ただ鬱だった高校生の綴
みーさん
24.4.19 生きた記録の始まり
中三の頃が懐かしい。
あの時は、無茶苦茶な私をたくさん甘えさせてくれる人がいた。
約一年たった高2の今。
もう誰かに相談したり話すことはやめた。
あの時はその人々への配慮が足りていなかった。
自分の病んでいるのを話して相手がどう思うかなんていうのは、実は分かっていた。
でも寂しかった。
だから誰かに見て欲しくて、注目を浴びたくて、あんな形をとってしまった。
病むことでしか、見てもらう手段がなかった。
最初から心療内科にかかればいいもの、好きな人たちに縋り付いていた。
ただ、今よりはまだ生きる気持ちがあった。
今は「いつ死んでもいい」が、心の拠り所となっていて、死がより近いものに感じる。「死んでいい」が一番の味方のように感じる。
これから
色んな人に出会い親友ができるかもしれない、行ったことのない最高な景色を大事と思える人と観れるかもしれない、男性と愛し合っていたつもりが捨てられるかもしれない、今大好きな既婚者と一緒にお酒を飲めるかもしれない、とかとか子供で知らない世界がたくさんあって、だけどそんな未開拓な世界さえも今は輝いて見えない。
もちろん経験できたらいいなぐらいには思ってる。
でもだからそれが生きなくちゃ。とはならない。
もうね、別に知らないまま終わってもいいの。
希死念慮と大親友。
とか言いながら死ぬ行動をする勇気もなくどうせそれなりに生きていくのが私。
きもいよな。
どうせ生きるなら楽しく笑って希死念慮なんかとおさらばしてまだ生きていたい、あれしたいこれしたい、欲望の塊になって10代のエネルギー使い切ったほうがいいのに。
そのエネルギーだって、今は全部病む方に吸い込まれている。
まぁ実際元気な自分より病んでる自分の方が好きっていうのもあるけどね。
そんなわけわからん自分の生きた記録って面白そうだなってことでこれを始めた。
いつ死んでも最悪これが遺書になるし、病みたい時これ見返してもっともっと深いところへ過去の私が未来の私を引き摺り込んでくれる。
過去の自分は土台や肥料じゃないよ。
どっちの方向にも連れていってくれる相方だよ。
何言ってんの自分。
今日も生きたね
お疲れさん
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