第6話

「……それで、可愛い店員さんを時間のかかる駅向こうまでお使いに行かせた理由はなぁに?」

 カラン、とドアベルが鳴り響いた後の店内、カウンターに座っている立花と悟に呼ばれた女性は、店にいる他の客には聞こえぬよう密やかに口を開いた。

 その口調は、お使いに出た美弥子がいた時とは大分違い、砕けている。

「あー……まぁ、大体わかってんでしょう。こいつの事ですよ」

 同じく声をひそめて苦笑を返す悟は手のひらの下、いい子で撫でられているトイに視線をやった。

 ひといきの店内には、雰囲気を損なわぬ程度の音量でゆったりとしたBGMが流されている。店に残るもう一人のお客は、奥まった席で一人、イヤホンを聞きつつ、こちらに背を向けた位置で本を読んでいるらしい。あれならば声をひそめた二人の会話はほぼ聞こえないだろうと悟は諦めたように話し始めた。


 実は、この立花という女性は、悟と不破の同期であり、トイ関連の術の使える術師だった。

 この世界において、術が使えるというのはそこまで珍しい事ではない。全人口の3割程が術を使える素養を持っていて、幼稚園や小学生の頃に適性検査がなされるのだ。

 もちろん術が使えるといっても、程度は人によりけり。ほんの少しトイと話が出来るというだけの人もいれば、トイに関する記憶を無くさせたり見えなくさせたりする事ができる人もいる。そこは元々の才能と少々の努力である程度なんとかなる位の差だ。

 術師として仕事をすれば給料がいいかというとそこまで一般の人との違いはあるわけではないため、希望するか否かは本人に委ねられる。

 実際、術師としての職もそこまで多い訳ではないし、他の職に就きたいと思う者は無理に勧められる事はなく、一般の職に就いている。

 市役所の術師課には術が使える人達の中でも公務員試験と術師資格2級以上に合格した人だけが勤めることができるため、ある意味では国家公務員になれるという職種は広がるかもしれないが。

 立花は術師としての素養はあったけれど、一般職に就くことを選択した一人だった。

「トイちゃん、いい子にしてる……っておさえてたのね。あ、って事はもしかして、また?」

「また、だよ……。はぁ、ほんと、どうにかなんないかなぁ、こいつのぺったり病」

 悟は心底困った、というように深くため息を吐き出しながらがっくりと項垂れて見せる。話題の中心である自覚を全く持っていない悟のトイはというと、美弥子が出て行ってしまったドアの向こうを寂し気に見ていた。

「さっきの彼女に?」

「ああ……ふらふらっと寄ってっちゃくっつきそうになるんで、そのたんびに捕まえてトックスにいれたり胸ポケットに入れたり」

「なるほどねぇ……」

 喫茶ひといきの店長・阿部悟は、外見はゆるいパーマの濃緑の髪で、目鼻立ちはくっきりとしたイケメンだ。パッと見は精悍さもあって近寄りがたいのだけれど、笑うと纏っていた雰囲気が柔らかく丸くなるため、若いころからかなりモテていた。

 世間からのイメージは大人で頼れてかっこいい、仕事もバリバリ、でも緩むところは緩むというような、一線をきっちり持ってるお兄さん、という感じなのだろう。

「こーんなにかっこよくて、頼れるお兄さん風なのに、実体はこう、だもんねぇ」

 立花が見る先で座る悟のトイは、まだ美弥子が出て行ってしまったドアの向こうを切なげに見ていた。

 キミの事だよ、と言わんばかりにその額をつんと指先で小突く。けれど悟のトイは気にせずにドアの向こうを見つめたままだ。

「私は阿部くんが気にしすぎてるだけだと思うけどなぁ。別に気にしない人はいっぱいいると思うよ?ギャップ萌えとか良く言うじゃない」

「そりゃ他人事だからだろ。自分の相手がそうだってなると別モンらしい。俺は人前じゃやんないけどさ、コイツがくっつくのもイヤなんだと」

 ようやく見つめるのをやめた悟のトイは、代わりにとでもいうように、悟の腕にぺたりと全身をつけるように抱きついた。

 コレが二人の言う『ぺったり病』だ。ぺったり病というのは、阿部を含む仲間内だけで言っている造語だけれど、そうとしか言いようがない。

 悟のトイは、というか、悟は、実はかなりのくっつきたがりだった。

 頼れそうな外見でありつつもコミュニケーションなれしている所からか、さっぱりしていそうな性格と思われがちだけれど、その実、自分の彼女に対してはかなりの世話焼きだ。あれこれしてやりたいし、いつだってくっついていたいし、出来るならずっと一緒にいたいしべたべたしていたい、という重たい面がある。

