭を上げる。

 何事だ。


「む」

「どうかしまし……」

「緊急!! 緊急!」


 王国全域に、魔道具による緊急警報がけたたましく鳴り響いた。

 こんな警報、今まで聞いたことがない。

 それとほぼ同時に、夕刻の空模様が突如として黒に飲み込まれた。

 あたり一面が夜のように暗くなり、上空に渦のようなものがいくつも発生している。

 禍々しい何かを感じる。


「行くぞッ!! カイ!!」

「……はいッ!!」


 剣を携えて走り出す団長に続いて、カイも王城へ向かって地を蹴った。


◇◆◇


「北東から巨大な魔力が近づいてくるのを感知しました。これはおそらく、氷竜……でしょう……」


「な、何故急に厄災級の魔物が接近してくるのですか!」


 極秘の緊急会議が開かれた。


 宰相のエドワード、カイ、団長のアステル、その他の上級大臣が席に座って国王の指示を待つ。

 アステルは「あまりにもおかしい」と、現実を受け止められずにいるようだった。


 氷竜は厄災級の魔物だ。

 国を一つどころか、いくつも滅ぼす力を持つ。

 吸血鬼には遠く及ばないものの、人類からしたらどちらも手に負えない災害だ。


 それが、王国に近づいてきている。

 そうだ、ソフィアは?

 ソフィアは無事だろうか。


「ソフィアは無事ですか?」

「ああ、勇者カイよ。ソフィアは部屋に居させておる。今は騎士が護衛中のはずだ」


 国王がそう答えると、少しカイは安心した。

 部屋にいさせるのは良い判断だろう。

 もし敵がこの状況を事前に知っていた場合、下手にソフィアを部屋から出せば、それこそ敵の思惑通りになってしまう。

 しかし、カイは頭を悩ませた。

 その仮説が正しいのならば、事前にカイがしていた予想が大きく外れる事になってしまうからだ。


「これは、異国からの襲撃に違いありません」

 

 上級大臣の一人がそう進言する。

 確かにその可能性も拭えないが、今はそんなことを言っている場合じゃない。


「今は民の避難が先決だ」

「具体的にどうする、アステルよ」

 

