第3話
「ごちそうさまでした!」
日和子が綺麗に空になった皿を前に手を合わせた。本日のメニュー、麻婆茄子、中華風サラダ、卵スープにご飯。日和子は何を作っても「美味しいんじゃない?」としか言わないタイプだが、今日は特に気に入ってもらえたらしい。にこにこと機嫌が良さそうだ。
「よーくん、また腕上がったんじゃない? 将来はあたしの専属シェフになる?」
「なってたまるか」
「えぇ、いいじゃん」
日和子は勝手知ったるといった手つきで食器を食洗機にぶち込むとソファーに寝っ転がった。
「豚になるぞ」
「んー、あたしはコブタになっても可愛いからなー」
その自信はどこから来るんだ。
部屋着のジャージ姿にスッピンでごろごろしている姿は、女の子が他人に見せていいラインを大きく割っている気もするが、見ているのが俺しかいない以上わざわざ注意する気にもならない。
ソファーを占領されてしまったので、仕方なく近くの床に座る。俺が家主なのに。ぽちぽちとスマホをいじる日和子と会話するでもなくぼーっとつまらないバラエティを眺めていると、のそっと日和子が上体を起こした。
「そういえば、おじ様とおば様はいつ帰ってくんの?」
日和子のいう『おじ様』『おば様』とは俺の両親のことだ。精力的な人間で、頻繁に海外出張に出かけている。それをいいことに日和子は俺の家ではやりたい放題だ。飯については、一人分作るも二人分作るも一緒だからいいんだけど。
「来週頭には帰ってくるって言ってたたかな。またすぐどっか行くんだろうけど」
「ふぅん、相変わらずすごいね」
「すごい……まあ、すごいんだろうな。俺みたいな人間の親とは思えん」
「よーくんは無気力さんだもんね」
「人並み人並み」
自分で言うのもなんだが、普通の男子高校生ってこんなもんだろ。興味あることには手を出すけど、興味なければ踏み込まない。宿題はやるけど、自由提出の自由研究はサボる。そういうこと。
日和子はしばらく何かを考えていたかと思うと、ぐっとソファーから身を乗り出した。
「……よーくん、オカ研入るの?」
「あー……」
あれから随分と勧誘を受けた。
俺の学校にオカルト研究部がある、なんて寡聞にして知らなかったがそれもそのはず、メンバーは部長である水戸先輩しかいないらしい。その割には精力的に活動しており、周囲で起こった怪奇現象や都市伝説であったり、古今東西様々な儀式、怪異について研究したりしているとのこと。
正直言ってかなりうさんくさいし、俺はオカルトに興味はない。帰宅部としての生活リズムにも慣れてしまったし、放課後を潰されたくないという思いもある。
「でもなぁ……どうするかなぁ……」
「何、前向きなの? あたしがいくら誘っても陸上部入ってくんなかったのに」
「お前、幽霊部員だろ」
「よーくんが入部したらひよこも行くもん。雑用とか全部やってもらって~」
「やらないし入らないしそもそも陸上は男女別だし」
「あっそっか」
日和子が残念そうにソファーに倒れ込む。それからごろりと寝返りを打って、仰向けのまま俺を見た。
「やめときなよ、パシられて終わりだよ」
「俺をパシるのはお前くらいだよ。それに、俺が入らなきゃ廃部らしいし……」
帰宅部の俺は知らなかったが、当学校の部活というのは三年生が少なくとも一人と、二年生以下が少なくとも一人いないとだめらしい。緩い規定ではあるが、水戸先輩一人では満たせない。
その話を聞いてしまうと、断るのも心苦しい。悩んでいると日和子がむっとした顔をした。
「よーくん、お人好しだから。つけ込まれてるんだよ」
「つけこまれるって……そんな言い方ないだろ」
「掃除とかだって押しつけられてんじゃん」
「忙しいっていうから替わっただけだろ。俺だって替わってもらうこともあるし。それに水戸先輩はそんなことしないだろ、多分」
「さっき会ったばかりなのになんでそんなこと言えるの?」
「雰囲気というかさぁ……日和子とは正反対だったろ」
「あっそう。よーくんは慧眼だね、別にあたしには関係ないし好きにしたらいいけど!」
日和子はげしっと俺の背中を蹴ると、ソファーから勢いよく起き上がった。文句を言う間もなく、ずかずかと玄関の方へ向かう背に俺は声をかける。
「何、帰るのか?」
「帰る。帰って月9見る」
荒々しく玄関が閉められる。びりびりと空気が震えるような感覚がした。
「なんだよ、あいつ」
日和子の癇癪はいつものことだ。俺は溜息をついた。
……明日、オカ研に見学に行ってみようかな。昼休みなら部室にいると水戸先輩は言っていた。一瞬日和子に言っておいた方がいいかなとスマホを手に取ったが、やっぱりやめた。日和子自身が言っていたとおり、彼女には関係のない話だ。
§
次の日、俺はいつもより少し早く家を出た。
