公爵令嬢の犬になりました。文字どおりの意味で
亜逸
公爵令嬢の犬になりました。文字どおりの意味で
「お断りしますわ」
社交パーティの場に、ヒルキエム公爵家の長女――エレナの冷ややかな声が響き渡る。
拒絶の言葉を向けられた、ハルマーク伯爵家の長男――ルシオは顔色を青くするばかりだった。
ことは数分前。
かねてからエレナとの婚約を熱烈に希望していたルシオは、社交パーティという紳士淑女が集まる場を利用してエレナに求婚した。
その結果が、味も素っ気もない「お断りしますわ」だった。
「ぼ、僕は君のためならばこの命を差し出してもいいと思っている。そ、それでも駄目なのか?」
震えた声音で食い下がってくるルシオに、エレナはなおも味も素っ気もなく告げる。
「ダメですわ。わたくし、あなたのそういう〝重い〟ところが嫌いですもの」
ルシオの表情が、この世の絶望を煮詰めたような顔になる。
色にしても、青を通り越して死相を思わせるほどに白くなっていた。
その様を見ていた紳士淑女たちが、ヒソヒソと好き勝手に喋り始める。
「これはまたひどいフラれっぷりだな」
「断るにしても、もうすこし……ねえ?」
「まるで公開処刑だな」
だがヒソヒソとは言っても、わざとなのか、誰も彼もがしっかりとエレナの耳に届く程度の声量で話していた。
自然、エレナの口からため息が漏れる。
(やれやれですわね。ここは今後のためにも、多少は寛大さというものを見せておいた方がよさそうですわね)
そんな考えのもとに、エレナがルシオに向かって言った言葉は、
「仕方ありませんわね……どうしても言うのであれば、わたくしの犬になりなさい。それが嫌ならば、今すぐわたくしの前から消え去ることね」
寛大という言葉の意味を考えさせられる、えげつない言葉だった。
言うまでもないが、紳士淑女たちはドン引きである。
一方ルシオは、さすがに犬になるのは嫌だったのか、絶望顔をそのままにトボトボと社交パーティの会場から出て行った。
こうしてルシオの恋路は終わった。
当事者であるエレナのみならず、その場に居合わせた紳士淑女たち全員がそう思った。
しかし翌朝――
ヒルキエム公爵家の館。
その一階にある自室のベッドで眠りについていたエレナは、カーテンで閉ざされた窓の向こう――庭先から聞こえてくる鳥の
動物たちの声を聞いて眠りから覚める。
なんと清々しい朝だろうかと思いながら、ベッドから下りたエレナだったが、聞こえてきた動物たちの声の中に〝異物〟が混じっていたことに気づき、眉をひそめる。
〝異物〟とは、犬の鳴き声だった。
エレナはもとより、両親も、弟妹も、犬は飼っていない。
なんだか嫌な予感がしてきたエレナの頬を、冷たい汗が伝っていく。
「き、きっと野良犬が庭に迷い込んだだけですわ。そうに違いありませんわ」
そう自分に言い聞かせながら窓へ向かい、朝日を出迎えるようにしてカーテンを開ける。
そうしてエレナの目に飛び込んできたのは、
眩しい朝日と、
手入れが行き届いたヒルキエム公爵家自慢の庭、
そこで戯れるように――というか怯えるように空を舞う小鳥と、
四つん這いになって犬のように庭を駆けずり回る、ルシオ・ハルマークの姿があった。
エレナは、そっとカーテンを閉める。
たぶん、昨夜の社交パーティの疲れがとれていないのだろう。
そうでなければおかしい。
というか、おかしすぎる。
大の男が、それも貴族の長男が、「犬になりなさい」と言われて本当に犬になるなどあっていいわけがない。
そう何度も何度も自分に言い聞かせ、エレナはカーテンを開ける。
そうしてエレナの目に飛び込んできたのは、
背中を地面に擦りつけている
エレナは、そっとカーテンを閉める。
まるで犬の前足のように両腕を折り曲げ、これでもかと背中を地面に擦りつけるルシオの仕草は、腹立つくらいに堂に入っていた。
人間性を捨てなければ到達できない領域だと思わされるほどに。
(……いえ、違いますわ。かろうじてではあるけど、ルシオはまだ人間性を捨てていませんわね)
