C1-4 悶絶へのカウントダウン

「お、俺は・・・・・・あの男とは何の関係もない」 


 あまりの緊張で喉が詰まる。ごくりと唾を飲み込むが、体が震える。加えて、先ほどよりも遥かに強い不気味な甘い匂いが部屋中を覆っており、進は気がどうにかなりそうだった。しかし、黙っていても酷い目にあうだけだと、なんとか声を振り絞る。   


——————


 それは今から数時間前のことだった。受験に落ちた進は、心身が疲れ果てて自室で寝ていた。目を覚ますと彼は見知らぬ森の中にいた。


 ——なんだ一体、ここは? 


 横たわっていた状態から立ち上がって、鶏のように首を振りながら周囲を確認した。木々が生い茂る、全く身に覚えのない光景が広がり、恐怖心が増していった。 


 ——どうしてこんな所にいるんだ? それに、何だこの違和感は? 


 感じていた違和感の正体、それは普段見かけない種類の木々や草花に囲まれていたことであった。それだけでなく、普段より湿度の低い空気や、僅かに香る甘い空気の匂い、目に映る大半のものに馴染みがなかった。不安を抱えながらしばらく歩くと、ある建物が目に写った。 


 ——なんだあの建物は? 


 城のような、周囲を湖に囲まれている鈍色の建物があった。十mを超える塔を構え、見た目は豪勢だ。しかし、占める面積は二世帯住宅ほど。古風なレンガ造りで、壁面まで雑草が生え茂っていた。長い間手入れがされていないことは即座に理解できた。 


 ——何も分からないけれど、屋内なら誰かいるかもしれない 


 重く錆びた扉を押し開ける。ギギギと不気味な音が、建物内に響き渡る。進は埃まみれの空気を吸い、咳こんだ。建物の中はボロボロの椅子や机、蝋燭台などがあちこちに多少の規則性を保って設置されている。奥には黒板らしき大きな板があり、ヒビだらけの天井から日が漏れていた。よく見ると、風化したノートやペンの類が散らばっていた。どうやらそこは教育施設のようだ。老朽化したそれらは、教育施設だったと過去形にするほうが正しいかもしれない。 


「すみません! 誰かいますか?」 


 建物内に人はおらず、声は虚しく響く。しばらく周囲を見回していたが、人はおろか鼠一匹の気配も感じられなかった。まるで数年前から時が止まっているかのようだった。敷かれた赤い絨毯や置かれた家具もどこか品があり、この静寂の中で進は不思議と落ち着いた気持ちになれた。 


 ——さて、どうしようか 


 比較的汚れの少ない椅子を直立させ、埃を払い、腰をかける。思案を巡らせていると、ドゴォと大きな音とともに、扉が再び開けられた。強すぎる力で開けられたせいか、扉は開いたまま閉じない。ただでさえあちこちから漏れている光が、さらに入り口から入ってきた。 


「!? な、何だ」 


「はぁ、はぁ、おぇ」 


 汗と傷だらけの人相の悪い男が、息を切らしながら教会の中へと駆け込んできた。必死に長い距離を走り続けたのだろう。嘔吐しそうなほど苦しんでいる顔が見えた。 


 ——!! 良かった、人がいた 


 見た目は怪しいが、ようやく人に会えた。安堵する進とは対照的に、男には焦りと恐怖の表情が見える。呼吸を整えるために、中腰で立ち止まり、何度も息を吸っていた。一体どれだけの時間を走り続けたのだろう。餌を食べるコイのように大きな口を空け、何度も何度もゼーハーと息をする。そのただならぬ様子に、進は心配した。 


「あの、大丈夫ですか?」 


 多少の恐れはあるものの、進は人相の悪い男に近寄った。その行動は彼の育ってきた環境がいかに平和かを示すものだった。善意には善意が返ってくる、彼の中の常識が躊躇いなく雑草だらけの硬い床を歩ませた。 


「どけぇ!!」 


 男が叫びながら手を進へかざすと、そこから光の円盤のようなものが発せられ、飛んできた。そして次の瞬間—— 


「うわっ!?」 


 不幸中の幸いは急所に当たらなかったことだろう。男は満身創痍で狙いを定める余裕はなかった。しかし、光の円盤は進の左手、手首から先の部分を切り飛ばした。傷口から倒れたマグカップのようにどくどくと血が溢れ出ていた。 


「手がああぁぁ!?」 


 —————— 


「初めて会って、いきなり襲われて・・・・・・」 


 そして、今に至る。弱々しく、たどたどしい進の返答を聞き、二人はしばらく考え込んでいる。進が言っていることが嘘ではないと理解している雰囲気は感じられた。それもそうだ、仲間の左手を切り落とすなど普通はあり得ない。だが、相変わらず冷たい疑いの眼差しは変わらない。喉が急速に乾燥していくのを感じる。   


