第三章 エルドの長い夜

第67話 白日夢

 おとぎ話のような星空だった。


 降り注ぐ星光の下で永遠の絆で結ばれた僕らは、三人で一つだった。

 

 あれから四年。今は一人、僕だけがここにいる。


 過ぎ去った四年に取り残されて、僕だけがこの星空の下にいる。


 夜になると、あの日の星空を思い出してしまう。


 そのたびに僕は空へ手を伸ばしている。


 あの星を掴めば戻れるかもしれない。


 最高に楽しくて騒がしくて、とんでもなく馬鹿げた思い出の中に戻れるかもしれない。


 期待せずにはいられない。そうして何度も手を伸ばす。


 追憶が、戻るはずもないのだけれど。



 ────AC3994年8月某日 テミス王国北部プラタナス区・フェンリル騎士街北訓練所


 拳と、刃を潰した剣がぶつかり合う。僕がどれだけ力を込めてもその拳を押し出せない。


 むしろこっちが押し負けている。


「力でオレに勝てると思うなよ!」


 不敵な笑みを浮かべるスルト、同時に押し込む力が一気に強くなる。予想通りだ。君ならそうする。


 それなら僕は、鍔迫り合いを辞めてひょいと後ろに退けばいい。


「うおっ!?」

 

 ほらね。君はバランスを崩して前のめりになる。


 即座に積もった雪を剣で巻き上げて目潰しを行う。スルトは足で踏ん張りながら雪のつぶてを右手で薙ぎ払った。


 失敗。だがそれで充分。


 その一瞬があれば、僕は一陣の風になれる。


「せいやっ!」


 狙うは、右肩。モーリッツさんに教わった刺突だ。


 これはあくまで模擬戦。だからと言って手は抜かない。だって、本気じゃないと意味が無い。


 故に僕が繰り出した右肩への刺突は過去最高速の完璧な一撃だった。


「────そうそう、それを待ってたんだ!」


 その言葉と同時に僕の刺突がスルトの肩をすり抜けた。


 いや、躱されたんだ。速すぎてすり抜けたように見えただけ。現にスルトは、僕のすぐそばまで忍び寄っている。


「王手」


 左から飛んできた拳が顔面に迫ってくる。


 ほんと、君は凄いよ。僕の全力を簡単に飛び越える。


 だけど────


「それはこっちのセリフだよ!」


 僕は迫る拳よりも早く、スルトの顔面へ拳を振り抜いた。


「!?」


 顔面直撃。鼻血を出しながらスルトがたたらを踏む。


「ぼーっとするなよスルト!」


 この機を逃すまいと、僕はスルトを滅多打ちにした。急所に当たらないように気を付けて、反撃の隙を与えないように拳と剣を織り交ぜる。


 霊魔に対して拳は効果が薄いけど……対人戦なら結構効くだろ?


「悪いがしばらくサンドバッグになってもらうよ!」


 虚。


 僕がたどり着いた真骨頂。意識の外から放たれるそれは相手が誰であろうと必ず直撃する。


「こん、の……!」

 

 苛立ち気にスルトが唸る。当然だ、防御をすり抜けて直撃しているのだから。これを嫌がったスルトが距離を取って連撃から抜け出そうとする。

  

 その離れ際を逃がさず、僕は剣を振り上げた。


「何を────」


 言い切る前にスルトは目を見張る。


 ────霊臓ソウルハートを持たず、霊力量でも劣る僕だけど、唯一君たちに勝てる土俵がある。


 それは霊力操作。テレジアさんからもお墨付きをもらったその一点においてだけ、僕は君やリルカの遥か先にいる。


 そして僕は、剣には常に溢れるほどの霊力を込めている。それはいつでもこの技を打てるように備えるためだ。


 剣に乗せた霊力を僕の剣速で飛ばせば、それは即ち不可視の斬撃となる。


切風きりかぜ


 そのまま距離を詰めず、その場で剣を振り下ろす。


 吹き抜ける風の刃がスルトの胴を切り裂いた。


「グォァ……!!」


 苦悶の声を上げるスルト。その右肩から左の脇腹にかけて赤い直線が一本走っていた。


「凄いな! 入団試験の大岩よりも硬い!」


 僕は素直に感心した。四か月前の入団試験で提示された大岩はこの技で容易く切断したというのに、なんて硬さだ。スルトのことだから切断は無理だと分かっていたが、それでも舌を巻いてしまう。


 だが効果はあった。切れたんだ。今までの連撃と違って明確なダメージだ。


「でも、余所見するなよ?」

「!」


 僕は再び剣を振り上げた。スルトは当然警戒して横へ飛び退く。


 狙い通りだ。僕は大地を蹴ってスルトへ詰め寄った。


「チッ!」

 

 フェイントを悟って足を止めたスルトが両腕を頭の上で交差させた。万力を込めて振り下ろした剣は呆気なく止められる。


「ドラァッ!!!」

 

 スルトが力任せに弾き返してくる。しかし分かっていれば驚くことでもない。一歩距離を取った後、すぐさま距離を詰め直した僕はまた連撃を選択した。


「悪いけどしばらくサンドバッグになってもらうよ!」


 速攻。


 それがスルトの弱点だ。超近接パワー型のスルトは全ての攻撃が桁違いの威力を持つが、代わりに鈍重だ。それはスルトも理解していることだろう。だからタフネスに物を言わせたノーガード戦法を多用する。


 そんな君が防御に回るということは、確実に消耗しているということ。


 反撃のタイミングを伺っているんだろう? 僕の速攻の隙を狙っているはずだ。


 残念だけど何もさせないよ。全て速度で叩き潰す。


 君の速度じゃ、僕には絶対に追い付けない。


「ほらどうした! さっきまでの威勢はどこに行ったんだい!?」


 でも、君ならこれくらい簡単に抜け出せるだろ?