仕草も、だらしなく口を開けて舌を出している表情も、見事なまでに犬そのものだった。
だがその一方で、ルシオはしっかりと服を着ていた。
その事実は、ルシオがまだ完全に人間性を捨て切れていない何よりの証拠。
というか、そこまで人間性を捨てていた場合、ルシオの犬っぷりにドン引きするよりも先に館の衛兵を呼んでいたところだ。
兎にも角にも、完全に犬になりきれていないということは、話が通じるかもしれない――そう思ったエレナは
「ルシオ。こちらに来てください」
ルシオは顔だけをこちらに向けて「わふ?」と鳴くと、飼い主を見つけた犬のように笑顔で四つん這いで窓の前まで駆け寄ってくる。
ルシオの腰のあたりに、あるはずもない尻尾がブンブンと振っている様を幻視してしまったのは、一生の不覚としか言いようがなかった。
エレナは「コホン」と一つ咳払いをし、行儀良く
「ルシオ。確かにわたくしはあなたに『犬になりなさい』と言いました」
「へっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっ」
「ですが、それはあくまでも比喩であって、本当に犬になれという意味ではありません」
「へっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっ」
「ですからもう、このような茶番はやめに「へっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっ」
「『へっへっへっへっ』うっさいですわよ――――――――――っ!!」
エレナの怒声が館に響き渡る。
「へっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっ」
ルシオの「へっへっへっ」が庭に響き渡る。
昨夜のルシオは面白いくらいに表情を変えていたのに、犬になってからはだらしなく口を開いてだらしなく舌を出してすっとぼけた顔をしているだけで、微塵も動じていなかった。
「と、とにかく! このような茶番はもうやめにしなさい!」
そう怒鳴りつけたところで、エレナの怒鳴り声を聞いた父――ヒルキエム公爵が部屋の外から声をかけてくる。
「エレナ……事情は大体わかっている。入ってもいいか?」
事情は大体わかっている――そんな言葉が扉の向こうから聞こえてきた瞬間、エレナは二つ返事で「どうぞ」と父親に返した。
ゆっくりと扉を開けて部屋に入ってきたヒルキエム公爵は、窓の外でおすわりしているルシオを見て、独りごちる。
「まさか、本当に犬になりきっているとは……」
片手で頭を抱えながら嘆息するヒルキエム公爵の顔は、ちょっと半笑いになっていた。
なんだったら、頬がちょっとひくついていた。
そんな父の反応になんとなく嫌な予感を募らせながらも、エレナは訊ねる。
「お父様。『まさか』とはどういう意味ですの?」
「実はだな……今朝、ハルマーク伯爵からこのような手紙が届いてな」
そう言って、ヒルキエム公爵は懐から手紙を取り出し、エレナに見せる。
ルシオの父――ハルマーク伯爵からの手紙には、こう記されていた。
『ルシオのこと、ヒルキエム家の犬として末永く可愛がってやってください』
「……ハルマーク伯爵家には、頭のおかしい方しかいらっしゃらないのですか?」
「そう言ってくれるな。ハルマーク伯爵家は代々優秀な騎士を輩出している武門の名家。訓練の最中に
「フォローしたいのか
「それゆえか、ハルマーク伯爵家の男子は気持ちの良い性格をした者が多くてな」
「気持ちの悪い性格の間違いではありませんの?」
「というわけだから、しばらくの間ルシオを飼ってやりなさい、エレナ」
「『というわけだから』ってどういうわけですのお父様っ!?」
エレナの怒声じみた悲鳴が、館に響き渡る。
「なに、こうも完璧に犬になりきっているルシオくんを見て、おもしろ――うぉっほん。ルシオくんに振り回されてエレナが右往左往しているところを見るのがおもしろそうだと思ってな」
