C1-10 昨日の狩人は今日の獲物

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「!? ちくしょう!」


 酒蔵の外で、先ほどまで進を追い回していた男の片割れ、血の都アトランティスの使い手は叫んだ。悔しさのあまり、唇を強く噛み締め、拳を爪が深く食い込むまで握りしめる。


「なんだ、どうした?」


「奴ら、酒か水をぶちまけ出しやがった。もうあいつらが内部のどこにいるか分からねえ」


 進たちは、酒を建物中の壁にかけた。酒だけではなく、水道という水道を全開にして、水分を周囲に撒き散らし、魔法の効果をほぼ無力化したのだ。外壁をアルコール度数の高い酒で浸せば火もつきやすくなる。その点で、進を嫌っていた男との利害も一致した。正直醸造したばかりのアルコール含有率の高い酒で誤魔化せるか心配だったが、どうやら問題ないらしい。やはり男の魔法の精度は高くない。


「俺の血の都アトランティスに気付きやがった。勘のいい奴らだ」


「あのガキか?」


「かもな」


 さっきは見逃してやったが、次に見つけたら内臓を引きずり出してやろう。二人の男は強い殺意を燃やし、坂道を登る足音は強く大きくなっていく。


「どうせ無駄だ。外に出れば見え・・・・・・なんだ!? いくつも水があの蔵から転がり落ちてるぞ! あいつら逃げやがったか!?」


 野盗が比較的少ない方角に向かって複数の水分が動き出す。坂道をものすごい速度で下り落ちていく。小柄な男の焦りは頂点へと達する。


「笛だ!」


 ピイィィィと強い音が周囲に聞こえる。野盗たちの合図だ。笛の種類と吹き方から、意味は「敵が東に逃げた」いうことが伝わる。それを聞いた瞬間、敵全員が追わんと走り出した。 素早く動く物体の元へと駆けつける。だが、男たちはそれらを見て愕然とする。


「お、おい、待て!」


「樽!?」


 転げ落ちたそれらは、人ではない。酒か水かで満杯になった樽だ。明らかなフェイク。少し冷静に考えれば分かることだが、下り落ちる速度は人ではありえない。


「これは囮だ!」


 酒蔵が燃える。それと同時に人の形の水分が、酒蔵に置いてあった台車に乗って、いくつも北へと向って坂を下り出す。それとは別方向に、逃げ出す男が一人いる。先ほど進に反発していた大柄の男だ。


「一人逃げたぞ! 西だ!」


「もう見つけてるよ」


「ぐあああ!」


 一人逃げ出した男は野盗の一人に即座に襲われる。もう動けないよう、右片足を切断される。血が、砂利を染め上げる。


「へへ、どう遊ぶかな」


「言ってる場合か! 本命は森の方へ向かったぞ!」 


 再びピィィィという笛の音が響く。今度は違う笛の種類だ。意味は「敵が北へ逃げた」だ。敵全員が必死に森へと走る。一人も逃すまいと皆が鬼の形相で、走行速度も陸上選手のようなとてつもない速度だ。相手が人か動物かは分からないが、日頃から走って狩りでもしているのだろう。だが・・・・・・


「!?」


「おい、あれ全部何かの人形だぞ!」


 そう、走りだしたそれらは全て藁などを集めて作った人形だ。水で浸した材料を人形に仕立て上げ、台車に括り付けて走らせたのだ。そうすることで、さも人間が逃げ出したかのように演出することに成功する。それらもよくよく考えれば水が滴り、不均等な形をしていて、違和感に気づけたはず。だが、焦っている男たちにそんな余裕はなかった。


「あれもフェイクなら本物の人間は!?」


「樽だ!! 樽から人間が出てきやがった!!」


 村人が何人も、樽の内部に隠れていた。転がり終わったところで樽を割り、村の外へと逃げ出す。樽に水を満杯にすることで、内部の人間と水の区別をつかなくさせた。進は的確に、相手の弱点をついたのだ。


「あんのクソガキ!! よくもハメやがったな」


 小柄な男は、目が血走り、ただでさえ強く握りしめた拳を割れんばかり握り直す。爪が食い込み、血が滴り落ちる。きっと親の仇ほど進を憎んだのだろう。もっともこの男は親の顔など知らないが。


