第6話 柳生キリコ

 密集した木々の間を縫って飛ぶ一本の矢がキュウリ兵の人間で言えば眉間に当たる部分を正確に射抜いた。

 樹上のエルフの男が放った一矢だ。

 しかしキュウリは一瞬ぐらっとよろめいただけですぐに体勢を立て直し向かってくる。


「やはり効かぬか……!」


 矢を放ったエルフが歯軋りする。

 キュウリ兵の攻撃方法は殴りつけてくるか体当たりのいずれかであり武器を使うことはない。

 また命令者が急かしても出せる速度はせいぜいが人の早足ほどであり走ることもない。

 知能も高いとはいえず単純な命令にしか対応できない。

 では何が恐ろしいのかというと異様なタフさと数である。

 身体が乾くと活動停止に陥るが水分さえ補給されていれば無限に動き続ける。

 休憩も睡眠も必要がなく活動時間が長くなることによるパフォーマンスの低下もない。

 恐れや痛みの感覚もなく怯むということがない。

 手足に当たるパーツを失おうとも残った部位で命令を完遂しようとしてくる。


 なので行動不能にしようと思ったら徹底的に破壊するしかないのだ。

 そのあたりが弓を得意とするエルフとは相性が悪い。

 矢ならいくら突き立てられようが構わずに向かってくる。


「お前らの得意の弓は効かねえんだよ。大人しくキュウリの餌食になりやがれ……!」


 キュウリ兵の群れの後ろでセルゲイがほくそ笑んでいる。

 エルフに見つかると自分が的にされるので小声である。


 その時キュウリ兵の群れの真ん中に誰かが単身で飛び込んできた。

 エメラルドグリーンの長い髪を靡かせて。


「ひっさつ」


 パルテリースの指先が愛刀の柄に掛かった。

 そして彼女のそこからの動作はその場の何者も目で追うことはできない。


「あらいぐま式快速抜刀術・起きたら終点だったんですけど斬り!!」


 微妙に本人の経験談っぽい技名。

 次の瞬間には彼女はもう納刀していた。

 カキンという澄んだ音が響く。

 同時に周囲に無数に蠢くキュウリ兵たちが全て1体に付き四片か五片程度にバラバラに分解する。


「んなああああああッッッッ!!???」


 悲鳴に近いセルゲイの叫び声が木霊した。

 地面に散らばるキューリのキューブをちらりと見降ろすパルテリース。


「おー、中までちゃんとキュウリだ」

「切ったら臓物出てきたら嫌すぎるだろう」


 ウィリアムがそこに追いついてくる。

 とはいえ彼の相手はもう残っていない。


「えぇ、おい姐さん俺の分がいねえじゃんかよ!!」


 その事に不満を申し立てたのは最後に来たトウガだった。


「にひひひ、早いもの勝ちだよ~んだ」

「くっそ~……しゃあねえ、俺はあいつで我慢するか」


 トウガの視線の先にいるのは1人取り残されて狼狽しているセルゲイだ。


「まあ待てトウガ。……セルゲイだったな?」


 両者の間にウィリアムが入る。

 名を呼ばれたセルゲイはうぐっと呻いて唾を飲み込んだ。


「戻ってお前の上役に伝えろ。お前たちのやり方は流石に阿漕すぎる。人の痛みのわからない者はいつか自分にやった事が跳ね返ってくる。それを忘れるな」


 普段よりはやや険しい表情でウィリアムが告げる。

 もはや満足な捨て台詞を残す余裕すらないのかセルゲイは背を向けると脱兎のごとく逃げ去っていった。


「さて……」


 振り返ったウィリアム。

 片方はひとまずこれで収めたとして、だ。


 その場に残ったのは自分たちと数名のエルフ。

 姿が見えている者以外にも樹上や藪に数名潜んでいるようだ。

 全員が敵意のこもった目でこちらを見ている。


「君たちに話がある。君たちのリーダー……指導者に会わせてもらえないか?」

「!!! ……何をバカな!!」


 その言葉にあからさまに数名のエルフが気色ばむ。

 弓を構え矢をこちらに向けてくる者もいる。


「落ち着け! 我々は争いに来たんじゃない! さっきの連中が森を侵している現状を憂いている者だ!」


 両手を挙げて戦意のない事を示すウィリアムだがエルフたちは納得する様子はない。


「ふざけるな! お前たち人間の言う事など信用できるか!!」

「そうだ! お前らは皆卑怯な侵略者だ!!」

「すぐ森から出ていけ!! 狩りも釣りもヘタクソな人間どもが!!」


 その最後の一言にウィリアムの理性が飛んだ!