「質問を変えようか。 あんた、名前は?」   


「た、多田進。下の名前がススムなんだ」   


「ススムが氏名なの? 聞いたことない名前」   


 ススムはそんなに珍しい名前だろうか。自国ではありふれた名前だと思う。今の反応からやはり相手が異国の人間だということは推測できる。相手が正気かはわからないが。  


「あんた、どこから来たんだい?」   


「日本だけど」   


「ニホン? それって村か町の名前?」   


「国だけど・・・・・・」   


 相手が外国人だと予想する進は、真っ先に国名を告げる。おかしなことは言っていないはず。何度も自分の頭の中で言葉を反芻した。ものすごく有名な国ではないことは知っているが、だからといって誰も知らないマイナーな国ではないはず。そもそも言葉が通じているのだ。論理的に知らないなどあり得ない。あり得ないことが起きていなければ。   


「あんた、ミルグ国とエディティア国は知ってるかい?」    


「えっ・・・・・・知らないけど」   


 何度も記憶を探ったが、そんな国々は知らない。地球上のどこかにはあるのかもしれないが、少なくとも歴史で学んだことはない。というより、自国の言葉が通じるのであれば、国内で知れ渡っているはずだ。


 進はまたしても頭のおかしな人間に絡まれてしまったと悲しみに暮れる。すぐに暴力を振るわないだけ先ほどの男より遥かにマシだが、抱えた緊張を解放できずにいた。      


「知らないわけないでしょ。あんたが今いるここはミルグよ」     


「し、知らないよ! 今ここにいる理由も分からないんだ!」   


「どうやらふざけているようね。話す気がないのなら、こうするしかないわ」   


「!?」   


 必死の声は相手の心には届いていないようだ。赤髪の少女は腰の鞘に刺していたナイフを手に取り、進の右側に立つ。刃渡り10cmはあるだろう。丁寧に研磨されているのか、鏡のように綺麗な刀身だ。だが、少し刃こぼれがあり、それが今までそのナイフが使用されたことを証明している。そして、ちょうど刀身の真ん中を進の親指の根元に当てる。まるでギロチンのように。   


「5秒以内にさっき聞いたことを正確に答えなさい。でないと親指を切り落とす」   


「な!?」   


「5」  


 機械のような感情のない声が発せられる。彼女の目には全く光がない。全身の血の気が引いていき、冷や汗が止まらない。   


「ま、待って! 本当に何も知らないんだ!」   


「4」   


「あ、あんた達犯罪者になるぞ!」   


「3」  


 前科がつくとなれば誰でも慌てるはず。そうでないということは、ここは無法地帯なのか。それとも元々彼女らは犯罪者なのか? 危機的状況の中、脳は高速でいくつも仮説を生みだすが、それらは今役に立たない。   


「こんなことで捕まりたくないだろ!」   


「2」    


「考え直せ!」   


「1」   


「ひっ!」   


 強く歯を噛み締め、目を閉じて理不尽な痛みを覚悟した。だが、冷たい刃は進の親指に当てられたまま微動だにしなかった。数秒経って進は理解する。これはただのハッタリなのだと。それにしては彼女の表情からは本当に感情が汲み取れなかった。かろうじて見えたのは、まるで飽き果てた単純作業を行うような退屈そうな表情だった。   


「ふ。犯罪者、か。意外とまともなルールのある国の出らしいわね。妄想だろうけど」   


「はぁっ、はぁっ・・・・・・」   


 少女は先ほどの無表情から打って変わり、まるでフェイクニュースを読んだような枯れた笑みを浮かべながら元いた場所に戻った。落ち着いている彼女たちとは対照的に、進は今まで味わったことのない恐怖によって息を荒げていた。強い恐れが、本当に指が切れていないか何度も見返させる。   






「直怪しいけど、今構うほど重要な人間じゃなみたいね。逃していい?」   






 どうやら今の芝居のおかげで自分がほぼ無罪だと証明できたようだ。ようやく強い緊張を発散できる。ようやく帰れる。笑顔とまではいかないが、進の表情は穏やかなものになっている。ゆっくりと呼吸ができる。それは目の前の二人も同じようだ。   


「んー」   


 金髪の女性は天井を見上げてしばらく悩んでいた。ようやく安心できるとと思った進の表情が険しくなる。そして、女性は十数秒悩んだあげく、その場にいた皆の予想外の一言を放った。   


「いや、私たちの国へ連行しよう」

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