 王がアステルに訊ねる。


「まずは隣国へ民を逃すのはどうでしょう。隣国への使者は到底間に合いませんので、鳩を使います」


「ふむ。貴殿はどうする」

「私と騎士団の一部で、竜を引きつけます。少しは時間が稼げるでしょう」


「ま、待ってください。団長が行くなら、俺もそのようにします」


 カイは唇を固く結んだ。

 団長だけを死にに行かせる訳には行くまい。


「お前はソフィア王女を守れ」

「しかし……」

「王女を守れるのはお前が適任だろう。判断を見誤るな」


 アステルが怒気を込めて言った。

 確かに、彼の言う通りだ。

 相手はあの竜。

 カイが参戦しようがしなかろうが、微々たる影響しか与えられない。

 ソフィアに何かあれば、それこそ、この国は終わりだ。死なせる訳には行かない。


「良かろう。冒険者ギルドと傭兵ギルドにも緊急の要請をし、氷竜討伐に出向かせる。上級大臣は各領主に通達し、速やかに民を避難……」


「大変ですッッッ!!!!!」


 ルラルド王がそう宣言しようとした瞬間、大きく会議室の扉が開かれた。

 そこに立っているのは、先ほどまでソフィアの護衛をしていた、一人の騎士である。


「何事だ! 今は会議の……」

「ソフィア王女が……行方不明になられました!」


 そう騎士が叫んだとき、カイはすぐに走り出していた。


◇◆◇


 走っているはずなのに、地面に足をつけているという感覚がなかった。

 浮遊感に苛まれ、まるで現実とはかけ離れた世界にいるかのようだ。

 外はより暗くなり、地面が揺れる。

 強大な魔力がこちらへ近づいてきているというのが、ひしひしと感じる。


「ソフィアがいなくなった時の状況は?」


 カイは冷静になるように努めた。

 訊ねられた騎士が、顔を青白くさせて答える。


「ソフィア様に、部屋の外で護衛をしてくださいと、頼まれ、私は外で見張りをしておりました」

「その間、確認はしなかったのか?」


 カイのあまりの剣幕に、護衛をしていた騎士が膝から崩れ落ちる。


「いえ、もちろんしておりました。時折呼びかけて、返事を確認していましたが、突然、反応がなくなり」


「音は? 誰か他の魔力は?」

「一切ありません。魔道具も反応を示しておりませんでした」


 魔力を探知できる人間は少ない。

 しかし、魔力を探知する魔道具はある。

 この魔道具が反応を示さなかったのは、故障によるものではないことは、カイも確認済みだ。


 ソフィアの部屋に入った。

 やはり、もぬけの殻だ。


「暴れた形跡なし……か」


 辺りを見回すと、部屋は綺麗だった。

 窓ガラスは割れていないし、血痕もない。

 音もしなかった。

 一体どいうことだ。まさか、転移でもさせられたのか?

 

「指輪……。どうしてこれがここに」


 ふと、机の上を見ると、彼女があれほど大切にしていた青の指輪が、丁寧に置かれていた。

 確か、これは彼女の魔力暴走を止めるのに重要な役割を果たしていたはずだ。


「おい、お前」

「はい……!」

「警報がなった時と、ソフィアがいなくなった時、どちらが先だ」

「確か、警報が鳴ったのが先でした。その後に声をおかけしたところ、反応がありませんでした」


 カイは頭を整理した。

 ひとまず竜のことは置いておく。

 部屋の状況的に誰かが侵入したとは考えられにくい。

 部屋の窓は特殊な防御結界を施したガラスだ。

 窓は開いてはいるが、きちんと鍵が開けられている。

 中から開けなければ、このように綺麗な状態にはなるまい。

 そして指輪だ。

 なぜ彼女はこれを外したか。

 手紙も関係ある。明らかに彼女は手紙でカイをこの場に来させようとした。

 

「俺に探せっていうことか?」


 魔力があるこの世界で、窓から外へ逃げ出すことなど容易である。

 指輪を外し、彼女が魔力暴走を起こせばどうなる? この今の状況が、彼女の暴走によるものだったら、どうなる。


「すまない、行かなければならないところができた。俺が必ず彼女を連れ戻す」


 カイはそう騎士に伝えると、そのまま王城を後にした。



◇◆◇


 

 時計台は、ルラルド王国の中心である。

 歴史を背負い、数多もの困難を乗り越えてきたこの時計台は、今なお現存している。


 王城とほぼ同じ高さの巨大なこの塔から見える景色は、暗黒に包まれていた。

 不穏な魔力の渦がひしめき合い、怯えるように大地が、森が、山が震えている。


 その塔の中心に、彼女はいた。

 金髪が風に揺れ、ただはるか遠くの景色の一点を見つめ続けている。

 それはまるで、誰かを待っているかのようだった。

 

「ここにいたか、王女様」


 激しく呼吸を乱した声が、王女の背中にぶつかった。

 彼女は肩をびくりと震わせたが、しかし、振り向こうとはしない。

 声をかけた男は、コツコツと足音をさせ、ゆっくりと彼女に近づいた。


「これ以上近づかないでください。勇者カイ。私はあなたを殺したくはありません」


 カイ、と呼ばれた人物は、ぴたりと足を止める。

 彼は未だ振り向こうとしない彼女の背中を見つめ続ける。


「あの予告状は、ソフィアが書かせたものだった。そして、この空の渦も、魔力も、ソフィアが仕組んだ。……違うか?」


「……ええ。おっしゃる通りです」


 簡単に、ソフィアはそれを認めた。

 カイは冷静に、次の言葉を続ける。


「俺には、分からないことがある」

「何ですか?」

「どうして、わざと足がつくような方法を選んだ。今考えると、お前はいつも会話の中にヒントとなることを織り交ぜて俺に伝えていた」

「……」

「どうして、こんなやり方で俺を呼び出したんだ」


 カイは口を閉じた。

 

