第14話 戦闘

 光球によって姿が露わになる。

 

 ゆらりと木の間に佇んでいたその正体。 

 人の何倍もあるであろう、その巨躯。

 

 ドラゴンの姿があった。

 

 他の生物に一切の追随を許さず、容赦なく頂点に君臨する不動の王者。

 頑強そうな赤褐色の鱗はびっしりと全身を覆っており、隙が見えない。背中から生える両翼は分厚いことが見ただけで分かる。先程の霧を吹き飛ばしたのはこの翼なのだろう。背後に隠れかけている尻尾も長く太く、薙ぎ払われれば命はない。巨大な身体に見合ったその目は、焦点をこちらに定めた。ぎょろりと幻聴が聞こえてくる。瞳は中心が赤く外側は黒い。

 

 その目に射抜かれて息が止まった。


 錯覚ではない。呼吸の仕方を忘れてしまうほどの畏怖の念を抱く。怖いなんて陳腐な言葉では言い表せないほどの恐怖が、絶望が全身を支配する。

 

 誰かが悲鳴を上げた。


 その音で初めて、ドラゴンが出現してから静寂が保たれていたことに気付いた。ドラゴンの以外はこの場から消えたかのように、いや……まるでドラゴンの為だけにこの場があるかのように、不要なすべての音が掻き消えていたのだ。

 

 悲鳴を発端として誰も彼もが慌てて逃げ出した。団長がいないことから統率は取れておらず、撤退が一番の選択であることは間違いなかった。

 

 しかし、わたしは動くことができなかった。逃げなければいけないのに。足がまるで自分のものではないみたいに言うことを聞かない。こんなのにちっぽけな人間が敵うはずない。早く、早く動かなくては。

 

 ドラゴンはその体躯をゆっくりとこちらに向けて動き始める。人よりも遥かに巨大なためあっという間に距離は詰められる。

 

 死期を悟った。


 もう生きられない。こんなのを目の前にして足は硬直していて、魔法を唱えることすら出来ない。

 

「……あ…………」


 無意識に口から音が零れた。

 眼前まで迫ったドラゴンはわたしに向かって巨大な腕を振り払う。


「ひぃっ……」

 

 奇跡的に腰が抜けて地面に尻もちをついた。その目と鼻の先を鉤爪がさらっていく。風圧だけで目が痛くなった。しかし、閉じていては状況把握が出来ずに殺されるため、開いているしかなかった。この絶望的な状況下で、わたしは怯えることしか出来ないまま、ただ絶望を見続ける。


「お、お逃げください! 聖女様!」


 背後の騎士団の人の声で、意識が少し正常に近付く。


 そうだ、逃げなきゃ。逃げなきゃいけないんだ。まだ死んでない。生きたまま帰れる可能性だってある。足をゆっくり動かしていき、立ち上がる。大丈夫。動く、動かせる。わたしはまだ生きられる。ここで死ぬわけにはいかない。聖女なんだから。聖女になるために必死に頑張ってきたんだから。こんなところで死んでたまるか。今までの頑張りを無駄にしてたまるか。前世と同じように軽々と死んでたまるか。

 自分に言い聞かせるようにして奮い立たせる。恐怖が僅かに薄れていく。

 杖を強く握りしめ、ドラゴンへ目線を向ける。

 

 そうだ、わたしは聖女だ。

 

 人々を守る為の聖女なのだ。


 死にたくないからと逃げても良いのか。わたしがここで逃げれば被害が広がる恐れがある。だったら食い止めるしかない、この場で。もちろん死ぬ気はない。死にそうになったら全力で逃げる。その直前までは抗いたい。


 聖女としての覚悟を持って。誇りを持って。


「わたくしはここに残りますわ。救援を呼んできてくださるかしら?」


 声は少し震えていた。

 

 もしかしたら既に救援を呼んでくれた可能性もある。それでも構わなかった。試したいことがあるのだ。

 

「で、ですが……それでは聖女様が危険です! お一人でどうするつもりですか!?」

「一人でも戦えますわ。この場はわたしに任せてくださいまし。どうにもならない状況になりましたら、撤退いたしますわ」


 騎士へ精一杯の笑顔を向ける。


「……わかりました。必ずご無事で戻ってきてください」

 

 騎士はそう言うと離れていった。


「さて……はじめますわ」


 杖を両手で持つ。

 

 恐怖はまだ完全になくなっておらず、杖を持つ手が震える。それでも、戦わねばならない。

 

 今まで必死に学んできた魔法が役立つ時だ。

 

 静かに深呼吸をし、呼吸を安定させていく。通常の魔法よりも強力な高魔法を使うには、魔力の安定が求められる。魔力の安定は心の安定から来る。つまり精神的な気持ちが魔法の発動を左右するのだ。乱れた精神状態では魔法は上手く発動しない。わたしの今の心は安定とは言い難いが、さっきよりは良くなったはずだ。

 

 加えて高魔法では、詠唱の前に準詠唱と呼ばれるものが必要になる。準詠唱とは、魔法を使う際に前準備として唱えなければならないものである。強力な魔法は規模が大きいため、簡単には発動出来ないのだ。

