第3話
放課後の廊下を、彼と並んで歩く。
あんまり近くにくっつき過ぎるのは恥ずかしくて、だけど遠すぎるのも疑問に思われるから、微妙な距離感を慎重に測りながら保つよう心がけている。
「出席番号確認する時にさ、プリントの位置によっては見にくいこともあるよね」
「同じ教科でも、先生によって違うからな」
「それそれ! 私、一年の時は、数学の山ちゃんだったの。山ちゃんのプリントって、名前書く位置が端っこ過ぎるよね!」
「あ、なんかそれ分かる。俺も気になってた」
「でっしょ! 坂下くんもそう思うってことは、絶対端っこ過ぎるんだって! 山ちゃんもプリント提出多かった!」
「そうだっけ? そんなでもなかった気が……」
「そっか! そうでもないよね! そうでもないない!」
「それより、国際の竹田先生のさー」
「竹田先生? 国際の竹田先生って、あのやたら英語の発音が流暢でたまになに言ってるか自分でもよく分かんなくなって『ま、いっか』ってなって、さっきまでの時間はなに? ってなる竹田先生だよね? その竹田先生がなに!」
「いや……」
順調に歩いて来た足取りが、靴箱の前で立ち止まる。
え、何か失敗した?
ヘンなこと言った?
もしかしなくても、引かれた?
無意識にビクリと体が震える。
顔を上げることが出来ない。
見下ろしているだろう彼の反応を見るのが怖い。
「ふっ。持田さんって、意外と面白いよね」
「え? そう? そうかな?」
その瞬間、緊張がガラガラと崩れ落ちる。
面白い?
面白いってどういうこと?
このタイミングで、面白い女認定とかいらないし。
なんか変だった?
どこが悪かった?
絶望だ。
もう絶望しかない。
終わった。
さようなら世界。
私はもうこの世から消えます。
元々居なかったかもしれないけど。
今までありがとう。
意識真っ暗で倒れそうになる寸前、靴箱の扉に手を付き体を支える。
最後の力を振り絞って、ローファーを取りだした。
いつもならそのままバンって下に落として履き替えるけど、今日は丁寧にかかとを揃え、キチンと置く。
坂下くんは、靴を履き替えるのだって優雅でスマートだ。
長い手と指の先が、ピカピカに磨かれた靴をそっと持ち上げる。
丁寧に切りそろえられた、シャープな爪の先まで綺麗。
「そういえばさ、今まであんまりしゃべったことなかったよね」
「アレ? そうだっけ? あ、そうか! もしかしたら、そうかも! あはははは……」
ダメだ。
慣れない行為と緊張が過ぎて、言動がおかしい。
あぁもう、何だか疲れた。
今日のこの数分だけで、一生分の時間を使った気がする。
ずっと一緒にいたいけど、こんなに疲れるんだったら、しんどいかも。
「あ、待って。髪になんかついてる。取っていい?」
「え? うん」
大きな手がこっちへ伸びてくるのに、思わずぎゅっと目を閉じる。
頭に微かに指先が触れて、私の髪がわずかに乱れた。
「はい。取れたよ」
見せてくれた白い糸くずは、いつどこでついたんだろう。
触られた部分が熱い。
乱れた髪と心音を、どうやって整えていいのか分からない。
「坂下くんって、電車通学だったっけ」
「そうだよ。持田さんとは路線違うけど」
「え? そうなの?」
「たまに駅で一緒になる時あるけどね。多分気づいてないんだろうなーとは思ってた」
校門を出る。
二人で校内を歩くなんて、そんな大胆なことは出来ないけど、学校の外でだったら一緒に歩ける気がする。
私の隣で、彼が笑ったら、世界が笑う。
彼が微笑んだら、世界も微笑む。
楽しそうに話す、掃除道具をしまうロッカーの扉のぐらつき具合の話が、この世の全てだと思えた。
「ところでさ。話変わるけど、持田さんいつもここで中島さんと一緒にアイス食べてるよね」
「そ、そんないつもじゃないし!」
通学路にあるコンビニ前で、彼に買い食いしてるとこ見られてただなんて、知らなかった。
「今日もなんか食べてく?」
「今日は……いいです……」
だって、坂下くんの前でアイス食べるだなんて、そんな難易度高いこといきなり出来るワケないし。
「そうなんだ」
彼が少し声のトーンを落としたことに、急に不安になる。
え、断らない方がよかった?
やっぱ一緒に食べる?
いいよ?
私、坂下くんのためなら頑張ってアイス食べるよ?
「あのさ、今日ずっと俺のこと見てたでしょ。なんで?」
「は? 見てないし!」
えぇ休み時間ごとに見てましたけどね!
確かに見てましたけど、バレてたなんて聞いてない!
「アレ? そうだったの? 気のせいだったんだ。何か昨日のことが気になって、俺もずっと見ちゃってたから。それで目が合ってるのかと思ってた」
そう言って笑う横顔は、絶対にバレてるってバレてる。
「見てないから! ホントに見てないし! 気にしてなんかないからね!」
「えぇ? そうなの?」
ゴメン。嘘。
めっちゃ見てたし、めっちゃ気にして欲しい。
「え? もしかして坂下くん、迷惑だった? 迷惑ならもうやめ……」
途端に彼が笑いだした。
通学路の真ん中でお腹抱えて、よろけながら痛そうなくらい笑ってる。
「どうしたの? なんか変なこと言った?」
「ううん。持田さんでよかったなーって」
彼は笑いすぎて、涙目になっていた目を拭う。
その大きな手がこっちに伸びて来て、きゅっと身構えた。
彼の手は、私に触れることなく引いてゆく。
「俺のこと、見てていいよ」
「本当に?」
「うん」
そうなんだ。
よかった。
許可もらえた。
しかも本人から直接。
公認された。
うれしい。
照れたように顔をそらす横顔が、わずかに赤らんで見えたのは、気のせい?
じゃあ見るね。
いっぱい見るね。
飽きるまでずっとずっと見てる。
「私のことも見てて」
いつも冷静で表情の乏しい顔が、真っ赤になって小さくうなずいた。
彼にしたらうなずいたつもりはなかったかもしれないけど、私にはうなずいたように見えた。
少し先に歩き出した彼の後ろを、ついて歩く。
広い背が前を向いたままつぶやいた。
「あ、明日からよろしくね」
「うん」
何が「よろしく」なんだろ。
駅で別れたこの人を、見えなくなるまで見送る。
私は自分の駅の改札をくぐると、丁度ホームへやって来た電車に飛び乗った。
胸の鼓動がうるさすぎて、心臓が爆発するのかと思う。
深呼吸して息を整えたら、車窓を流れる見慣れた景色を眺めて長すぎる時間を潰す。
こんなにも明日が来るのが待ち遠しかったのは、生まれて初めてだった。
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