 トイにもその性分は反映されてしまう。というか、まぁ、本人そのままなので、もちろんトイもそうなるに決まっている。

 本体である悟は、TPOをわきまえていて出かけている時や、他の人が居る時は程々の触れ合い(それでも手を繋いだりはしていたい)で我慢するけれど、トイはそうはいかない。

 いつでもどこでも相手のトイとくっついていたいし、ぺったりと全身で抱きついていたい。街中でも人前でもそれこそ相手の友達がいる前だってお構いなしだった。

「可愛いものだと思うんだけどねぇ……今までの相手が悪すぎたとか?」

「場所も時間もお構いなし、じゃなぁ……なぁおいわかってるか?」

 悟は腕にぺたりどころかべったりと抱きついているトイの頭をもう一度小突きながら言い聞かせるように呟く。

 歴代の彼女達には、トイのこのぺったり病が原因で振られてきた。

 最初のうちは、ある程度許容されているけれど、一か月二か月と時間が経つうちに、どこでも抱きつかれる事に辟易してくるらしい。それどころか明らかに拒絶するようなそぶりをし始める。

 トイの感情は本体にも影響するため、トイが嫌がっているというのは本体の感情に直結する。

 そうして悟は「こんなに重たい人だなんて思わなかった。と言われて振られまくってきたのだった。

 そんな訳で、悟は会社にいたころ、立花が術師である事を知ってから自身のトイについて、どうにかならないかと何度か相談していたのだ。

 今日彼女が来たのは、もちろん不破からこの店の事を聞いたからなんだろうと思うけれど、悟にとっては渡りに船、丁度いいタイミングだった。

 最近になって、また悟のトイのぺったり病が始まってきたから、どうしたらいいものかと頭を悩ませていたので。

「でも、こう……トイちゃんのその性質は、どうにもならないし、むしろ可愛い部分として受け取る方がいいわよ?ずっと抑圧しちゃうと、行き場がなくなってしんどくなっちゃうと思うから」

「わかるんだけどなぁ……」

「んーいい香り、……へぇ、美味しい。あ、というか、ぺったり病が発動してるって事は……阿部くん的には彼女がそういう相手って認識に?」

「どうも。って、あ~~~…………うん、いや、まぁ、なんていうか……まぁそう、だな……ったく、コイツがいちゃ、なんも隠せやしない」

 立花が珈琲をひとくち啜りながらカウンターを挟んだ向かいに立つ悟に聞くと、しぶしぶながらも認めざるを得ない状況だからか素直に頷いた。

「へぇー、ほんとに美味しい。不破が言ってた通りね。阿部くんお店やって正解じゃない。会社勤めよりもよっぽど合ってるわよ」

「それは俺も思ってる。書類仕事してるよりこっちの方が性に合ってるんだろうな」

 立花が声量を普通に戻して珈琲を褒めると、話題が逸れたことに安堵したのか、あからさまにホッとした顔をして悟も至って普通の会話です、というようにのってきた。

「美味しい珈琲と美味しい軽食、それにゆったりのんびりした雰囲気の素敵な店内に、イケメン店主と美人な店員のいるお店……え、ここかなりの穴場じゃない?」

「そりゃどーも。イケメンかどうかはおいといても、素敵な店内と美人の店員は同意しとこう。これからも是非ご贔屓にしてくださいな」

「そりゃもう、何度も来ちゃおうかしら。……阿部くんの恋路も気になるし?」

 再びひそめた声の内容に悟は、ぶっ、と吹き出しつつも、苦笑し頷いて見せたのだった。

「気にするほどの事じゃないですよお客様。……これ以上どうこうするつもりもないしな」

 慇懃な物言いで否定した悟は、諦めたというような、どこか寂し気な表情をしながら呟いた。

「え……どうこう、しないの?」

「しないよ、俺がいくつだと思ってんの。あ、それは立花もか」

「残念でした、私は結婚したんですー」

「マジか、そりゃめでたい。んじゃせめてものお祝いに今日の代金はナシでいいよ」

「んふふー、ありがとう。お言葉に甘えちゃおうかな。……阿部くんほんとにいいの?トイがしんどくなるわよ?」

 立花の声音はからかうようなものではなく、本当に悟を心配してくれているのだと窺えた。だからこそ、悟も真面目な顔で彼女に返事をする。

「もう俺もいい年だし、あの子とは10以上離れてる。今は気にならないとしても、どうしたってこの歳になれば先の事を考えちまう。結婚して一緒に長く暮らした後は?寿命を考えたら20年近く一人にさせて寂しい思いをさせると思うと、とても耐えられないんだ」


