第3話 碇
「「おーえす、おーえす」」
「「ようそろー、ようそろー」」
黒山のペンだかりが列をなし、皆々が声をかけて力を合わせる。
氷床のうえを彼らが曳くのは、長い長い鎖である。輪のそれぞれがペンギン一羽ほどもある巨大な鎖は、その端を、銀色の金属塊に繋がせていた。金属塊は「ω」の形をして、起こしたならば小山ほどもの大きさのある、碇だった。こんなこともあろうかと、いにしえの折に長老が用意していたものである。
碇も、鎖も、ずいぶんな重さがあったが、ペンギンたちがいざ集まれば、氷の上を滑らせることくらいはできた。この碇を地上に落とし、大気圏流氷の南下を制止するのだ。
「「おーえす、おーえす」」
「「ようそろー、ようそろー」」
ペンギンたちはお祭り騒ぎだ。陽気にリズムを囃して鎖を引っぱる。ずっ、ずっ、と碇は曳かれ、碇には神輿よろしく長老が立ち、豪奢な大漁旗とおしりをふりふり、ナギサペンギンたちを鼓舞する。
「どうしてひとりで行ったのさ」
と、コペルニッケに訊かれた。好奇心のかげに、非難の色をわずかでも感じたのは、ペンタロウの思い込みだろうか。
ペンタロウもコペルニッケも、この綱引きに参加していた。ぎゅうぎゅう詰めのペンギンたちに押されながら、喧騒にまぎれて、他愛のない言葉を交わす。
「どうして、って」
「その塔はずっと南で見つけたんだろ。僕も誘ってくれればよかったのに」
冒険をするとき、ペンタロウの傍らにはコペルニッケがいて当然だった。なのに最近誘わないのは、コペルニッケが音楽に夢中でいるからだ。
ふたりで拾い集めた軌道に漂うガラクタを、コペルニッケは組み、彫刻をして、背丈の何倍ほどもの聴音器を作りあげた。沖に流され助けを求めるペンギンの声、居眠りをする長老のとぼけた寝言、夫婦げんかに、愛のささやき。ふたりで盗み聞いてはおもしろがったが、やがてコペルニッケは、宇宙の背景放射に歌が隠れているのだと言い、歌を聴くことに傾倒した。
ペンタロウには、音楽がよくわからなかった。
宇宙の潮騒に歌があるとは思わない。
歌は、誰かの心の響きであるからだ。
だから、いつか地上を冒険しようとふたりで交わした約束をこそ、思い出してほしかったけど、コペルニッケは聴音器を地球に向けることはしなかった。
――だって忙しそうだったから。
と、返すのはしかし卑怯だと、ペンタロウは踏みとどまった。かわりに『スペースサメハンター』の話でもする。
「碇っていえばさ、エピソード5のデスフラグ大佐、思い出すよな」
「思った! あれはもうさあ、神回だよね」
「ユリシスターズ号の反重力碇も、このくらいの大きさがあったのかな」
「うーん、どうだろ。こういう、モノ的な碇じゃなくて、何らかの力場みたいな、目には見えない感じじゃないかと、僕は思うな」
火星近域にて、スペースコバンザメ軍団の新兵器・波面合成
「ああいう最期は、ロマンだよなあ」
と、ペンタロウが嘆息すると、早くも思い出し涙を浮かべていたコペルニッケは、語気を荒げた。
「最期じゃないよ! デスフラグ大佐は、デスフラグ大佐は必ずまた現れる。不死身なんだよ、あの人は」
「気持ちは汲むけど、あの展開で死んでないって、あるのかな」
「構造を考えたらわかるんだ。あらゆる物語が神話の韻を踏むように、英雄譚には構造がある。音楽と同じさ。それに、真の盟友は、途中で道を違えても、その行きつく場所は同じのはずだろ」
音楽、か。
ペンギンの群れに押されながら、ペンタロウは鎖を引く手に力を込めた。
「「おーえす、おーえす」」
「「ようそろー、ようそろー」」
