第14話

 屋上は建物内の人出の割には閑散としていて、穴場といった感じだった。天井がない開放感も相まって自分でも意識していなかった息苦しさが解消されていく。吹き抜ける風と、柔らかい日差しの温かさはちょうどいい塩梅でぼんやりしていると居眠りしてしまいそうだ。

 噴水の周りでは小さな子供たちがキャアキャアと騒ぎ、それを更に囲むようにして親たちが見守っている。子供の遊び場的な場所らしく、植えられた植物の合間には恐竜を模した大きなオブジェが置かれている。とはいえ表面のはげかけた可哀想な恐竜たちに、子供たちは見向きもしない。

 そんな牧歌的な光景の向こう、奥まったところにあるベンチに日和子は腰掛けていた。


「お前、勝手にいなくなるなよな」


 小走りで駆け寄ると、お行儀悪く脚を組んだ日和子が背もたれに身を預け振り返った。


「あたし音おっきいの好きくなーい」


 ひらりと手を振った彼女の勝手さに呆れる。

 日和子は腕を伸ばすと、肩を落とした俺の襟元をきゅっと掴んだ。ぐっとやわい力で引っ張られる。不可抗力で顔と顔が近づいた。


「それに先輩といい雰囲気になれたんじゃない?」


 指摘されて、急にぐっと恥ずかしくなった。


「馬鹿なこというな」


 ぺちと軽くほっぺたをはたいた。日和子がぺろりと舌を出す。勢いをつけて立ち上がった日和子は、水戸先輩に近づいて笑顔でぬいぐるみを覗き込んだ。


「可愛いですね、うさちゃん」

「ええ、堤くんが取ってくれたの」

「えへへ、あいつ器用でしょ」

「いやなんでお前が威張るの」

「よーくんのUFOキャッチャーの腕を育てたのはあたしだもん」


 えっへん、と胸を張るがそれは多分「お前のせいで」というんだと思うがな。取れなきゃ泣くし、拗ねるし。いくつ取ってやったことか。どうせ全部お前は忘れてしまってるんだろうけど。

 日和子がうさぎの頭を撫でた。水戸先輩も微笑みながらぬいぐるみを日和子の方に差し出している。長閑だ。俺は周囲を見渡した。


「いい場所だな」

「でしょ? あたしここでサンドイッチ食べたりするもんね」


 それはいいな。街中ではあるがピクニック気分を味わえそうだ。子供たちの声も空間に彩りを添える。……なんて考えても、きっと一人でここを訪れることはないんだろうな。

 日和子にぬいぐるみを渡して水戸先輩も興味深そうにあたりに視線を巡らせる。そういえば、太陽光の元でこの人を見るのは初めてかもしれなかった。日差しはさんざめき、綺麗な黒髪を一本一本輝かせている。陽光の似合う人だ。最初に抱いた印象とは正反対だ。

 先輩は恐竜が気になるらしかった。やっぱりオカルト好きと関係しているのだろうか、UMA的な意味で。いや、流石にそれは違うか。


「可愛いわね、堤くん、恐竜さんよ」

「可愛い……ですかね」

「ほらほら、動いてる」

「へぇ、そんな仕組みが」


 ボロボロの張りぼてかと思っていたが、機械仕掛けなのか。ゆっくりと首を動かしている様子は、ちょっと古ぼけた博物館によくある置物っぽい。ぼんやりと見ていると「は?」と日和子が声を上げた。


「動く? なんの話?」


 え、と思った。冷や汗が背中を伝っていく。

 次に振り返ったとき、恐竜は一歩こちらに踏み出していた。張りぼての恐竜が大きく口を開く。当然そこには何もない、ぽかりと空間が空いているだけ。だが、いやな予感がして、そしてそれは的中する。

