第3章 第1話
学校最寄りの、同じ駅で降りるものの、使っている路線は違うということは分かった。
一晩寝ながら考えても、結局何が「よろしく」なのかは分からないままだ。
彼の出てくる改札で待ち伏せしてもよかったけど、昨日の今日でソレだと何だかやりすぎな気もするから、やめておく。
SNSでメッセージを送りたいけど、まだそんな勇気はなかった。
朝の混雑した校門をくぐる。
登校ラッシュの人混みの中で、校舎を前に立ち止まった。
朝でも薄暗い玄関のボコボコに錆びついた扉の前で、必要ないと分かっていても、本能的に身構える。
整然と配置された靴箱で、彼に偶然出くわすことはこれまでにも何度かあった。
だけど今までのそれは、確実に確かな真実の偶然だったけど、これからはそうじゃない。
待ってたって思ってくれるのは、嬉しい? 嬉しくない?
本当に偶然だったのに、待ち伏せとかタイミング合わせたとか、そんなふうに誤解されて不審に思われたら、きっと「キモい」とかってなるでしょ。
もしかしたら嫌われるかも。
そんなの耐えられない。
一生の不覚。
あり得ない。
絶対無理。
もう考えただけで本気でダメ。
一人であれこれ思い悩んでいるのに、横を素通りしていく周囲からの視線が痛い。
うん。
単純に邪魔なんだよね、私が玄関前で立ち止まってるから。
だけどここから奥に入るのに、今日はちょっと勇気が必要だったんだ。
だからゴメンね、許して。
気合いを入れ直し、仕方なく一歩を踏み出す。
本当はここでじっと待ってたら、後ろから彼が追いかけてきて「おはよう」なんて展開を期待してたけど、さすがにそれはなかった。
当たり前だけど、独りで靴箱の前まで進む。
今日この場所に同じクラスの人間が他に誰もいないことに、これだけほっと安心したことはない。
素直に靴を履き替えた。
朝の校内には活気ある賑やかな笑い声と、騒々しい足音が響き渡る。
教室へと上る階段で誰かとすれ違う度、彼ではないかと緊張している自分に気づく。
今からこんなことでどうする。
教室に入れば、確実にあの人がいるのに。
「おはよー」
教室の前の扉をガラリと開け、中に入った。
毎朝そう言ってから入るのが、癖になってしまっている。
誰からも返事は返ってこないけど、挨拶だし返事のないことを気にしたことはない。
いつものように視線は真っ直ぐ自分の席に定めて、その方向へ向かって一直線に歩いた。
坂下くんの席に彼がいるのか、気になって仕方ないけど、あえて視線を向けない。
大丈夫。
私は他に気を取られてない。
今はとにかく、自分の席にたどり着いて鞄を下ろすことが最大のミッションだ。
「ふぅ。何とかたどり着いた」
朝からもう疲れた。
流れてはないけど、額の汗を拭う。
登校してきただけで、ここまでの動悸と息切れがハンパない。
席に腰を下ろすと、できるだけいつものように自然な感じで視線を上げた。
視界の右隅に、彼の姿が見える。
いつも仲のよい、橋本くんと本田くんも一緒だ。
スポーツ万能でちょっとチャラいけど顔のいい橋本くんと、ガッツリ七三分けなのになぜかカッコいい本田くん。
このハイスペ男子グループに、当然のように近づいて行って話しかけられる女子は、このクラスでは館山さんと古山さんしかいない。
いずれも真面目で成績優秀な美人さんだ。
きっとまだグループ内で付き合ったりはしてないんだろうけど、いずれ自然とそうなるであろう状態なのは、公然の予定。
机に数学のノートを広げ、宿題をやっているフリをしながら、改めて自分の可能性のなさに盛大なため息をつく。
絢奈はまだ登校してきていない。
いつも時間ギリギリな子だから、きっともうすぐやって来るだろう。
だからさ、どうしてそんな身の丈に合わない人を好きになんてなるかな。
なるわけないじゃない。
キラキラ眩しい彼らは別次元の人類で、同じ時代に同じ種族として、属していることさえおこがましいのに。