「父、ルラルド王は病気で、それほど長くはありません」


 ポツポツと、ソフィアが言葉を続けた。


「私がこの国の王女になるのは、そう遠い先のことではない。私はその時、隣にいる人があなたであれば良いと思っております。いえ、あなたでなければならない」


「お、俺が……」


 カイは明らかに狼狽えた。

 ルラルド王が病気など、まったく知らなかった。そんなそぶりもなかった。

 しかし、事は秘密裏に進められていたのだ。


「私はあなたが思っている以上に、あなたのことを信頼し、愛し、認めています」


 もっと、知りたかった。

 もっと、側で話をしていたかった。

 ずっと、一緒にいていたかった。


「だから、私はわざと自分に向けて予告状を出し、あなたを護衛につけさせ、極めつけにこうやってあなたをここへ呼び出したのです」


 ようやく、カイは理解した。

 代行者ギルドで代筆を依頼したのは、予告状を出したのは自分自身だと、カイに悟らせるためだった。

 指輪の話を持ちかけ、時計塔の話題を出したのはカイがこの場所を真っ先に思いつくようにするためだった。


 渦が強くなる。

 徐々にソフィアが纏う魔力の壁が分厚く、激しいものになっていく。


「どうして、そんな回りくどいことを。直接言ってくれれば……」


「直接言っただけでは、あなたを動かすことはできませんでした。あなたは勇者であること、勇者としてやらなければならない事に責任を感じている。それではいくら説得しても、意味が、ない」


 ああ。

 ソフィアは示していたのだ。

 カイがこれまで悩み、自らの力量の不足を嘆き、存在する意義を追求してきたことへの答えを、彼女はこうすることで示していたのだ。


 塔の下では、数え切れないほどの民で溢れかえっている。

 カイは改めて思った。

 彼らを、守るのは無理なんだと。

 あまりにも自分には重圧で、あまりにも努力の範疇を超えていて、それは本当の勇者、もしくは英雄でなければ、成し遂げられない。


——自分は勇者の器ではない。


 今はただ、こうして、目の前の少女だけを守り抜くことに、力の限りを尽くしている。

 目の前の彼女だけを守ることで精一杯なのだ。


 ソフィアの笑顔が、頭に焼きついて離れない。

 これまで共に時間を過ごしてきたあの時間が、今はたまらなく愛おしい。

 互いに絡めた細い指が、その温もりが、優しが、思えば彼を突き動かす原動力になっていた。

 

 ソフィアのためだけにこの剣を振いたい。


「ソフィア、こっちへこい」

「いけません。あなたを、殺してしまう……。もう大事な人を殺したくはないのです」

「俺は、死なない」


 カイは一歩、彼女に向かって踏み込んだ。

 その刹那、体にまるで電流が走ったかのような痛みが広がる。

 苦悶した。激しい痛みで失神しそうになる。

 だが、倒れる訳には行かない。ここで無様に倒れる訳には行かない。

 カイは喀血した。しかしまた一歩踏み出した。

 今度は一瞬、意識が飛ぶ。

 それでも、痛みを使って体を叩き起こし、次の一歩を進む。

 

 ソフィアが振り返った。

 見るとその頬には、大きな涙が伝っていた。


「忘れ物だ……。大事な物だろ」

「カイ様……」


 カイはその場に跪いて、ソフィアの手を取る。

 持っていた青の指輪を彼女の指にそっと通した。

 それは青く光り輝き、魔力を収束させる。


「俺は、ようやく、俺がやるべきことを、俺がこの世界に存在する意義を見つけた。お前のおかげだソフィア」


「俺はただ一人の王女を、命を賭して守り抜く」


 カイがそう宣言すると、ソフィアの目からとめどなく涙が溢れ出した。

 嗚咽し、泣け叫び、もう絶対離さないと言わんばかりに、彼を抱きしめる。


 全ての魔力が収束した瞬間、渦が消え、光り輝く星空がその顔を覗かせた。


 大地は鎮まり、氷竜は踵を返す。


「勇者カイ。私はあなたに、王女直属の守護騎士になることを願います」


 時計塔は歴史を刻む。


 ある時は、国の存亡をかけた戦を見守り。

 ある時は、剣王の英譚を紡ぎ。

 またある時は、王女と一人の剣士の誓いを見届ける。


「これより私は、あなたを守る剣として、この命を燃やすことを誓います」


 守護騎士カイが宣言すると、それを祝福するかのように、王国の中心の大きな鐘が、国中に届けんと言わんばかりに鳴り響いた。

 

 間章 完 

 

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