今日もカメラを持って生きた記録を撮る

今日も変わらず落ち込んでいる。

できることなら飼い猫とずっと一緒に寝ていたい。

でもそうしたら通学中の小中高生の笑い声が耳の奥に突き刺さる中母に「みんな学校行ってるけど」と言われ父にはしんどいことがバレてしまう。

昨日必死に一階から「ごはーん」と呼ばれたとき涙を拭って鼻が痛い(よく鼻血が垂れてくる)と目が若干腫れていることを鼻をかみながら鼻のせいにして落ち気味なことを隠し通したのに。


てことでそんな努力を無駄にしてはいけないし母に嫌味言われるのももう懲りごり。だから親には勉強する程で塾のある三宮まで来て、静かにカメラ持ってずっと気になってた図書館行って、そっからメリケンパークまでのんびり歩いてトルコアイス食べて、かわいい指輪買って、マックでナゲットとアイスコーヒー買ってこの二つだけで4時間ぐぐら居させてもらうつもりで今カクヨム書いてる。(今はそこまで混んでないしカクヨム終わったらちゃんと勉強もするつもり、知らんけど)

勉強は塾でしたらいいやんって?

うっさいのだ。塾は見回りの先生が来るから自由にしたい勉強(音楽学)できません。(なんの勉強してるねんっていう人はきらいです)

夜の授業の内容だけは塾行ってからします。

行くだけ偉いやろ。えっへん。


カメラ持って色んな撮った。

今日の一枚目はよーわからんビルの角。なんか好き。

2枚目は図書館の入り口。

3枚目からもう覚えてない。

もちろんカメラ置いて遠隔操作でシャッター押すという自撮りもした。

誰も撮ってくれないもん。でも残したい。自分で撮るしかない。

人の目なんてもう気にならなくなりました。


それより毎日の自分が生きた記録を残さないと。

生きた記録残した過去の自分は今日も残そうねと生きる一つの意味をもたらしてくれる。

「いつ死んでもいいよ」

「今日も残したいね」

天使と悪魔と表現できるような正反対の過去の自分に今の自分はそれなりに生きさせられているんだろうな。

死という最後の望みと生の記録という死ぬまでのお飾りと。

別に残したところで誰もなにも思わないはずなのにね。

誰に残しとるんやろって思ったけどそれは未来の自分だけでした。

はにゃにゃ。


あなんか上手くはっきり表現できないけど、死ぬまでのお飾りを豪華にしたいのかも自分。

今執筆しててふとそう感じた。

じゃぁなんで死ぬまでのお飾りを豪華にしたいと思うのかな。

結局心のどこかで誰の記憶に居続けたいと思っているんだろうな。

この自分語りだって、自分のためとか言い張ってるけど誰かに見てほしい気持ちがあって(誰かは結局大好きな人)、死んだ後も私のことを思ってていて欲しいなって思ってるんよ。

なんか今も思ってくれてるみたいな書き方になったけど実際はどうだろうね。


もうこの記事のお話なにかわからんくなったから一回締めます。

とにかく、生の記録は今日も残したし明日も残すだろうし一ヶ月後も残すだろうし。


また寝る前にカクヨムに来るだろうから、

またね自分


あと結局今からドリンクおかわりしに行きます。

外暑いけどほっとぶらっく流しこもっと。















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