「あんだとコラ!!! 今なんつったもっぺん言ってみろや!!!!!」

「あわわわ先生の地雷が。ほらほら落ち着こ? いい子だから……」


 激高して頭から蒸気を噴いているウィリアムを慌ててパルテリースがなだめる。


(先生を釣りの事でイジるのはやめとこ……)


 それを後ろで見ているトウガはそう思った。


「釣りは関係ないだろ今は……釣りの話は……」

「うんうん、そうだね~」


 まだぶつぶつ言ってるウィリアムの頭を撫でつつパルテリースが退散するように促す。

 立ち去る2人に追従するトウガが最後に振り返った。


「お前らこのままでいいと思ってんのか? アイツらまた絶対来るぞ。もう随分森も取られてちまってるじゃねえか」

「………………………」


 険しい顔のエルフたちは答えない。

 黒髪の巨漢は肩を竦めて小さく息を吐く。


「ま、お前らがそれでいいなら俺の知ったこっちゃねえがな。俺たちはさっきのウィリアム・バーンズ先生とその仲間たちよ。アンカーにいるから何かあれば訪ねて来るんだな。あの人はきっと話を聞いてくれるぜ」


 そしてトウガも一向に背を向けのしのしとその場を去っていくのだった。


「………………」


 そしてエルフたちの中に1人だけ、他の仲間たちとは違った感情を瞳に滲ませてその背を見送る者がいた。


 ────────────────


 そして陽は落ちて月が昇り青白い光の照らしだす密林の奥地、ガイアードテクニクス社のエリア。

 そのエリアの端に1つの建物がある。

 見た目は何の飾り気もない小さな窓がいくつか付いている巨大な灰色の箱だ。

 関係者からは「研究所ラボ」と呼ばれる施設である。


 そのラボの最下層に今エイブラハム社長が訪れていた。

 靴音を鳴らして人気のないフロアを進む社長。

 彼の後方に葉巻の煙が流れていく。


 そのフロアは全体的に薄暗くひんやりとしている。

 無数の巨大なシリンダー型の水槽が並びその内側を満たす黄緑色の液体が淡く輝いている。

 そして周囲にはブーンという低い虫の羽音のような音が小さく響いておりそこは一種の恐ろしくも幻想的とも言える空間になっていた。


(……毎度ここに来ると背筋が寒くなるぜ)


 実際に肩をやや震わせる社長。

 日中、正体不明の妨害者によってセルゲイとキュウリたちが撃退された事は既に報告を受けている。

 数時間後にはその妨害者たちの素性も彼のもとへ届いていた。

 冒険作家ウィリアム・バーンズ、その経歴が。


「……教授プロフェッサー、いるか?」


 無人と思われたそのフロアにいた1人の白衣姿の女性。

 彼女がエイブラハムの呼びかけに振り返る。

 濃い藍色の髪の眼鏡を掛けた成人女性だ。

 細めの目に左に泣きぼくろのある美人で口元には薄い笑み。

 全体的にミステリアスな雰囲気を持つ女性である。

 彼女の名前は柳生やぎゅうキリコ。


「前も言ったけれど、ここは禁煙よ」


 キリコはそう言ってやや眉を顰めて葉巻の煙を散らすように手をぱたぱたと振る。


「おっと、これは失礼」


 エイブラハムが携帯用の灰皿に葉巻を突っ込んだ。


「今日は何の用なの? 『苗』なら既定の数をきちんと納品しているはずだけど」

「いやプロフェッサー、今日はキュウリの催促に来たわけじゃない」


 そう言うとエイブラハムは周囲に立ち並ぶシリンダーを見た。

 内部を満たす液体、その向こう側に何かがいる。


「こいつらの出番が来そうなんでね。準備をしておいてもらえるか」

「ふーん……」


 キリコは白衣のポケットから小さなスティックの付いた丸い飴を取り出すと包みを解いて口に入れる。


「貴方がいいのなら私は構わないけど……こっちは『輸出用』だったのではないの?」

「状況が変わった。面倒な奴が割り込んできてね。まずは目の前の事から1つ1つ確実に片付けていかないとな。……まあ出荷前に性能テストができたと思うことにするさ」


 そしてエイブラハムは胸のポケットから折り畳まれた紙を取り出し広げる。

 それは何かの資料のようだ。


「ククク、獅子と蟷螂と毒蛇と蝙蝠の合成獣キメラか……楽しみだ。張り切って我が社の敵を蹴散らしてくれよ?」

「ああ、それ……」


 何か言いかけるキリコにエイブラハムが「ん?」と振り返る。


「いいえ、なんでもないわ」

「そうかい。じゃあ頼んだぞ」


 肩越しに手を振ってエイブラハムが引き上げていく。

 その背を黙って見送るキリコ。


(気が乗らなかったから別の組み合わせにしたのだけど……。結果を出せばどの組み合わせでも同じよね)


 そんな事を考えながら教授は口の中の飴をコロンと転がした。





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