 悟が前の店主である好々爺から喫茶ひといきをたった一人で譲り受けたのは6年前だ。珈琲を淹れる腕を磨きつつ、店内を整えて。以前からの常連客の店離れや新しい常連を確保したりと、四苦八苦しながら始めて、なんとか余裕が生まれてきた頃に美弥子をバイトとして雇った。

 バイト期間も気付けば二年経過して、口車に乗せられるようにして彼女を正社員として採用して、そこからさらに二年が過ぎて三年目。

 正社員として雇った前後あたりからだろうか、美弥子から送られる視線に色がついた事は解っていた。

 でも、その頃はまったくソノ気はなかった為に、解っていながらスルーしていた。別に悪い感情じゃない。それに悟自身が女性から好意を持たれる事に慣れていたというのもあった。

 ただ、美弥子を正規採用した一年目は、放っといたのが仇となったと本気で思った時期があった。悟へのアピールのつもりだったのだろう、店の雰囲気や接客の邪魔になりそうな事ばかりしてきて、解雇するか否かを迷う位には悩んでいた。

 けれど、それも二年目になって、ぱたりと鳴りを潜め、アピールの方向性を変えたのか瞳の色が変わったのがわかった。

 接客の技術を磨き、巷のいち喫茶店のしがない店員だけれど、それでもできるかぎりの丁寧さとおもてなしを、と気を配り始めたのが目に見えてわかるようになってきたのだ。

 そうして、今、三年目。すっかり様になった店員としての所作は店長としてとても誇らしくて、そして自信を内に秘めた……あまりにもイイ女になった、なってしまった。

 見つめている悟が、時折、くらりとする程に。

 悟のトイがふらふらと美弥子のトイへ歩みより、ぎゅうと抱き寄せようとしてしまいそうになるほどに。

 だから、悟はトックスへ入れるようになったのだ。

 これまでは、自分も店にいてきちんと全体を把握出来ている時ならば、トイの行動を見ていられるから、動きそうになった時に撫でたり胸ポケットへ移動させたりして、なんとかなっていた。

 けれど、ここ何週間かは、どうも自分の感覚がくるってきている。

 おそらく、彩矢と優斗が付き合い始めた頃からだ。

 仲睦まじい二人を見て、羨ましく思いでもし始めたか、それとも自分だってと思う気持ちがでてきたのか。

 ふと気が付けば、店内に気を配る美弥子の様子を、笑顔で接客する彼女の横顔を見てしまっていて、悟のトイが美弥子のトイへふらふらと歩み寄るのに気が付くのが遅れてしまう事がしばしばでてきてしまった。

 駄目だ、と思った。

 これじゃ、バレるのも時間の問題だろう。

 そう思い、心を律しておけない、自制がきかなそうな日は、朝から晩まで、店がある時間のほぼすべてをトックスへ入れておくようになってしまったのだった。


「寂しい思いをさせるよりは、自分が我慢すればそれで終わるなら、その方がいいよ。彼女はまだ若いし、きっとすぐに次が見つかるだろうしね。幸い、客商売だから出会いは沢山あるでしょ」

 どこか思いつめたように話す悟の様子に、これ以上自分が話しても変わらないと思ったのか、立花はひとつため息をついてから、静かに口を開いた。

「考え方は人それぞれだし、阿部くんの考えを否定はしないわよ……。それでも、そんな事ないかもしれないじゃない、って言いたいとは思っているって知っておいて。ただまぁ……言うのは簡単だけど、実際にはどうなるか解らないものね……阿部くんが納得してるなら、これ以上は言わないでおくわ。ああでも、トイちゃんは本当にケアしてあげてね。あの子のトイに近づけさせないつもりなら、せめて自分に抱きつかせてあげたりとか沢山撫でてあげて。その子の行動は、阿部くん自身の心がそうしたいと思っているの。それを否定することは、自分自身の心を殺す事になってしまう……そんな悲しい事、私の知る範囲では出来るだけしないでほしいの。お願い」