「樽の中から出たはずだ! あのガキだけは干からびるまで泣かして殺してやる!」


 男は声が掠れるまで叫ぶ。だが、当の進は全くその声を聞いていない。それもそのはず、進は台車で走り落ちる藁人形の中に隠れているのだから。樽で隠れるグループと、藁人形に紛れるグループの二手に別れたのだ。 それはターゲットを分散させる目的だった。


「うおっ!」


 坂道を下る台車は木々と激突し、進は吹っ飛ばされる。幸い周囲は雑草が生い茂げり、地面は柔らかく、落ちてもあまり大きなアザはできずに済んだ。


「あいたた・・・・・・」


「大丈夫?」


 声をかけてきたのは進に協力的だった女性だ。彼女もこちらに混ざって台車で降りてきたようだ。幸い、彼女は下る時に無傷で済んだようだ。


「うん、まあ大怪我はしてないよ」


「そう、良かった」


 それは愛情に満ちた顔だった。進はどこか懐かしい気持ちになり、心が和らいだ。どうにかしてこの人と一緒に自国に帰れないだろうか。そんな風に贔屓するほど、進は女性の気遣いに感謝していた。


「どうして皆を説得してくれたの? それに、俺と一緒に来たの?」


「この子を助けてくれたからよ。私の娘よ」


 女性の足元から女の子が出てくる。カチューシャをつけた可愛らしい女の子、さきほど噴水に隠れて震えていた子供だ。


「その子も一緒にきてたのか・・・・・・」


 母親と同じ赤毛の女の子はこくりと頷く。可愛いらしい、守りたい笑顔だ。だが、一歩間違えばその子が野盗たちの玩具にされていたのかもしれない。恐ろしい世界だ。


「この子も私も何分も水の中で呼吸を止められない。こっちのほうが生き残る確率が高いと思ったの。それに、あなたと逃げたかったから」


「俺と?」


「ええ。さっき噴水にこの子が隠れていた時、目が合ったと聞いたわ。あなたはあの子に気づいていて、やろうと思えば囮にできたはず」


 女性が子供を頭をゆっくりと撫でる。華奢ゆえに誰よりも不安を感じているだろう女の子も、今は少しはリラックスできているようだ。体が上下に動き、徐々に活発さを取り戻していく。


「でも何もせず、あえてあの酒蔵に来させた。とても感謝しているわ」


「それはただ、あいつらの気まぐれだよ」


「だとしても、あなたは信じられる人間だと思う」


 気恥ずかしい。ここまで見ず知らずの人間に褒められたことはあるだろうか。望んでもいない異世界への移動だったが、今ばかりは嬉しさが高まる。


「でも末恐ろしくもあるわ。この短い間で何重にも罠を仕掛けたのだから」


「罠って人聞きが悪いな・・・・・・ それに、基本一,二手目はフェイクだって。漫画とかでは当たり前だよ」


 言いながら漫画という単語は通じないだろうなと気づく。果たしてこの世界にまともな大衆娯楽はあるのだろうか? 可愛らしい少女と母親を目にし、そんな下らないことを考える余裕が生まれていた。


「きっとあなたはこの先も大勢を救うわ。あるいは・・・・・・.!!」


 急に女性の顔が青ざめる。何か、とんでもないものに気づいてしまったのだろう。


「誰か一人ここへ迫ってきてる! とにかく逃げて! 私たちとは違う方向に!」


 そういえば女性は感知系の魔法を持っていると言っていただろうか。おかげで敵の動向に気づくことができたのだろうか。


「わ、分かった。でもその子を背ぶっていこうか? 多分あなたよりは早いよ」


「どこまでもお人よしね」


 ふふっと笑う彼女の微笑みは、絵画で見た女神のように優しかった。これが本当に絵の世界ならどれだけ幸せだろうとも思う。


「大丈夫よ、さあ行って」


「う、うん。無事で!」


 進は全力で走り出す。野球部の走り込みが懐かしい。おもわず、一、二、と数を口ずさんでしまいそうになる。だが、そんな余裕はない。全力でその場から離れなければ死ぬのだから。だが、気になる。なぜあの親子は自分たちとは別方向に逃げろと言ったのだ?

 嫌な予感がする。進は今来た道を戻る。小走りはするものの、気づかれないように足音を殺し、木々に隠れながら慎重に戻って行った。

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