第3話 運命のイタズラ
幸い、このあたりにあるのは神話や昔話を収めた棚で、よほど物好きでなければ本を探しに来る者もいない。テーブルにも人がおらず、近くに立っているのはどこか寂しげな観葉植物だけだ。
テーブルに着いた正人は、改めて魔法の本――人によっては魔道書といっただろう――を開いた。
こうして見ると、空白のページも多かった。かすかに跡が残っているようだったから、文字が色あせて剥げてしまったのかもしれない。読める部分も、何に使うのか判らないようなヘンな魔法が多い。
例えば、〝甘いお菓子を踊らせる魔法〟。
曰く、「月明かりの下で甘いお菓子を円形に並べ、三日三晩、水銀に浸したリボンで囲む。そして以下の呪文を唱える…」と。
『ってことは、甘いチョコレートなら踊るけど、苦いと踊らないのかな?』
と思いつき、正人はクスリと笑った。
が、試す気にはならなかった。第一いまは、甘いお菓子もなければ、水銀もリボンも持ち合わせていない。
「これは、いま必要なものじゃないな。何か使えそうなものは……」
他に役に立ちそうなものはないかと、ページをめくっていく。しばらくして。
「………これは?」
ページをめくる正人の手は、或る場所で止まった。
〝
その記事は、無関心な相手でさえ、熱狂的な恋に落ちると主張していた。
この方法を使いさえすれば、氷のように冷たい心にも、激しい恋の炎を灯すことができる。その気持ちは不死鳥の炎のように燃えさかり、決して消えることがない、とも。
一瞬、正人の頭に、浜崎咲希子の顔が浮かんだ。だが、彼女にこれを試すことは間違っているように感じられた。
あんなふうに他人に広められたこともショックだったが、あんな形でも、断られたことは明らかなんだし……。終わった恋のためにヘンなおまじないをしていると、ますます悪い評判が立ってしまうかもしれない。
そもそも、ここに書いてある〝魔法〟は、本当に効果があるのか? 効くはずがない、というのが普通の考え方だ。
しかしどういう訳か、そこに書かれている言葉には有無を言わせぬ迫力があった。だいぶ馬鹿馬鹿しい文章も多いので、どうしてそう感じられるのか不思議だ。
一度ためしてみれば、分かることなのかもしれないけど――…。
そこで、正人の目は、本棚の前に立つ、1人の女生徒へ移った。この人が来ることの少ないエリアに、いつの間にかやって来ていた少女は、熱心に何かの本を探していた。
直接の面識はないけれど、彼女のことは知っていた。
たしか名前は――マリアンナ。
生徒会の役員で、行事などでよく人前に立つため、この名は有名だ。
彼女は優雅さと美しさの化身だった。金色の髪が肩を、春の木漏れ日のように流れ落ち、お手本のような曲線を描く顔を縁どっていた。
一番のチャームポイントは、髪留めの代わりに付けている青い薔薇のコサージュだろう。青い薔薇が好きらしく、どこかに必ず付けている。
彼女の存在感は圧倒的でありながら、どこか親しみやすさもあった。
正人は思った。
『この魔法が本物なのかどうか、確かめてみたい。でも、咲希子じゃ駄目だ。マリアンナならクラスも違うし、もし気まずいことになったって、お互い困ることもないだろう。
どうせ効く訳ないんだ。こんな気休めで、嫌な事を少しでも紛らわせられるなら――…』
いつもの彼だったら、こんな無茶なことは考えなかったにちがいない。
だが、咲希子から受けた失恋のショックが大きすぎて、後押しとなった。誰が仕掛けたか知らないが、つまらないイタズラに乗ってやることを決めた。
一度そう決心したら、行動に移るのも早かった。正人はどうやって相手を魔法にかけるのか、やり方を書物から拾い読みしていった。
それには、対象が持つ個人的なアイテムが必要らしい。目的の相手が所有している物なら、なんでもいいらしいのだが。
『……ダメだ、まさか盗むわけにはいかないし、かといって、何かを借りれるような仲でもない。やっぱり大人しく諦めるしか………ん?』
その時、運命が正人に微笑んだ。
マリアンナがその場を立ち去る時、何か小さいものが、彼女の頭から落っこちた。
近づいて見てみると、ヘアピンだった。きっと青い薔薇を留めていた中の、一つが外れて落ちたのだろう。まるで宇宙自体が合図を送ってるみたいだった。
正人はヘアピンを拾い上げた。その少し大人っぽい、けれど愛らしさもあるデザインは、持ち主の性格を表現しているように見えた。
魔法は真夜中、魔女がサバト(夜の宴会)を開く時間に行うと効果抜群らしい。日本では丑三つ時と呼ばれる、あの時間帯だ。世界のベールが最も薄い時である。
心して準備することにしよう。
☆★☆★☆★☆
その夜。
寮の部屋で大天正人は、ヘアピンを中心にして、手作りの祭壇を設置した。もちろん、あの〈トワイライト・マジック〉という魔道書に記されているとおりに。
高さに差が付けば、使う物はなんでもいいらしい。木材だろうがブリキの缶だろうが構わない。そこで、雑誌やマンガ、おもちゃの箱、教科書などを積み上げて、高さを調節した。
さらに、何か架空の生き物を象ったもの――依り
月光が窓から流れこみ、部屋をぼんやりと
書いてある呪文をたどたどしく読み上げながら、正人はマリアンナの姿を思い浮かべた。探していた本がやっと見つかった時の、彼女の笑顔を思い出す。そこに、すべてのエネルギーを集中させた。
その途端。
ヘアピンが一瞬、光った。………ように、見えた。
光の加減かもしれない。正人は座りこんだまま、他に変化がないか待ったが、特に何も起こらなかった。周りの空気が重くなり、目に見えないエネルギーで充満した
『本当に効果があるのか、これ?』と疑問に思った。ヘアピンを持ち上げてみたが、変化は感じられない。ためつすがめつしても、同じだった。
「……俺、何やってるんだろ」
思いがけない物が手に入って、つい我を忘れてしまっていたが。終わってしまえば興奮も冷め、空しさだけが残る。夜も遅いし、今日はもう寝ることにした。(使ったピンは、机の引き出しに仕舞った。律儀にも、いつか返そうと考えつつ。)
でも、あんな馬鹿馬鹿しいことに熱中したおかげだろうか? 色んなことがあったわりには、この日はぐっすり眠れた。
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