第3話

「ははは。全然困らねぇよ。つーか、あいつのこと好きになって困るのは、スティックが刺さった方だと思うぜ。彼女の気持ちは、そう簡単には動かないだろうから」

「坂下くんも、スティックが刺さって、全然気持ちは動かなかった? 私のこと、好きにはならなかったんだね」

「そうだよ。だってあんな道具で、人の心が操れるなんて、そんなことはなかったんだから」


 彼の言う通りだ。

誰も悪くないし、恋は罪でも罰でもない。


「私も間違ってると思う……」

「悪かったな」


 彼は座り込んで動けなくなった私の隣に、じっとしゃがみ込んだ。

なんで謝るの? 

何を謝ったの? 


「ほら。いつまでも座ってないで、もう帰ろう」


 彼の浮かべる微笑みは、いつだって優しい笑みだと思う。

温かいのに、冷たい笑み。

差し出された手に、しがみつくようにして立ち上がる。


「……。館山さんをさ、追いかけなくていいの?」

「帰れるだろ。一人で。自転車だし」


 そういう問題なのかな。

館山さんに、スティックは見えていない。

うっかり落としたり彼女自身に刺さってしまったとしても、もう私たちにはそれがどうなったか、確認することは出来ないんだ。

それを心配しているのに、彼は眉一つ鼻先一つ動かさないまま歩きだす。


「ほら、行くよ」


 あぁ。

でも、誰かが誰かに恋する瞬間なんて、本人にすら分からないことだってあるんだから、これが一番自然な形の恋に近いのかもしれない。


「そろそろ暑くなってきたよな」


 坂下くんと一緒に帰るの、いつぶりだろ。

嬉しいけど嬉しくない。

照りつける午後の日差しさえ、もう私には優しくない。


「コンビニ寄ってアイス食う?」

「……。食べる」

「はは。そういうとこは、素直なままなんだ」


 やっと笑ってくれた。

受け取った鞄を肩にかけ、背の高い彼を見上げる。

「行こ」と微笑んで歩き出した坂下くんの隣で、私も歩きだした。


 久しぶりに沢山しゃべって、コンビニ寄って並んでアイス食べて、本当にどうでもいい話をだらだら続けて。

その間は頭から消えていた不安が、家に帰り一人になったとたん、5億倍くらいになって押し寄せてくる。

坂下くんは平気な顔してたけど、やっぱり館山さんを追いかけた方がよかったんじゃないの? とか、もし彼女の鞄に刺さったスティックが何かのきっかけで取れて、見ず知らずの誰かに刺さってしまったら、彼はその人と巡り会うまで、他に誰のことも好きになったりしないの? とか。


 自分のことじゃないんだから、気にしたってしかたないのに、放っておけばいいのに、首突っ込むことじゃないのに、人様のことなのに、心配で心配で仕方がない。

まるで死刑宣告を受けるのを、待っているような気分だ。


 信じてもらえるかどうかは別の話として、館山さんにはきちんと事情を説明した方がいいんじゃないのかな。

私と坂下くんが話せば、信じてもらえそうな気がする。

だけどそしたら、私が坂下くんのことを好きだと、言ってしまうようなものだ。

スティックが刺さって好きになったけど、好きにはなってないのって。

そう考えると、結局じゃあ意味がないから、そんな話をわざわざする必要もなくない? ってことになる。

坂下くんは、だから放置してて平気なんだ。

本当のことを知っているのは、私だけ。

だから自分で何とかしなくちゃ。

朝の通学路を、学校へ向かう。


「あ。持田さん。おはよう」

「おはよう」


 登校してくる館山さんを自転車置き場で待ち伏せして、さりげなくサブバックの状態をチェックしようと思っていたのに、私が到着した時には、すでに彼女の自転車はきちんと整列して置かれていた。

仕方なく教室に入ったら、もちろん彼女がいる。


「館山さん。今日は早いんだね」

「え? そうかな。いつもと変わんないくらいなんだけど」


 始業20分前だ。

電車やバス通学の子なら、時間の余裕や混雑を避けて早く来ることもあるだろうけど、自転車でこんなに早く来る? 

彼女は教室の後ろに並んだロッカーの扉をパタンと閉じると、鍵をかけた。

あれ。

机の横にサブバックぶら下げとかないの? 

もしかしてたった今、その中に片付けた?


「……。昨日の、怪我とかなかった?」

「怪我?」

「カラスに襲われてたから」

「ううん! 私は大丈夫だよ。カラスには何にもされてないから。それよりもむしろ、大変だったのは坂下くんの方じゃないのかな。なんか、持田さんにも、ヘンなとこ見られちゃったし……」


 彼女は白い頬をぱっと鮮やかなピンクに染めた。

彼に抱き寄せられたことを思い出して、また恥ずかしくなってしまったらしい。


「ご、誤解とかしないでね! 別に私は、坂下くんとは何ともないから。だから、坂下くん自身もなにも悪いとこないし……」


 上目遣いで本当にオロオロと心配されたら、誰にも許せないワケがない。

しかも彼女に非がないことは分かってる。


「わ、私のことは大丈夫だから、も、持田さんは坂下くんの方を、心配してあげて」


 彼女はニコッと含みのあるような笑顔を浮かべると、いそいそと自分の席に戻ってゆく。

お行儀も性格もいい館山さんは、サブバックを普段使いしているはずなのに、他のみんなと同じように机の横にぶら下げたまんまになんかしておかないで、きちんと鍵付きのロッカーに毎回片付けているみたいだ。

通路を塞ぐからという理由で先生からロッカーにしまうよう、いつも注意はされてるけど、クラスの大半がそんなことに従ってはいない。

荷物の出し入れが面倒だからだ。

本当にわざわざロッカーにしまう人なんている? てか、いたんだ。

そんなとこ漁ろうとするなんて、完全に犯罪者になるよね、私。

朝一番で今回の問題解決しようと思っていたのに、最大のチャンスを早速逃してしまった。

しかもスティックがまだ鞄に残っているのかも分からないままだ。


 ざわつく教室を横切り、重い気分のまま自分の席につく。

次に彼女がロッカーを開けるのはいつだろう。

今日の授業に体育はない。

だとしたら昼休みかな。

お弁当入ってるだろうし。

それまでは待ち確定だ。


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