第20話

 日和子は学校にいるより、家ないし他の場所にいる可能性の方が高いだろう。電話をしても出ない。大丈夫、絶対に見つけてやる。学校へと向かう生徒達が驚いた顔で俺を見る。だからどうした。

 あらゆる迷いが解けていく。彼女の言葉の意味。日和子が俺を拒絶したわけも。あるいはそれは俺の都合のいい思い込みなのかもしれないけど、ちょっとくらい勝手な思い込みをさせてくれ。それが好きってことじゃないのか。

 エレベーターに飛び乗って荒い息を落ち着ける。俺たちの住む階に付いたところでどきりと心臓が跳ねた。日和子がエレベーターホールにいた。

 制服姿の彼女は今から学校に行くつもりだったのだろう。俺の姿をして目を丸くしているが、俺もその表情をしているはずだ。

 日和子がさっと目を逸らした。そのまま俺の横をすり抜けてエレベーターに乗り込もうとするので、腕を引いてエレベーターから一緒に降りる。


「離して」

「話したいことがある」

「あたしはない」


 日和子は俺の手を振り払おうとしたが、今度はその指を離さなかった。日和子がはっとしたように俺の顔を見る。瞳が潤んで揺らめいている。

 俺はぐっと奥歯を噛んだ。日和子の肩を掴む。勢いのままに顔を寄せた、日和子は戸惑いをその顔に浮かべながらもけして目を逸らそうとはしなかった。頭に血が上ってふらふらするのに、意識だけは研ぎ澄まされていく。


「言ったでしょ、幼馴染だからって」

「幼馴染だからじゃない!」


 空気を振るわせるような大きな声が出た。日和子がびっくりしたように目を丸くする。心の内から言葉が溢れてくる。


「お前のことが好きだから、知りたいんだよ」


 その言葉をこれまで一度も言わなかったのは、喪うのが怖かったからだ。彼女の言うとおりだ、この関係に縋っていた。そうすればずっと変わらないのだと信じてやまなかった。

 それは逃げだ、今ならわかる。


「……な、なにそれ」

「日和子、好きだ。昔からずっと好きだ」

「きゅうにそんなこと言わないでよ……」


 日和子が弱々しく呟いた。か弱い力で俺を押して突き放そうとするが、しなだれかかっているようにしか見えない。可愛い。髪の隙間から赤い耳が見えている。可愛い。

 思わずその場で抱き締めそうになるのを理性で抑えた。


「とりあえず続きは部屋で話そう」

「学校……」

「サボってもいいだろ。ちょっと休め」


 こくこくと日和子が頷いた。手を繋いで日和子の家まで向かう。緊張の糸が切れたのか、日和子は少しふらふらしているようだ。話を聞く前に少し寝かせた方が良いかもしれない。


「ま、まって、片付ける」

「気にしないから」


 日和子の背を押して彼女の部屋に入った。久しぶりに入る日和子の部屋。


「ご、ごめん、ちらかってる、かも」


 彼女が恥ずかしそうに身を縮こまらせたが、思ったよりも片付いている。ものが多くてごちゃごちゃしているのは確かなのだが、色合いがピンク系で統一されているためか可愛い女の子の部屋といった雰囲気がある。それにいい匂いがして落ち着かない。

 ベッドの頭の方にはぬいぐるみが並べておいてあった。どれも見覚えのあるものだ。どうしてだろうと考えて、俺がゲームセンターで取ったものだと気付く。

 こいつ俺のこと大好きなのでは……?

 日和子がぽすんとベッドに腰掛けた。脚を揺らしながら、時折ちらちらと俺を窺っている。俺も照れくさくなって、咳払いをした。


「横になるか? 話はそれでも出来るし」

「う、うん……」


 日和子は襟元のボタンを緩めると、布団に潜り込んだ。それから掛け布団を腕であげ、スペースを作ると俺の方に顔を向ける。


「添い寝して」

「は? それは……」


 またいつものようにからかっているのかと思ったが、日和子が気弱な子猫のような目をしていたので俺はぐらぐらとなった。逡巡する。果たしていいのか? ちょっと前までなら「からかうな」で済んでいたはずなのに。

 俺が止まってしまったので日和子は不安そうな顔をした。だめなの、と訴えかけるような視線に陥落した。俺だって添い寝したくないわけじゃない。正直なことをいうと。


「失礼します」


 変にかしこまってしまい口走ると、日和子はえへへと笑った。素直な幼い笑みを真正面から食らう。彼女が好きなのだと自覚するとだめだ。可愛いな。

 潜り込んだベッドは温かかった。日和子の体温なのか、あるいは俺の体温なのか。間近で見ると確かに幾分やつれて見える。目の下にはうっすらクマがあるみたいだ。それにしても睫毛長いな、こいつ。まじまじと観察していると柔らかい手で目を塞がれた。


「なんだよ」

「こっちの台詞なんだけど。あ、あんま見ないでよ」

「可愛いなと思って」

「なん、なん……」


 普段だったら得意げな言葉が返ってくるだろうに、日和子の反応は愛らしいものだった。手をどけてみると日和子は火が出そうなほどに顔を赤くしている。


「何お前、どうしたんだよ、しおらしいの」

「うるさい……だってよーくんが、あ、あたしのこと」

「好きだ」

「し、知ってるもん、よーくんはあたしのことが大好き……って……」


 自分で言って照れたらしい日和子の声が少しずつトーンダウンして小さくなっていく。最終的に言葉を失った日和子は、桜色の唇を困ったように舐めた。何か言いたげに目を合わせては逸らし、逸らしては俺を見て。なんとなく察して、俺は彼女の手を握った。きっかけくらいはこっちで作ってあげる。