別にたいした理由が有るわけじゃない。ただ日和子と鉢合わせない方がいいだろうなぁという思いがあった。日和子はいっつも遅刻ギリギリのタイプだし、念には念を入れた、という感じだ。鉢合えば、きっと日和子はまた文句を言ってくる。それで説得されそうな自分がいる。
一晩明けてみたところで、自分が部に入りたいのかどうかさえよくわかっていないのだ。正直水戸先輩のような女性は好みだ、あの突飛ささえなければ……。日和子も口にしなかったがそれを知っている。ベッドの下どころかブラウザのブックマークまで見られたことがあるから。
もしかしたら俺のこれは、水戸先輩とお近づきになりたいがためのスケベ心なのか? それとも俺のせいでオカ研がつぶれたら寝覚めが悪いというお節介なのか? もしかしたら単純に、何にも打ち込んでいない自分に負い目があるのかもしれない。多分、全部だ。あるいは頼まれたら断れない俺の気の弱さ。
そんなことを考えながら通学路をのそのそと歩いていると、背後から自転車のベルを鳴らされた。道を空けつつ振り返ると、朝日よりも明るい笑顔が俺を見た。
「おっはよーう」
「おはよう、千川さん」
減速しながら自転車を降りた千川さんは、俺の隣に並んだ。自転車を押しながら、きっと低血圧なんかとは生涯無縁なんだろう爽やかさで俺を見上げる。
「つつみん、早いね」
「千川さんこそ」
「私は普段もっと早いよー、今日はちょっと寝坊しちゃった」
ぱちんとウインク。これで寝坊っていうことは相当早いな。運動部の朝練くらいじゃなかろうか。日和子にも見習ってもらいたいものだ。
「朝に用事でもあるのか?」
「用事っていうわけじゃないんだけど、通学中ってみんな会話が弾むでしょ? なんか面白い話聞けるんじゃないかなって」
千川さんがポケットからマル秘メモ帳を取り出して見せる。なんというプロ根性。いや、千川さんは別になんのプロでもないんだけど。学校一の情報通も楽じゃないな。
「……そうだ、千川さん。水戸先輩って知ってる?」
ふと思いついて聞いてみると、千川さんは一瞬きょとんとして、それから大きく頷いた。
「知ってるよ。オカ研の部長さんでしょ?」
「そ、そうだ。その水戸先輩」
未だに一%くらい残っていた水戸先輩幽霊説はこれで完全に消えた。
俺なんて昨日初めて顔を見たくらいなのにさすがは千川さんだ。名前を聞いただけでよくわかるもんだと感心する。彼女が器用に片手でぱらぱらとメモをめくる。ちらっと覗いた中身には細かい丸文字がびっしりと書き込んである。
「水戸先輩は学園でも五本の指に入るくらいの美人さんだよ。ミステリアスな雰囲気も相まって陰では結構人気みたいだね」
「そうなのか……まあ、確かに」
「なになに? もしかして水戸先輩にホの字?」
にやにやと、含みのある笑いを浮かべて千川さんが肘で俺をつついた。ほんの少しだけドキリとした俺は、彼女の攻撃を避けて首を振った。
「別にそんなんじゃ」
「私はやめといた方がいいと思うぞー」
全然聞いてねぇ。
「水戸先輩、他人を遠ざけてる、って感じの人で、オカ研に入りたがる男子がいても断っちゃうんだって」
「え……?」
俺は思わず足を止めた。千川さんも俺に合わせて不思議そうに止まったので、慌てて次の一歩を踏み出す。どしたの、という素朴な問いを愛想笑いで誤魔化した。
他人を遠ざけてる? あの人が? 浮かぶのは昨日の熱心に俺を勧誘する姿だ。遠ざけているどころか距離感としては近すぎもいいところだろう。だが、千川さんが嘘をついているとは思えないし嘘をつく理由もない。
ふと『運命』という言葉を思い出した。水戸先輩がまことしやかに力強く放った言葉。正直うさんくさくて俺は信じちゃいないし、きっとそんなものがあったとして、俺がつながっているのは多分水戸先輩じゃないと思う。先輩だってどうせ運命で繋ぐなら、俺みたいな平凡なやつじゃなくてもっとイケメンが良かろう。
だとしたら、あの人は一体どういうつもりなんだよ。
ううんと腕を組んで唸っているといよいよ不審だったのか、千川さんが背伸びして俺の顔をのぞき込んだ。
「ほんとにおかしいけど、なんかあった?」
「いや、なんでもない」
「そう?」
あからさまに様子のおかしい俺に気を遣ったのか、千川さんはそれ以上突っ込まずにいてくれた。事情を説明するわけにもいかないし、助かる。
「それより、今日の英語の宿題やったか?」
「やったし、今日抜き打ち小テストだよ」
「え、マジで?」
「新聞部の誇りにかけて嘘はつかないよ!」
話題を逸らすと、自分の中の迷いも少し逸れたようだった。
俺がここでうだうだ悩んでいてもしょうがない。水戸先輩に何かしらの意図があるのか、あるいは日和子の言うように俺が騙されているのか。
本人に直接聞くのが一番早い。もとより尋ねるつもりではあった。
待ってろ先輩、貴女の思惑、完全に見抜いてやるからな!
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