南の海の侵略者(インベーダー) ~バカンスに来たはずなのにキュウリまみれでキメラと戦う羽目になるお話~
八葉
第1話 見えてきた『楽園』
深夜。星の輝きすらない漆黒の闇夜。
黒一色に塗り潰された世界を無数の緊迫した荒い息遣いが高速で移動している。
草を蹴る音。
風を切る音。
数名の人影が明かりも持たずに闇の中を疾駆している。
「ダメだ。奴らやはり弓が効かん!」
「泣き言をいうな! 我らが……
その時、一瞬だけ雲間から月光が差した。
闇の中に浮かび上がった白い無数の男たち。
彼らは一様に線が細く整った容姿をしており木製の弓矢を所持している。
何よりも特徴的なのは尖っていて長いその耳だ。
それらは森に暮らす者……エルフ族の特徴である。
そして、そのエルフたちを追跡する無数の影……。
人型の何かが彼らを追っている。
動きはそれほど早くないが数が多い。
鳴き声なのか、動く時に出る音なのか……闇の中にキュッキュッと何かをこすったような音が聞こえる。
「罠に誘い込め……!」
「だがあの数だぞ!!」
「それしかない! 少しでも数を減らさなければ!!」
散会したエルフたちが樹上や藪の中に潜む。
そこには巧妙にカモフラージュされた深い落とし穴があるのだ。
穴の底には鋭い杭が上向きに植えられている。
……間もなく『奴ら』が追い付いてくる。
夜目が利くエルフたちが闇の中で待ち構える。
やがて少しずつ無数のキュッキュッという音が近付いてくる。
(おのれ……おのれッ!!)
険しい顔で奥歯を嚙むエルフの男。
(悪しき侵略者どもめッ!
そして藪の中からキュッキュッという音と共に無数の人影が現れた。
────────────────
燦燦と降り注ぐ陽光の下で波の穏やかな海上を一隻の蒸気船が進んでいる。
この大型の旅客線『グレート撃沈号』には多くの旅行客が乗船しており、今も甲板で各々談笑したり景色を楽しんだりしていた。
その甲板にひと際乗客たちの目を引く一人の女性がいる。
背の高い女性だ。
顔立ちは誰もが思わず目を止めるほど美しい。
まつ毛の長い切れ長の目に瞳は琥珀色。
そしてエルフ族の特徴である尖った長い耳。
エメラルドグリーンの髪の毛は腰まである。
白っぽい軽装の旅装で腰から下げているのは「刀」と呼ばれる東洋の剣だ。
まずそもそもエルフ族が珍しい。
彼らは基本的に自分たちの
それがさらに刀を帯びているなど誰しも耳にした事もない。
エルフ族の武器は木製の弓矢が主流であり金属製の刀剣を使う事もあるが東洋の刀を使うものは稀有である。
突出した美貌も相まって彼女が周囲の耳目を集めるのも無理のない事であった。
彼女の名前はパルテリース……パルテリース・アーデルハイド。
そのパルテリースは周囲の好奇の視線などどこ吹く風で手すりに肘を置いて海を見ている。
さっきまで掛けていたサングラスは今は額に上げている。
「……お? おお~?」
人よりもずっと視力が優れている彼女が洋上に何かを見つけたようだ。
「先生~見えてきた~ぁ」
振り返ったパルテリースが手を振った。
その視線の先にはデッキチェアに腰掛け新聞を広げている一人の男がいる。
背の高い引き締まった体形に灰色の髪。
年齢は30前後のように見える。
涼しげな目元の整った顔立ちの男だ。
彼の名はウィリアム・バーンズ。
作家にして冒険家である。
パルテリースに呼ばれウィリアムは読んでいた新聞を置くと立ち上がった。
そのまま船の縁まで進んで彼女に並ぶ。
そして海上を伺うが彼の目にはまだ陸地は見えなかった。
「早く着かないかなぁ。アタシおなか空いちゃった。美味しいものあるといいな~」
「いや君、さっき食べたばっかりだろ。……三人前くらい」
ウィリアムが嘆息する。
パルテリースはその細身の身体のどこに入るのかと不思議なくらいの大食漢である。