 ごう、と煽るような音が聞こえた気がした。続いてリアルな熱と目を焼く光が。

 反射的に理解する。身につまされる。恐竜が空に向かって火を吐いたのだ。作り物の恐竜が! 当然こんなこと、俺たちの常識では有り得ない。

 真っ白になりかけた頭を冷やしてくれたのは、腕を引くか弱い力だった。日和子が俺を不安そうに見上げている。それだけで俺は冷静になれる。

 俺たち以外の人は恐竜に気付いていないらしかった。だが時間の問題だろう。次の瞬間に気付かれてもおかしくない。

 だから俺は先手を取って息を吸った。


「火事だ――!」


 怪訝な視線が俺に集まる、と同時恐竜が再度火を噴いた。周囲の植物にも引火する。煌々と燃えさかる火は空高く煙を巻き上げてその存在を誇示している。

 誰かが悲鳴を上げた。パニックが起こるよりはやく俺は更に叫ぶ。


「避難しましょう!」


 ざわめきは広がっていくが、人々の方向性はドアの方へとむかいはじめた。人の少ない屋上で良かった。これがモール内だったら大変なパニックになっていたことだろう。

 子供の何人かは、幼い洞察力で異変に気付いたようだった。


「おかーさん、恐竜さんが!」

「たくちゃん、いいから早くこっち来なさい!」


 母は強し、だ。幼子の証言など誰も信じないし、きっと彼ら自身もその内にこんな記憶忘れてしまうのだろう。

 さくらは、戦いを見られることに対するペナルティーなどは述べていなかった。けれど、たぶん、それは受け入れられるものではない。手放しですごいと褒められるよりは、多分、良くない目に遭う。ヒーローとは素顔を隠すものだろう。

 あっという間に屋上からは俺たち以外の人影はいなくなった。

 俺は日和子の方を振り返る。日和子は恐竜に対峙している。大きな影の前、単身で立つ彼女の姿は華奢で小さい。


「よーくん、その作戦、最初から考えてた?」

「いや……まあ……」

「あたしのために頭を回すよーくんはいい男~」


 別に、ちょっと脳内でシミュレーションしていただけだ。街中で襲われたらどうしようかとか、そんな机上の空想を。そしてそれが今回はうまく噛み合っただけ。

 それにしたって完璧な人払いではない。警備員や消防がすぐにくる事だろう。


「あんまり時間ないぞ」

「わかってる。先輩をよろしく」


 俺は頷いて呆然と恐竜の方を見ている水戸先輩の腕を引いた。だが、先輩はその場に縫い止められてしまったかのように動かない。


「先輩!」


 横顔が炎に照らされている。白い肌に橙が反射し、大きな瞳は妖しく光っている。口元には微かな微笑み。魅入られていると一目でわかった。

 俺はこの状況にも関わらず、一瞬見蕩れてしまった。すべてを投げ打ったかのような表情は、悪魔的とも言えた。だが、すぐにリアルな熱が思考を引き戻す。無理やり先輩の腕をとって、ベンチの影に引きずり込んだ。


「先輩、大丈夫ですか?」

「ああ、私は、神が……お父様の……」

「先輩……?」


 ぶつぶつと呟きながらふらふらと立ち上がろうとするのを無理やり引き止めた。いよいよヤバいんじゃないかと思うとハラハラしていると、水戸先輩が俺の手を取った。

 ぎらついた目が俺を見る。鼻と鼻が触れ合うほどの距離で顔を覗きこまれた。その距離感よりも、眼光の妖しさに戸惑う。


「ねえ、堤くんも見てるでしょう! 本当だ、ああ、今度こそ夢じゃない!」


 次の瞬間、熱の奔流が感じられて俺は先輩の頭を抑えてベンチの後ろに伏せた。頭上でなにか燃えている感じがする。髪の毛が焦げているのではないだろうか。

 炎が止んだのでそっと背もたれから顔を覗かせると、日和子の姿はなかった。そういう時は上だ。見上げると太陽の下、鳥よりも軽やかに宙を舞う彼女がいる。

 視線を空に上げた恐竜がトンボを捕まえる子供のように日和子に爪を伸ばした。その指先に軽やかに着地する。二段目のジャンプで鼻先に力強く降り立った。だが、巨体はそれではびくともしない。

 しかし、その行動はけして無意味ではなかった。視界の真ん中に突如異物が入り込んだ恐竜は惑ったように動きを停止させる。

 にやり、とこの距離角度でも日和子が笑うのがわずかな仕草からわかった。サディスティックな空気。

 日和子が高々と脚を上げ、瞼のない右目に強く踏み下ろした。耳をつんざく咆哮。

 守りようのない弱点に強烈な攻撃を受けた恐竜が暴れ回り日和子が振り飛ばされた。なすすべ泣く空中に投げ出された日和子にむかって恐竜が勢いよく尻尾を振り回す。


「あ、ぐ……」


 勢いよく日和子の胴に尻尾がぶち当たった。

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