「日和子は? 俺のこと好き?」

「ん…………うん……」

「好きなんだ」

「す、好き、よーくんのこと好き」


 へなへなと日和子が答える。わかっていたことではあるが、言葉にされると嬉しい。顔が赤くなってにやついているのが自分でもわかる。

 笑うな、と日和子が俺の胸元をぽかぽかと叩く。ちっとも痛くはない。しばらく拗ねたように頬を膨らませていた日和子は、それからふぅと息を吐く。


「……あのね、ひよこのパパとママが死んじゃったとき、よーくんのおば様とおじ様が『うちの子にならないか』って言ってくれたの」

 そうだったのか、知らなかった。いわゆる養子縁組というやつを組もうとしていたのだろうか。

「でもあたし断ったの」

「なんでだ?」

「よーくんときょうだいになりたくなかったんだもん」

「えー? いいじゃん」

「だめなのっ」


 日和子が俺を可愛くにらむ。分からず屋め、みたいな顔をされたが困る。だって俺は日和子が妹だったら嬉しい。元より妹みたいなもんだし。


「……だってきょうだいだったら結婚できないじゃん」


 はてなマークを顔に浮かべていると、ぼそりと日和子が理由を述べた。『結婚』という言葉が脳に届き、そうかー、と照れる。俺が何も考えずに生きている時からそんなことを考えていたのか。日和子が恥ずかしそうにはにかむ。


「ま、養子と実子は結婚できるんだけどね。それを知ったあとでもやっぱりきょうだいにはなりたくなかったの。だってよーくん妹になったら妹としてしか見ないでしょ」

「それは……そう……ですね……」


 前科があるので否定は出来ない。妹だったらまず色恋には発展していなかっただろう。……でも好きにはなっちゃってただろうな。その場合どうしていたのか、少し気になりはする。

 日和子がぎゅっと俺の胸元に身を寄せた。俺からちょうど見えるつむじに視線を落としていると、日和子が満面の笑みで顔を上げた。


「よーくんと出逢えて良かった、他人で良かった。どれだけ人があたしを不幸だって言っても、あたしがあたしでよかったなぁ」

「俺も日和子が日和子でよかったよ。こんな可愛い女の子他にはいない」

「んふふ……そうでしょそうでしょ、よーくんのために一番可愛くなったんだから」


 ぐりぐりと胸元に額を猫のように擦りつけてくる身体をぎゅっと抱き締めた。華奢で柔らかくて温かくて気持ちいい。そのままうっかり眠りに落ちそうになって、我に返る。


「それより、身体は大丈夫なのか」

「だいじょーぶ」


 日和子が眉の端を下げてへにゃりと笑う。


「よーくんは心配しないでいーの」

「嘘つけ」


 額を軽くでこぴんで弾いてから、頭をわしゃわしゃと撫でた。日和子が「きゃわ!?」と悲鳴をあげる。


「一人でなんか抱え込んでるだろ」

「うー……」

「怪異と戦ってるのか?」

「うぅー……」

「……黒幕のやつがまだ見つからないのか?」


 日和子は何も答えずに丸くなった。背中を軽くぽん、ぽんと叩く。


「教えてくれよ。お前の荷物の全部、俺が背負うよ」

「……わかってるもん」

「戦わなくてもいい、それでどんなたくさん人が傷ついても死んでもいい、お前が無事ならそれでいいんだ」

「重いなぁ」


 日和子が俺の胸に顔を埋めたまま小さく笑うのがわかった。『重い』という言葉がさくりと刺さり俺は乾いた笑いを零した。自分でもそう思う。だけどそれを軽くする方法を俺は知らない。


「でもそれくらい重い方がひよこは好き」


 小さな声だったけれども、それでもしっかりと俺の耳には届いた。日和子は「あのね」と拙く話し始める。ちらりと顔を上げた彼女は、俺からは目元しか見えず、表情の全部までは読み取れない。


「あたしも、よーくんのこと大好きなの、よーくんを守りたい、そればっかりなの」


 日和子が愛おしいものを見るように目を細めた。俺はほおと息を吐く。


「だから、今は心配しないで」

「……わかった」


 俺は日和子の頭を優しく撫でた。日和子が安心したように目を閉じる。やがて、すぅすぅと微かな寝息が聞こえてきた。緩やかに上下する肩。やはり疲れていたのだろう。

 少し気障すぎるかなと思いながらも額にそっとキスをした。彼女の身体を抱き締めながら、考える。


 日和子が黒幕を見つけていないというのはきっと嘘だ。

 きっと彼女はもう倒さないといけない相手を見つけていて、けれど手を上げることが出来ないのだ。好きな人のことは好きだけど、どうでもいい人のことはどうでもいい。彼女が言っていた。『蘭日和子』という存在はどちらに分類されるのだろう。

 後者であればいいと思う。この世界で後者に分類されるのは日和子と俺だけで良いくらいだ。

 でもたぶん、前者なのだ。日和子は誰かに気を遣って『どうでもいい』自分の身を削っている。

 それは許しがたいことだが、俺の使命は許さないことじゃない。そんな綺麗な少女を綺麗でいさせ続けるために、俺は動く。

 ヴィランは誰だ。

 日和子が気を遣いうる人だ。常識を揺らがせうる人だ。そしておそらく、恐竜事件の時に近くにいた人だ。

 選択肢はほとんど限られているじゃないか。

 俺は日和子を起こさないようにポケットからスマホを取り出した。ほとんど連絡していない連絡先にメッセージを送る。すぐに返信が来た。それを確認して、俺は目を伏せる。

 ろくな作戦があるわけじゃない。上手くいくビジョンだけがあって、そこに至る道筋は曖昧だ。それでもやるしかない。

 腕の中の温かさを感じながら俺は頭の中で破れかぶれの計画を組み立てはじめた。

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