「あれはオヤツでしょ? ごはん食べたいのごはん」
「あまり他の人は親子丼とカレーとたぬきそばを一度に食ってオヤツとは言わないんだがね。……まあ着いて荷物を置いたらどこかで食事にしよう」
苦笑しながらウィリアムが再度海を伺う。
ようやく彼の目にも陸地が見えてきた。
これから向かう場所は南洋の楽園と言われているパリリンカ諸島。
人呼んでバカンスの聖地。
エメラルドブルーの海にジャングルに火山の常夏の島々だ。
ここには世界中から人々がバカンスに訪れる。
世界有数の観光地なのである。
ここにウィリアムが訪れたのもバカンスの為だ。
ここ数年彼は色々と忙しい日々を過ごした。
まとまった休みを取るのはしばらくぶりの事だ。
都合で一緒に来れなかった者とは現地で合流する手筈になっている。
「先生~私スイカ割りしたいなぁ。後ねぇ、潮干狩りもしてみたい」
パルテリースは無邪気にけらけらと笑っている。
スイカ割りはスイカさえあればどうにかなりそうだが、潮干狩りはどうかなぁ……とウィリアムが考えていると隣に人の気配を感じた。
見るとそこに立っている男がフフ、と軽く笑っている。
「いや、失礼。お連れのお嬢さんが可愛らしいものでね」
視線が合うと向こうはそう言って会釈してきた。
長身の初老の男だ。背の高さはウィリアムとほぼ同じ……180強と言ったところか。
彫りの深い美形で舞台役者のような、なんというか雰囲気のある男だった。
着ている夏服も高級そうで品がいい。
「天真爛漫な娘でしてね」
「こんにちは~」
何故かウィリアムの方が若干照れつつそう言うと肩越しにパルテリースが手を振った。
「旦那様」
そこに静かな落ち着いた調子の女性の声がかかり3人は振り向いた。
見ればゴシックなメイド服に身を包んだ女性が畏まって控えている。
青みがかった銀の髪の怜悧な美貌のメイドだ。
深い夜の色をした瞳が酷くウィリアムの印象に残る。
「そろそろ下船のご準備を」
そう言って初老の紳士にメイドが頭を下げる。
「そうか、今行く」
紳士はそう答えるとウィリアム達に会釈して客室層への階段へと歩き始めた。
その途中にソフトクリームを売る露店がある。
紳士はその露店で足を止めた。
「あちらのお二人に」
そう言って紙幣を1枚露店に置いていった。
「ああっ、すいません。ご馳走様です!」
「おじさん、ありがとう!」
慌てて頭を下げるウィリアムと無邪気に喜んでいるパルテリース。
そんな2人に軽く手を振って紳士は階下に消えていった。
────────────────────
木製の床を鳴らして客室層の廊下を進む初老の紳士とメイドの2人。
「……彼がウィリアム・バーンズだよ。アトカーシア家の『
歩きながら振り返らずに自分の後ろを歩むメイドに紳士が言う。
「ヴェゼルザーク家の
紳士の声はどことなく楽しげである。
対するメイドは変わらぬ無表情だ。
「興味がありません」
その返答もにべもない。
「ですが……」
その目が僅かに細められ……。
「仕事であれば相手が誰であろうと処理します」
深い夜の色をした瞳が一瞬ルビーのように真紅に輝いた。
────────────────────
その頃、甲板では……。
「いやぁ、あんな高額紙幣頂いちゃってるんで……。まだまだ出せます、どんどん食べてください!」
ソフトクリーム売りの青年が大きなトレイに大量のソフトクリームを乗せてやってくる。
「だいじょぶだいじょぶ、アタシいくらでも入るから。とりあえず全種類3つずつ持ってきて」
そのソフトクリームを高速で処理するエルフ娘。
そんな連れを見ながらウィリアムは……。
「船下りる前にお腹壊さないでくれよ……」
と、嘆息するのであった。
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