「それ、わざわざ訂正した意味あります!?」
「というわけだからエレナ、ルシオくんの世話を頼んだぞ。……あ、ちなみにこれ。当主命令ね」
先程と違って実によく意味がわかる『というわけだから』に、エレナは言葉を失う。
鬱陶しいことにウィンクまでしてくる父と、このやり取りの間もずっと「へっへっへっへっ」言っていた
「お父様……可及的に速やかに
「これでは、ハルマーク伯爵家のことは言えませんわね……」
今のエレナの言葉が、先日ハルマーク伯爵家に対して「頭のおかしい方しかいらっしゃらないのですか?」と言っていたことを指しているのはさておき。
エレナは今、庭で犬の散歩をしていた。
犬は当然ルシオのことを指しており、彼の首にはヒルキエム公爵が用意した首輪が嵌められていた。
そして、その首輪と繋がっている
なぜかリードで繋がれている時の方が生き生きとしているルシオが、楽しげな鳴き声を上げる。
「わんっ! わんっ! わふっ!」
エレナに繋がれて庭を散歩しながら、ルシオは飛んだり跳ねたりと大はしゃぎしていた。
大型犬がそうするように、ドサクサに紛れて抱きついてきた日には、ビンタの一発でもかまして敷地外に放り出してやるとか考えていたが、先日のエレナの見立てどおり、かろうじてながらも人間性を捨てていないせいか、ルシオはそのような粗相はやらかす素振りすら見せなかった。
そういうところが余計にイラッとしますわね――などと考えていたエレナだったが、はしゃいでいたはずのルシオがその場でおすわりをし、敷地を隔てる壁の向こうを愛おしそうに見つめているのを見て、察する。
「そんな目をしてもダメですわよ、ルシオ。外での散歩はわたくしが社会的に死にます」
「くぅ~ん……」
甘えるような声を上げて、ルシオはその場に伏せる。
それを見て、不覚にも一瞬だけ可愛いと思ってしまったエレナは、今すぐここで自分の舌を噛み切って死のうかどうか本気で悩んだ。
「ほら、ルシオ。餌ですわよ」
皿に盛った残飯を与えると、ルシオは皿に顔を突っ込んで一心不乱に食べ始める。
最初は挑発も込めて、ヒルキエム公爵家の専属コックが腕によりをかけた料理をテーブルの上に並べてみたが、ルシオは「へっへっへっへっ」と言うだけで、椅子に座る素振りすら見せなかった。
それならばと床にステーキの載った皿を置いてみたところ、まさしく犬そのものの挙動で皿に顔を突っ込み、ステーキをかっ食らった。
エレナと使用人たちがドン引きする中、ヒルキエム公爵だけが爆笑していたのは、だいぶイラッときたことはさておき。
「なんか、この光景にも慣れてきましたわね……」
そのことに、けっこうショックを受けているエレナだった。
完全に犬になりきっているとはいっても、何日も風呂に入らない上に、同じ服のままでずっと居させるのはさすがによろしくないので、ルシオには毎日のように風呂に入り、毎日のように着替えさせていた。
とはいえ、相手が犬になりきっている以上、風呂にしろ着替えにしろルシオ本人にやらせるわけにはいかない。
エレナ自身は当然そんな役割など負いたくないし、使用人に命ずるのも
そこで名乗りを上げたのが、ルシオの世話をエレナに命じたヒルキエム公爵だった。
ルシオを風呂に入れ、さらには着替えさせたヒルキエム公爵は、廊下を歩きながら隣にいるルシオに話しかける。
「どうだルシオ。さっぱりしただろう? ……っと、こらこら。顔を舐めるんじゃない」
そんな父の言葉どおり、ルシオはヒルキエム公爵の日面をペロペロと舐め回す。
紳士的というべきかどうかは判断に困るところだが、かろうじてながらも人間性を残しているルシオは、女性に対してスキンシップはとらないようにしているが、男性に対しては別だった。
だから、何の遠慮もなくルシオはヒルキエム公爵の髭面をペロペロと舐め回し、公爵は公爵で何の抵抗もなくルシオに顔を舐め回されていた。
娘としては、少しは抵抗しろやと思わなくもない。
「おぉっエレナ、いたのか。ルシオくん、おすわり」
命じられると、忠犬さながらにルシオはその場でおすわりする。
