第2話

「ま、待って館山さん! 上履きのまま、地面に下りちゃっていいの?」


 そんなセリフに、彼女はこちらを振り返った。

その彼女の頭上で、宙に浮いたハートマークのスティックが、グラリと傾く。

急接近してきた人間に驚いたのか、ボスは止まっていたスティックを力強く蹴って、空へ飛び立った。

永遠にそこに留まっているのかと思えたスティックが、その反動でポロリと転げ落ちる。


「危ない!」


 『  は』と『  を好きになる』の2本のスティックが、空中から館山さんの頭上へ落ちて来た。


「え、何が危ないの?」


 その館山さんの体を、坂下くんがサッと抱き寄せる。

落ちてきた矢の先端が、彼女を守ろうとした彼の腕に、ブスリと突き刺さった。


「あ」

「あぁ!」


 ハートの矢羽のついたスティックは、着弾すべき場所を見つけた瞬間、フッと跡形もなく消え、見えなくなる。

坂下くんに刺さったのは、どっちのスティック? 

もう1本はどこ!


「あ……。さ、坂下くん。何かよく分かんないけど、ありがとう……」


 彼の腕の中で、真っ赤になった館山さんが、消えそうな声で呟いた。

引き寄せられた腕の中で、坂下くんの胸をおずおずと押し返す。


「な、なんか……。ゴメンね。こんなことさせちゃって……」


 館山さんは耳まで赤くなった顔を、うつむけたまま上げることが出来ない。

そんな彼女を、坂下くんが見守る。


「なぁ、もしかして……」


 対となるもう一本のスティックは、ギリギリのところで的を外し、館山さんのサブバックに突き刺さっていた。

『  を好きになる』の方だ。

それを見た瞬間、全身の力が一瞬で蒸発する。

もしこのスティックが彼女に刺さっていたら? 

恐ろしさに、全身が震えた。


「ご、ゴメン。私、先に帰るね」

「待って!」


 男の子に抱き寄せられた恥ずかしさからか、彼女は逃げるように走り出す。

それを追いかけようとした瞬間、もつれた足が私自身の邪魔をした。

言い逃れできないほど、派手に盛大に転ぶ。


「い……。痛た……」

「大丈夫?」


 坂下くんが心配している。

また変なとこ見られた。

だけど今は、こんなこと気にしてる場合じゃない。


「だい……じょうぶ……」

「ホントに大丈夫なの?」


 起き上がりはしたものの、今にも泣き出しそうな私の隣に、彼はしゃがみ込んだ。


「私が大丈夫だとか、そういうことの前に、何とかしなくちゃ……」

「何を?」

「何をって……」


 もし彼女にスティックが刺さっていたら? 

彼は今この瞬間に、もう私のことなど見えていなかっただろう。

世界が急に明るくなって、今まで以上に館山さんが輝いて見えたはずだ。

普段から仲のいい友達同士。

いつ付き合いだしたと聞いても、誰も驚かない完璧なカップル。

たとえスティックがなくたって、いつかそうなる。


「別に、どうでもよくない?」


 冷たい横顔が、ため息をついた。

いつの間にかすっかり元に戻ってしまった無表情で、彼は視線を反らす。

だけどもう私には、この人が意図的にそうしていることを知ってる。


「どうでもよくない! だって、またスティックが刺さったんだよ? しかも今回は坂下くんの方が……」


 館山さんは、快斗が好き。

だけど快斗は、多分館山さんにその気はない。

絢奈は快斗が好き。

だったら、やっぱり館山さんと坂下くんが付き合い始めた方が、ちゃんと上手く行くんじゃない?


「ご、ゴメン。余計なお世話だったよね。あんなモノなくても、二人の気持ちは元々あったんだし……」

「だから何なんだよそれ。なんで美羽音は、俺と館山さんをそんなにくっつけたがんの? そんなに俺のこと嫌いかよ」

「違う!」

「俺には美羽音がなんで、あのスティックにそんな必死になってるのか、意味分かんないんだけど」

「ウソだからだよ! あんな道具で人の心を操っちゃダメって、坂下くんも言ってたじゃない!」

「だって。効果ないし。あのスティック」

「あぁ……」


 彼は冷めたい目で私を見つめた。

その声は淡々と静かに響き渡る。


「別に誰に刺さろうが何の効果もないんだったら、放っといてもよくない?」


 違うよ。

めちゃくちゃ効果あったよ。

だから私は、芽生えさせることもなかった想いをあふれさせた。

好きになっちゃいけない人を、好きになった。

もう完全に振り切れてしまった今でも、こんなにもあなたが好き。


「たとえあのスティックが、俺の知らない他の誰かに刺さったとして、美羽音に効果がなかったんなら、誰に刺さっても一緒だろ。俺だって好きにはならないよ」


 渡り廊下の脇に転がされたまんまの私の鞄を拾うと、彼は丁寧にそこについた泥を払う。

ふと、その手が止まった。


「……。なんでラッコ先生のぬいぐるみ、遠山に返した?」

「そっちの方こそ、関係ないし」


 なんでそんなこと聞くの? 

関係ある? 

私が欲しいのは、そんなものじゃない。


「てか、スティック刺さったとこ、何ともないの? 坂下くんの方こそ、大丈夫?」

「俺?」


 彼はつい数分前まで、館山さんを抱き寄せていた右腕をチラリと見た。


「何ともないよ。美羽音もこんな感じだったんだな。お前とのスティックが刺さった時も、何ともなかったけど。あの天使、かなりウソ臭かったもんな。やっぱなんも仕事してねぇわ」

「さ、坂下くんは、館山さんのことを好きにはならないの? 館山さんが他の人を好きになっちゃったら、困らない?」


 スティックが刺さったのは、反対の効果だ。

そんなのは分かってる。

だけど、確認せずにはいられない。

いまこの人が好きなのは、誰なのかってこと。


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