病んでる自分を憎めない

病んでる自分が好きなんですよ、ね私。

病んだら死についてよく考えます。

死生観というのでしょうか。

まだ17近くしか生きていない私が考えてもおそらくそこまで深いものはないかもしれませんが、うつ病になった15の時から比べるとだいぶ深く考えられるようになったと思います。


死生観だけではありません。

対人関係であったり、親子関係であったりよく考えます。

もちろん自分自身のことも。

そこで出てくる自分の言葉に次々と驚かされ続けます。


こうして考えたことっていうのは、残せるときは必ず残します。

今はカクヨムでこうして執筆するようになりましたが、入院していたときは無印の方眼ノートに書きまくったり(インターネットが使えなかった)、独自ブログを持っていたときはそれに残したり。

今でも急に浮かんだこととか思ったこととかはノートに書いてます。

私自身もじゃぁノートでいいじゃんって思います。

ノートの方が自分の字でより過去の自分を感じられるし。

でもノートって大量に持ち歩かないし、なんかあったときに持ち出せないし(地震とか)なくなったら嫌だからブログとかこうしてインターネットに残しているんですけど。


こうしてたくさんの考えたとこっていうのは将来の自分が見て衝撃を受けるんですよね。

そして忘れていた感情を思い出してまた昔の自分を呼び戻して今の自分の相方の一部にするんすよ。


あと病むって多分ギリ?少数派なんすわ。

だって現代社会で10人に1人とか言われるけどそれでも100人やったら10人で1000人やったら100人。

そのほか900人は違うってこと。

こういう深く哲学的とまでいうかわからんけど考えられる人って珍しいやろうし、義務教育ほど一般的に経験できるものではない。

その経験をした、そして今も考え続けていろんな意見や価値観、言葉と出会いながらまたなにか違う自分と出会う。


こっち側の人間でよかった。

楽しく、目の前のことに必死に取り組むのも素敵だしそういう人を見てすごく羨ましくも思う。(ないものねだり)

だけど悩んで死について考え、それに伴って宗教の言葉を検索したりいろんな記事とか本とか読んで必然的に学問として(?)の知識も豊富になる。


(私の思う)深みのある人として生きていけそうで、

そんな自分を守っていきたいと思う。


正直、これを誰かとお話ししてみたいなというか、喋ってどれぐらいが分かってくれるだろうって思う時ある。

でも思うだけがいいっていうのもわかるというか、あんまり自分の考えを人に知られたくない(くそ矛盾)


なんか今日はなにが残したかったのかわからんけどいっか。

とにかく落ちて落ちて色々考える自分を憎めないって話。

また読み返してどう思うかはそのときの自分新たに残してくださいね。


じゃぁもう夜中の二時過ぎなので失礼します。

おつかれさま。

おやすみ。













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