躾がよく行き届いていることを喜ぶべきかどうかは判断に困るところだった。
ヒルキエム公爵はエレナに歩み寄ると、片手でこちらの肩を掴み、空いた手で親指を立てながらこんなことを
「エレナ。ルシオくんはなかなか
父親の下世話すぎる言葉の意味を理解したエレナは、深々とため息をつく。
「お父様。今からお父様のことを、公爵家
エレナのえげつなさすぎる言葉の意味を理解したヒルキエム公爵は、股間を守るようにしてキュッと股を閉じる。
その様子を、ルシオは「へっへっへっへっ」言いながら、イラッとくるほどつぶらな瞳で眺めていた。
ルシオに優しいのは、ヒルキエム公爵だけではなかった。
「ルシオをいくわよ~」
エレナの母――ヒルキエム公爵夫人は、その手に持ったゴムボールを投げて、ルシオに取りに行かせる遊びに興じていた。
その様を、エレナは、ゴムボールとか世界観どうなってやがると思いながらも自室の窓から眺めていた。
ゴムボールを口に咥えて戻ってきたルシオを、夫人は笑顔でワシャワシャと撫で回す。
「よ~しよしよし、イイ子ね~……あら? どうしたの、ルシオ?」
ゴムボールを返したルシオが、おすわりの体勢でそわそわし始めたのを見て、夫人は察する。
「オシッコに行きたいのね。いいわ。行ってらっしゃい」
「わふっ」
元気よく返事をすると、ルシオは庭の茂みに駆け込んでいった。
(絶対、この瞬間だけは人間に戻っていますわね)
とエレナは確信するも、そこにツッコんでしまったら、いよいよルシオが人間性を完全に捨てきる予感したので、決して口には出さなかった。
そんな日々が半月ほど続き、
「たまるものですか――――――――――っ!!」
エレナの魂の叫びが、自室に響き渡る。
今夜は土砂降りの大雨が降っていたため、さすがに館中に響くことはなかった。
この半月で、ルシオはすっかりヒルキエム公爵家に馴染んでいた。
父と母のみならず、弟妹も、使用人たちすらも、ルシオを受け入れ始めていた。
「これでは、ハルマーク伯爵家のことを言えないどころか、
ベッドに突っ伏しながら打ちひしがれる。
正直、半月前に「ハルマーク伯爵家には、頭のおかしい方しかいらっしゃらないのですか?」と言っていた自分をぶん殴ってやりたい気分だった。
「それにしても……」
ベッドに突っ伏したまま、横目で窓を見やる。
窓の外では、凄まじいまでに雨風が吹き荒れていた。
ルシオは庭の隅にある、ヒルキエム公爵が手ずから作った犬小屋で寝泊まりしている。
作る方も作る方だし、その犬小屋に喜々として寝泊まりする方もする方だと思わずにはいられないことはさておき。
父の力作ゆえにそこそこに立派な犬小屋といえども、これほどの雨風の中、犬小屋で寝泊まりするのは、いくらルシオといえども厳しいのではないかとエレナは思う。
「……仕方ありませんわね」
ため息をつくと、エレナは大きめの傘を持って館の外に出る。
目指す場所は勿論、ルシオの犬小屋がある庭だった。
「か、風邪を引かれたりでもしたら、寝覚めが悪いですしね」
などと言い訳しながら、庭を歩いていたその時だった。
突然背後から、野盗と思しき男に羽交い締めにされたのは。
「きゃあっ!? な、なんです――うぅっ!?」
野盗はもう一人いたらしく、猿ぐつわをかまされたエレナは助けを呼ぶ声を封じられてしまう。
「この大雨を利用すりゃ、貴族のご令嬢を拉致れるじゃないかと思って張ってたら大当たりだったな、相棒!」
「ああ! まさかご令嬢の方からノコノコ外に出てきてくれるなんてな! ツイてるぜ俺たち!」
「ん~~~~~~~~っ!! んん~~~~~~~~っ!!」
「無駄無駄。外は暗ぇし、雨のせいでちょっとやそっとの物音は
「つっても、あんまりのんびりしてるわけにはいかねぇからな。さっさとズラかって、公爵様に思いっきり身代金吹っかけてやろうぜ」
「だな」
応じながら、野盗の一人はちょっと涙目になっているエレナを小脇に抱える。
(いや……いやっ! 助けてっ! 誰か助けてっ!)
