トワイライト・マジック ~魔法で夢を叶える方法~

さきはひ

1章

第1話 黄昏の始まり

大天正人おあままさとは、聖エルドラン・アカデミーの門を通り抜けた。


 ここ、聖エルドラン・アカデミーは、首都から少しだけ離れた、山あいの町にあるカトリック系の学院だ。豊かな緑と、ゴシック様式の建築物に囲まれた構内は、それこそ絵に描いたように美しい。


 太陽の光がステンドグラスの窓を通り抜け、古い石壁にカレイドスコープのような模様を描き出している。

 彼のように宗教とは無縁な者でも、なんとなくかしこまったような、清々しい気持ちにならずにはいられなかった。


『いつも思うけど、この場所……まるでおとぎ話の中みたいだよな。いまだに、自分がここにいるって信じられなくなるよ』

 歩きながら、正人は受験当時のことを回想した。


 あれは、正人が数年前に両親をなくしてから、はじめて訪れた転機だった。ハッキリ言って、無謀な挑戦だったと言っていい。周りからは絶対に落ちると言われていたし、自ら思ってもいたのだが、めでたく合格することができた。

 それまでの努力が実を結んだとも言えるが、運も大きかった。直前に確認していたところが、不思議と的中したのだ。おかげで、実力の120%くらい出せたと思う。


 正人には、そういうことが時たまあった。パッと見は、とりたてて特徴もない男子なのだが、ヘンなところで運が良かったりする。


 まあ最近は、あんまりその恩恵に預かれていないんだけど。いずれまた、いいことあるさ。

 そんな気持ちで、それなりに充実し、それなりに漫然とした日々を送っていた。


 この日。

 運命の歯車が、大天正人をめぐって回りだすことになるまでは。


☆★☆★☆★☆


 正人は最後の踊り場を通りすぎた。遠くから、礼拝堂の鐘の音が響いてくる。


 ジーン…と重く、骨の髄まで染みわたりそうな音ではあるが、その鐘のを五月蝿いと感じたことはなかった。おかげで空気は存在感を増し、むしろ静けさは深まった。

 こういう時、学院はまるで時の流れから切り離され、別な世界にあるかのようだった。

「――よし」

 今日は大切な日だ。覚悟を決めるべく、正人は大きく深呼吸した。


 だが。廊下へ出たところで、それまでの静けさは突然中断された。

 教室から聞こえてくる空騒ぎが、平和な雰囲気を破ったのだ。好奇心をそそられた彼は急いで足を進めた。

 教室に入ると、女子生徒たちのグループが浜崎咲希子はまさきさきこの机の周りに集まっているのが分かった。興味と軽蔑の入り混じった表情で、何かを噂していた。


「へぇ、おもしろーい!」

「今時、こんなの書く人いる?」


 そんなことを言って、何かを冷やかしている。

 騒ぎの原因は、浜崎咲希子の机の中から見つかった手紙だった。


 それは一言で云ってしまうと、ラヴレターであった。だが、差出人のまごころと詩的な表現で満たされた文章は、いまや咲希子の手によって、女子生徒たちの間で笑いのタネになっていた。どうやら手紙を宛てられた者は、その想いを忍ぶよりも、公表することを選んだらしい。


「ねぇ、こことかヤバくない? キモすぎる!」

「恋愛漫画の読みすぎなんじゃない? きっと必死な負け犬ね」


 女生徒たちの嘲笑う声に、正人の心は沈んだ。

 そう――彼女だけに宛てたはずの手紙が、いまや公衆の前に晒されていたからだ。衝撃と恥ずかしさで茫然となった。

 唯一の救いは、名前を記していなかったことだろう。

 しかし、その頼みの綱もやがて引き裂かれた。


「でも誰? これを送ったの? 名前ないよね」

「咲希子は、心当たりある?」


「うん……あるよ」


 それまで黙っていた浜崎咲希子が、ためらいがちに、そっと顔を上げた。赤いメガネの奥の、つぶらな瞳がハッキリと正人を―――こちらを見た。


「あー、そうなんだぁ……ちょっと意外」

「あるかも。なんか納得しちゃった」


 勝手に決めつけるなと言いたいところだったが、そんなことをすれば火に油を注ぐだけだったろう。何もかも知らないフリをして、黙っているしかない。この時ほど、モグラになりたいと思ったことはなかった。


 次第に後悔が押しよせてくる。そう……

『こんなことなら、何もしなければ良かった』

 そんな思いが、胸のうちにきざしてくる。


 やってみなければ何も変わらないと、勇気を出したつもりだった。

 だがその結果は、考えていた以上に、最悪なものとなった。この時を期に、大天正人の穏やかな学園生活は終わりを告げた。


 まさかこれが、魔法と出逢うきっかけになるとは、我々の主人公は思っていなかったのである。

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