相手になんてされないのが分かりきってる相手に、わざわざ挑んでいくほどの勇気もなければ度胸もない。
ふと先日の放課後、坂下くんに告白した女の子のことを思い出す。
私には彼女のような、勇気も愚かさもなかった。
そう思うと、急に目の覚めた気がした。
「おはよう美羽音。昨日の古文のプリント集め、本当に大丈夫だった?」
ようやく登校してきた絢奈が、こっそりとささやく。
彼女は明るい栗色の真っ直ぐな髪を、サラリとかきあげた。
「あぁ。全然平気。みんな普通に提出してくれたし」
本当なら親友に「好きな人が出来たんだ」って、一番に告白すべきなのかもしれないけど、自分でも無謀な想いだって分かってるから、言えない。
身分違いの恋が報われるなんて、夢物語なら沢山あるけど、現実じゃありえない。
坂下くんの笑っている横顔を、遠くからそっと眺める。
見てていいって言われたのは、見てるだけならいいってことだよね。
時空を越えた異世界の住人である彼は、やっぱり違う世界の人だから。
「だからさ、何度もしつこいけど、坂下くんと何かあったんでしょ」
絢奈はガシリと腕を組むと、怒った顔を近づけた。
「言って。こういうのは、絶対早い方がいいんだから。だって美羽音、こないだからずっとあっちを気にしてるよね」
「ち、違うの。私が迷惑かけちゃって。その……。悪いことしたから……」
「美羽音が? そうなの?」
「う、うん……」
誰にも言わなければ、自分が隠し通せれば、この気持ちはなかったことになる。
彼と同じグループに属する、長い黒髪の清楚系美人な館山さんが、彼と朝からずっと話してる。
お似合いだと思う。
真面目な優等生同士だし、どう見たってあっちの方が正解。
「まぁ……。美羽音が言いたくないんだったら、それでもいいけど……。困ったことがあったら、ちゃんと話すんだよ」
「ありがとう」
そうだよね。
彼にしてみれば、私みたいに一方的に好意を寄せてくる相手なんて、珍しくもなんともないんだ。
先日の彼女が簡単にフラれたみたいに、自分もそうなる未来しか見えない。
彼を見ていた視点を自分に戻すと、絢奈と目が合った。
「もしかして、美羽音って坂下くんのことが好きになったの?」
「まさか。なんでそんな無謀なマネを」
「まぁ……。ぶっちゃけ、私もそう思うけど」
絢奈が何かを察したようにストンと真顔になった。
そんな彼女に、私も素に戻る。
「だよね。基本ないよね。私だってムリだと思うもん」
「ないない。身の丈身の丈」
「美羽音がやっちゃった、その悪いことってのは、もう謝ったの?」
「うん。許してはくれたんだけど、それでも悪かったなって」
「そういうこと?」
「そういうこと」
絢奈は自分なりに、事態を咀嚼しようとしている。
しばらくウンウン頭を捻っているのを眺めていたら、無理矢理何とか彼女自身の納得が得られたらしいところで、ホームルームの始まりを知らせるチャイムが鳴った。
私は自分に与えられた小さな席で座り直し、姿勢を正してしっかりと前を向く。
そうだ。
私には、私に手に入る分だけの幸せがあればいい。
それに対して、もちろん努力はするし頑張りもする。
だけど、必要以上のことを望んだって意味がない。
天使との遭遇だなんて、悪い夢だ。
そもそも事故みたいなもんだし。
普通じゃない。
なくて当たり前。
あってはならないこと。
だから忘れよう。
非日常は、日常ではないから非日常と言うんだ。
それを当たり前の当然にしてどうする。
私自身が今まで通り、ちゃんとしていれば問題ないだけの話。
ホームルームが終わって、授業が始まる。
日常が始まる。
私はここに居る。
普通であることが一番難しいのだから。
波風立てないよう平和を保つことが、どれだけ困難なことか。
それが学校とかクラスとかいう場であれば、なおさらだ。
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