必死に助けを呼ぼうとするも、猿ぐつわをかまされているせいでまともに声も出せず、エレナはますます涙目になる。
(助けてっ! お父様っ! お母様っ! ……ルシオっ!)
そんな心の叫びが聞こえたのか。
「がうッ!!」
犬小屋から四つん這いになって飛び出してきた
その痛みに野盗はエレナを取り落としながらも、悲鳴を上げる。
「いだだだだだッ!? なんだこいつ!? 人間!?」
「あ、相棒から離れやがれ!」
もう一人の野盗が、相棒の腕に噛みついているルシオに殴りかかる。
犬になってもさすがは武門の出と言うべきか、ルシオは犬並みに素早い身のこなしで噛みついていた相手から飛び離れて、野盗のパンチをかわした。
のみならず、ルシオがかわしたことで野盗はうっかり相棒を殴ってしまう。
「ぐわッ!?」
「わ、わりぃ相棒――いでででででッ!?」
ルシオは謝ろうとしていた野盗の腕にも噛みつき、悲鳴の重唱が響き渡る。
「あ、あなた! 庭の方でなにか声が聞こえてきましたわよ!?」
「うむ! ちょっと見てくる!」
「あ、あなた! そういうことは衛兵に任せた方が!」
いつの間にやら雨が小降りになっていたせいか、野盗たちの悲鳴はしっかりと館まで届いていたらしく、ヒルキエム公爵と夫人のやり取りがここまで聞こえてくる。
「や、やべぇ!」
「ズ、ズラかるぞ! つうかマジ離れやがれ!」
噛まれていない野盗が殴りかかってきたので、ルシオはやむなく口を離して飛び離れる。
その隙に、野盗の二人はエレナたちの前から逃げ去っていく。
ルシオは犬のまま野盗を追おうとするも、腰を抜かしたようにへたり込んでいるエレナが視界の端に映ったのか、追跡を中断。
ノソノソとこちらに歩み寄ると、「くぅ~んくぅ~ん」と鳴きながらエレナの腕を頬で
助けてくれたお礼をしなくちゃとか、この館の衛兵はいったいいつ仕事をしているのかとか、言いたいことは山ほどあるけれど。
エレナの口から真っ先に出てきたのは、純然たる疑問だった。
「……ルシオ。ここでちゃんと
「……あ。その手があったか」
思わずといった風情で、
「あ」
思わずといった風情で、エレナの口から声が漏れる。
「…………あ」
最後に、ルシオの「やっちまった」と言わんばかりの声が漏れる。
「エレナ! ルシオくん! 大丈夫か!?」
というヒルキエム公爵の声が、いやによく二人の耳に響いた。
「――といった感じだったかしらね。わたくしと夫の馴れ初めは。まあ、
そう言ってエレナは、一緒にアフターヌーンティーに興じている娘――エリィを見やる。
エレナとルシオは先の出来事が切っ掛けとなり、トントン拍子で仲を深め、婚約を結び、結婚した。
そうして二人の間に生まれたのが、今年で一六歳となる長女――エリィだった。
「お母様。ちょっとどころか、おかしな部分しか見当たらないと思うのですが」
至極もっともな娘のツッコみに対し、エレナは紅茶を一口啜り、遠い目で青空を見上げながら呟く。
「あなたにも、いずれわかる時がくるわ」
わかってたまるか――と思っていたエリィだったが。
その夜に催された社交パーティで、さながらエレナとルシオの馴れ初め話の冒頭と同じように、エリィは伯爵家の長男に求婚されることとなる。
求婚相手に対して微塵も魅力を感じなかったエリィは容赦なく断るも、相手にしつこく食い下がられてしまい……魔が差して、ついうっかりこんなことを考えてしまった。
(お母様とお父様の馴れ初め話にあった〝あの言葉〟……このしつこい男を引き下がらせるのに使えるかもしれませんわね)
ここで引き下がらない人間など、それこそお父様くらいのもの――そう思いながらも、エリィは冷たい声音で求婚相手に告げた。
「仕方ありませんわね……どうしても言うのであれば、わたくしの犬になりなさい。それが嫌ならば、今すぐわたくしの前から消え去ることね」
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公爵令嬢の犬になりました。文字どおりの意味で 亜逸 @assyukushoot
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