綱引きは佳境となった。長い鎖の一部は流氷の端から地球に垂れて、そのきわに、巨大な碇が追い詰められる。それを、ぎゅうぎゅうのナギサペンギンたちがさらに押し、ついに、大気圏下へ落としこむ。
碇はふわりと、大気層に浮いたかに見えたが、それは一瞬のことで、碇はみるみる地上に落ちて、小さくなった。落ちる碇に引きずられ、鎖もものすごい速度で空に吸い込まれてゆく。音速を超えた衝撃波が幾重にも輪を作り、炎が、大気に赤く引っ掻き傷を描く。
事件が起きたのはそのときだった。
まだ氷床上にあった鎖の、とぐろを巻いた部分が、獲物を見つけた蛇みたいに奔り、氷の大地を削ったが、その勢いに触れ、何羽かのペンギンたちが吹き飛ばされてしまったのだ。そのなかにはコペルニッケの姿もあった。
「コペルニッケ!」
ペンタロウは毬みたいに跳ねると、流氷の端から飛びこみ、気を失って降下するコペルニッケを一直線に目指した。磁場の乱れがいくつもの不規則な渦をつくり、翻弄したが、それでもペンタロウはコペルニッケから視線を外すことはしない。
そうしてもがきながらもコペルニッケに到達すると、ペンタロウはその手羽を掴んだ。
コペルニッケはすぐに意識を取り戻した。他の何羽かのペンギンたちも助けながら、ふたりは安全な高さまで浮上した。
眼下では、ちょうど碇が地上に達したころだった。
長老曰く、ミルコメダ鋼で鋳られた碇は地球の大地などは豆腐みたいに穿って、岩盤にまで到達できる。そうして砕かれた地上からは、キノコ状の爆煙が沸き、小さな大陸を覆うように広がった。
ふと、ペンタロウは閃いた。
「この鎖をたどれば、安全に地上に降りて、また、帰ってこれるんじゃないか」
それは素晴らしい考えに思えた。星の全球が視野いっぱいに広がって、電撃が全身をほぐしたみたいな気分になった。
そうしてドキドキしながら、傍らのコペルニッケを見やると、コペルニッケは答えた。
「地上からも、遠い銀河の歌が、聴けるだろうか」
*
ペンタロウは今日も塔を眺めている。
大気層と宇宙の境、日の出の折に陽光が撫でる星の界面あたりに漂いながら、塔の麓、遥かな地上に想いを馳せる。
碇の投下により、流氷の南下は制止され、塔との衝突は避けられた。
それでも事故を避けるため、長老はペンギンたちが塔へ近づくことを禁じたが、ペンタロウは気にしない。物言わぬ塔とふたり、時間を潰して日々を過ごした。
宇宙は、ちょっと焦げたような、それでいて甘さのある味がする。地上はどんな匂いがするだろう。そもそも、匂いというものはあるのか。
変化が起きたのは、そんなある日のことだった。
空の底、巨大な塔がか細い線にしか見えない低空で、何かが光った。
ペンタロウは目をこする。それは気のせいではなくて、塔の直線をたどって、何かがゆっくり昇ってきている。やがて、上昇の動きは滑らかになり、相当の速度をもつらしいことがわかった。
輪郭が明らかになる。塔の円筒にぴったり沿ったリング状の形をして、塔表面を滑るようにして向かってくる。
その無機質なディテールまで視えたかと思えば、リングは一瞬でペンタロウの浮く高度を通過し、過ぎ去った。
慌てて見上げる。
リングは塔の先へ、まっ黒な星々の海に向かって、もうあんなに小さくなっている。
おや。
けれども、リングは動きを止めたようだった。それからこちらに引き返してくる。ゆっくり、ゆっくり、降りてくる。
そうしてペンタロウの目線まで戻ったリングを見ると、意外に大きく、二階建てほどの高さがあった。
リングは完全に停止した。
扉が開き、現れたのは、頭に透明な球をかぶったペンギンだった。
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