 

 わたしは、ドラゴンとある程度距離を取り、魔法を唱え始める。


「白き光よ集え 迷いの闇を照らせ 我らの道を開け 【アル・グレイツ】ッッ!!」


 杖の周りから無数の光の玉が生まれる。回りながら激しく輝き、すべてを消失せんと白熱する。光の玉は極太の光線となり、ドラゴンへ解き放たれた。

 

 視界が白く染まり、衝撃波が押し寄せる。


 地面を揺らし、森を揺らす。

 

 その衝撃波を、腕を目の前に持ってきて必死に耐える。

 

 高魔法は威力が強すぎて、敵以外にも害が及ぶ可能性がある。だから撃つ際は周囲に人がいてはならない。

 

 風が止み、世界が静まり返る。

 

 目を見開くと、ドラゴンの鱗はところどころ傷付いていた。

 ダメージは与えられたようだが、致命傷にはなっていない。

 そう簡単にはやられてくれないか、と疲れの滲むため息を吐く。

 

 しかし高魔法は一発撃つと魔力が乱れるというデメリットがある。だから連続して撃つことが出来ない。同じ高魔法でも強弱の違いがあるが、強ければ強いほど乱れは大きくなる。

 

 ドラゴンはわたしを明確な脅威と認識したのか、咆哮を上げ、両翼を広げ、襲い掛かってくる。 

 魔法を撃てないため攻撃を紙一重で躱していく。

 

 ただ運動神経の方はあまり良くないため、このままではいつ攻撃が当たってもおかしくない。

 数発の攻撃を回避した後、時間が経ったことで魔力が安定してくる。

 

 わたしは次なる攻撃魔法を唱えようとする。

 

 しかし……。

 

 ドラゴンが息を吸うのがわかった。空気に明確な流れが生まれる。大量の空気がドラゴンの口元へ吸い込まれていく。

 

 咄嗟の判断で使う魔法を変える。

 

「柔らかな光よ 護りの力を授けたまえ 【シールドスフィル】ッ!」


 光の障壁魔法の中でも一番強固とされる魔法を発動する。白く半透明な障壁が前面に現れる。この障壁は物理攻撃も魔法攻撃も弾く利便性の高い魔法だ。

 

 そうして、ドラゴンは吸い込んだ空気を吐き出すように炎を吐いた。


 灼熱の炎を。

 

 草木が広がる森で、炎は一気に燃え移り、辺り一面を赤色に変えていく。障壁魔法を張っていなければ全身が燃え、死んでいたことだろう。

 

 正に命のやり取りとも呼べる戦いが繰り広げられる。 

 

 障壁魔法で攻撃を防いでいる間に呼吸を整える。障壁は何度か攻撃されると破壊されてしまうため、それまでに一発魔法を撃ちたい。障壁は相手からの攻撃はこちらに通さないが、自分の攻撃は相手に与えること可能だ。出来ればより強力なものが良いだろうと思案する。

 

 だが、その刹那。


 障壁にヒビが入る。


「え……」


 一番強固な障壁魔法でもドラゴンの炎には厳しかったようだ。ピシリピシリと亀裂が縦横無尽に駆け抜けていく。想定よりもドラゴンが強い。このままではまずい。障壁を張り直さなければと考えるが魔力はまだ安定していない。

 

 残酷にも時は待ってくれない。

 

 ドラゴンは尖った爪で障壁を叩きつけた。

 大量の食器が割れたみたいな音を鳴らして、障壁が破壊される。

 

 粉々となった障壁の破片が無数に散っていく。

 

 わたしは慌てて魔法を発動しようとするが、安定しておらず失敗する。

 

 ドラゴンは目前まで迫り、その大きな口を開ける。

 

 尖った巨大な牙が視界いっぱいに広がる。

 

 勝てない。もう駄目だ。この牙に噛まれればひとたまりもない。

 

 あらゆる記憶が雪崩のようにフラッシュバックする。


 これが走馬灯というものだろうか。前世のことから始まり、今世の小さかった頃、学校生活、聖女になった今、そして直近の記憶までが猛スピードで思い出される。

 

 そうだ、シュダ……。


 彼は結局どうしたのだろうか。ピンチになったらわたしのことを助けてくれると約束したじゃないか。剣はまだプレゼント出来てないけれど。

 でも、この大ピンチくらい駆けつけてくれてもいいじゃないか。そんな、あり得ないことをつらつらと思う。来るはずがない。何日も会っていないんだ。わたしの居場所だって知らないんだ。それに実力だって知らない。

 この場に来れたとて、一人増えたところでドラゴンに太刀打ち出来るとは思えない。


 もう、おしまいだ。


 少しくらいは時間を稼げただろうか。わたしが食い止めたことで良い方向へ動いているといいな。

 でも、来世はもっと違うように生きよう。

 果敢に挑むのはやめて平和に安全に暮らそう。長く生きずに死ぬのはもう懲り懲りだから。心の中で決意し、目を閉じた。

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