「────レルヴァ・テイン」


 刹那に噴き出す炎。


 撤退を強制させる爆炎だ。攻撃を中断し、炎に飲み込まれる前に後ろへ下がる。


 下がるしか出来なかった。


 僕の全力が、呆気なく覆された。


「────」


 悔しい。


「好き放題ボコスカボコスカやりやがって……!」


 ちょっと怒った彼の身体からは絶えず炎が噴火している。汗が滲むのは緊張のせいで、炎によって周辺の気温が急上昇しているせいでもある。


「覚悟しやがれ! テメェもボコボコのボコにしてやっからな!」


 勝てない。


 僕の全身を叩きつける圧力を受けた本能が悟っている。


 それがたまらなく悔しい。拳に万力が籠る。


 それほど悔しいはずなのに、なんでだろう?


「────ハハ!」


 どうしようもなく嬉しい。


 まるで……こうなることを望んでいたような気がする。


「君はやっぱりそうでなくっちゃ!」


 ────振り返って見れば、僕はスルトに憧れていたんだと思う。


「仕切り直しだスルト! 出し惜しみなんかするなよ?!」


 圧倒的なその力に、霊臓を持たない僕は────……。


「言ったなテメェ!? ぶっ潰してやるからな!!」

「負けたら昼飯奢りで!」

「へっ! いいぜやってやるよ!」


 僕は剣を鞘に納めた。勿論だが降参ではない。次の一撃で決着をつけるためだ。


 スルトはその場で拳を構えたまま動かない。身体から漏れ出す炎が宙を舞い、そして消えることを繰り返す。背後に控えるレルヴァが僕を見据えている。


 僕の世界が、静止にも等しい低速に落ちた。


「ノイズ・フレイム!!」


 実際は一秒にも満たない拮抗が何時間のようにも思えた。レルヴァの口から発射された熱線が、ゆっくりと迫っている。

 

 今なら風よりも早く動ける気がする。

 

「切風」


 鞘から剣を引き抜き、切る。これはギドさんから教わった技だ。居合と言って、僕の切風の強みを最大限発揮できる唯一の技。


 放たれた不可視の斬撃は恐らく亜音速に到達していた。向かってくる熱線も多分同等の速度を持っていたと思う。


 やがて、未だ低速で流れる世界で二つの亜音速が衝突しようとする。


 ────勝つのは、僕だ。


「コラ~!!」


 その刹那に気の抜けるような声が響く。いきなり宙に出現した銀色の障壁が僕らの一撃を簡単に受け止めてしまった。


「「リルカ!」」


 声と障壁から乱入者の正体を看破した僕らの声が一致する。視線の先には頬を膨らませて怒るリルがいた。


「二人ともやりすぎだよ! もう模擬戦じゃなくて殺し合いじゃん!」


 プンスカという擬音が似合う怒り心頭に僕らは何も言えず苦笑する。これはかなり怒っているときの顔だ。


「悪ィ悪ィ。ちょっとはしゃぎ過ぎたよ」

「ダメ! なんか軽い!」


 スルトのふわっとした謝罪にリルはぺちっとスルトの肩を殴りつけた。


「悪かったって殴らないでくれよ。もうしない。もうしないから、許してくれ」

「僕ももうしない。ごめんよ」


 僕らは二人そろって頭を下げた。するとリルは何故かちょっと狼狽えていた。


 ────そんな彼女が愛おしい。

 

「お、おほん! とにかく分かればよろしい!」


 わざとらしい咳払いの後に出されたお許しに、僕らは頭を下げたまま互いを見合って、ちょっと笑った。


「もうしちゃダメだからね?」

「肝に銘じるよ」

 

 念押ししてくるリルに僕が反省の意を見せると、満足したのかいつもの笑顔に戻った。


「それじゃ、お昼にしよっか! 二人とももう食べた?」

「「まだ」」

「じゃあ今日は私の行きつけのお店で食べよ! 安くて美味しいのに一杯食べられるよ!」


 その提案を断る理由もなく、リルの案は満場一致で採用された。思い立ったが吉日、僕らはリルの案内に従い、騎士街を出てしばらく歩いた。


(────飯屋の席、リルの隣は譲ってやるよ)

(んなっ!?)


 道中、ニヤニしたスルトに囁かれた言葉に僕は赤面してしまった。


「? 二人ともどうしたの?」


 聞こえていたのか、くるりと振り返ったリルが不思議そうな顔を僕らに向けた。


「いやぁ、なんでもないぞ?」


 スルトがニヤニヤしながら僕を見てくる。


 よ、余計なコトを言うんじゃない!!


「ま、頑張れよ~」

「?」


 僕の肩に手を乗せながらスルトが揶揄ってくる。その様子をリルは小首をかしげながら見ていた。


 幸い、リルが気付くことはなかったので事なきを得た。だけど恥ずかしさで鼓動が加速している。店に着くまでの間、僕は口から心臓が飛び出そうだった。

 

 …………ちょっぴり、気付いて欲しかった気もする。


「────きゃあああ!! 怪我人!!」

「「「あ」」」


 やがてたどり着いた飯屋で店主の悲鳴を聞いた僕らは、スルトが怪我していたことを思い出した。


 いや、なんでスルトも忘れてたんだ?


 ────あとがき────

 

 お待たせしました。本日より三章突入です。

 序章では語られなかったスルト達の四年間をエルド視点でお送りします。

 過去編なんでそこまで長くはないですが、序章のキャラたちは全員活躍させます。

 乞うご期待!!

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