 立花はせめてものトイへのフォローを、と自分の思いつく限りをつらつらと話していく。悟はそれを聞き頷きながらも、申し訳ないという顔を崩さずにいた。それはもうどこか悟ってしまっているような、そんな顔だった。

「ああ、ありがとう。気を付けておくよ」

 一言ぽつりと溢したけれど、それは自分に言い聞かせるかのようで、立花はこれ以上悟へ何を言っても変わらないだろう、とわかってしまった。

 飲み終わった珈琲のカップをソーサ―の上へ戻したところで、悟がちらりと壁にかかった時計を見ている。もうそろそろお使いに行ってもらった彼女が帰ってくるのだろうか。

 悟は腕にしっかりと抱きついている自分のトイを一度撫でてから、ひょいと立花の前に置いた。

「ホラ、挨拶しとけ。もうすぐ帰るだろうから」

「随分な言いぐさじゃない?まぁ、私も長居するつもりは無かったけど」

「ごめん、でももうすぐ帰ってくるだろうから」

「そうね。そろそろかしら……ああ」

 悟のトイがカウンターの上に座る立花のトイに手を伸ばしたところで、店のドアに人影が映りこんだ。噂の彼女が帰ってきたに違いないと、立花は隣に置いておいたカバンを引っ掛けて立ち上がる。

「只今戻りました……と」

 カランというドアベルの後に、良く通る艶のある声が戻りを告げる。言いさしたのは立花が立つ様子を見たからだろう。

「ああ、おかえり。暑かっただろ、ちょうど立花が帰るところだから、その後すぐ冷たいもの出すよ」

「お帰りなさい。私はいいから彼女に先に出してあげて、外すっごい暑いわよ」

 にこやかな笑顔を浮かべながら悟は彼女へねぎらいの声をかけた。店員の彼女はこちらの状況を把握したのだろう、手に持った荷物を持ち上げた。

「ああ、いえ、お構いなく……先にこれだけしまっちゃうので」

「そうだね、それじゃそのあとで」

 悟が頷いた事で、立花もそれならと頷く。少しだけできた時間に別れの挨拶をと、もう一度二人は顔を合わせた。

「それじゃあ、また」

 立花のトイが悟のトイへ手を伸ばし、いい子いい子とでもいうかのように頭を撫でると、悟のトイはぎゅうと抱きついてきた。まるで、彼女のトイに抱きつきたいけれど出来ないから代わりにするかのように。持ち主が持ち主なら、トイもトイだわ。代わりにするなんて、酷いなぁと思いつつも、立花はため息をひとつついただけで、何も言わずに店のドアへと歩き出した。

「ああそうだ阿部くん」

 と、そこで大事な知らせがあったんだと思い出し、ドアに手をかけたところで足を止めてカウンターの中でこちらを見ていた悟に振り返り声をかけた。

「ここのこと、不破くんから聞いたんだけど、その時瀬川さんもいたの。多分そんなに遠くないうちに来るんじゃないかな」

「そう、ですか……わかりました。ありがとうございます」

 なるべく平静を装って言ったつもりだったけれど、声が少し硬くなってしまったかも。きっと今の彼にとってはあまり聞きたくないだろう名前。でも言っておかなければ、いきなり彼女が来たら困ってしまうだろうから。

 返した悟の声も強張ってしまった気がする。けれど、これで少しは心構えができるだろう。

「それじゃあ。ありがとうございました、今日は久しぶりにお喋りできて楽しかったです」

「こちらこそ、今日はありがとうございました」

「また来ますね」

 カランカラン、と音をたてるドアを押して、悟へ最後の挨拶をし、名残惜しそうにハグをしているトイへこちらへ来るようにと視線を送る。

 あえて店員の彼女は見なかった。

 軽く手を振りながら後にしたドアの隙間からは、おし、美弥子ちゃんにお駄賃……と、さっきとは打って変わって軽い口調で話し出した悟の声が聞こえてくる。

 相変わらず自分を繕うのが上手だな、と思いながら、自分のトイを一撫でして、立花はひといきを後にしたのだった。

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