第66話 その翼は無意味と勇気で出来ていた

「カナエのやつ、一体どこ行きやがったんだ……?」

 

 シュプリさんがいなくなった後、追いかけるようにしてカナエもいなくなった。チビと手分けしてイーストウィングから消えたシュプリさんを探していた俺達三人だが、目を離していた隙にカナエが忽然といなくなった。今はいなくなったカナエを探している最中だ。


「オレに失望したのかもな」


 俺の呟きに兄貴が自嘲の笑みを浮かべてしまう。


 ────昨晩、兄貴は俺達に罪の告白をした。


 ヴェルトは偽名で、本当の名はスルト・ギーグ。つまりは二カ月前に帝国軍先遣隊を鏖殺したあの"テミスの炎魔"だということを告げた。 


 今まで騙していたこと、黙っていたことについて謝られた。


 真実を知った俺達だが、それでも兄貴についていくことを既に決めている。


「カナエに限って、それは絶対ないと思います」

 

 だから俺は強い自信と共に兄貴の言葉を否定した。


「俺には分かります。カナエは兄貴のこと大好きですよ」

 

 兄貴は目を点にさせて驚いていた。それがあまりにも変だったので笑いそうになったのはヒミツだ。


「……なんでそう言い切れる」

「今朝の話なんですけど、アイツに聞いてみたんです。「兄貴のことをどう思うか?」って。そしたらアイツ、「一生苦しみ続けるならそれでいい。私にあの人をとやかく言う権利はないし、ぶっちゃけ想像がつかないから特に思うことはない」って言ってましたよ」


 兄貴は噛みしめるように目を閉じた。きっと、胸の中で様々な感情が渦巻いているんだろう。


「だからそこまで心配しなくていいッスよ。そもそもアイツ絵にかいたようなマイペースだし。明日になっても連絡が付かなかったら流石に心配ですけど、まだ一時間も経ってないでしょ?」

「…………ユーリはどうなんだ」

「ん? 俺? 一体何がっスか?」

「…………その…………オレのことだよ。昨日はああいってたけど、なんとも思わないのか?」


 恐る恐ると言った様子で兄貴が発した声は弱々しかった。いつもの頼れる兄貴からは想像できないような消え入る声で、なんだか新鮮だ。


「俺もカナエと同じです。兄貴のことは変わらず尊敬してますし、大好きです。────それはそれとして、最低だと思います」

「…………」

「戦争は至ってシンプルで、勝てば正義で負ければ悪。そして兄貴は勝ってしまった。大勢の人間を殺した兄貴が正義になってしまってる。それは絶対オカシイと思うんです」


 それは確かな本音だ。きっと、カナエも同じことを思っているはず。


「殺しに限らず、罪を犯したならば裁かれなければいけないと思います。兄貴も然るべき裁きを受けるべきです。でも、正義を裁く法は今のジャスティティアに存在しない。それでも兄貴は裁かれることを望んでるんですよね?」

「勿論」


 ────今にしてみれば、この瞬間に俺の未来が確定したんだと思う。


「────なら、俺が兄貴を裁ける法を作って見せますよ」


 俺が不敵に笑うと、兄貴はぽかんと口を開けていた。それがバカみたいでちょっと面白かった。


「俺はオカシイと思ったことは絶対に正したい人間なんですよ。ラムレスもそうだったらしいッス」

「……」

「だからそれまで待っといてください。法の勉強とか一杯頑張るんで、それまではこれ以上の罪を重ねないで下さいね」

「……そうだな」


 兄貴は俯いて俺に背を向けた。でも一瞬だけ、口元が嬉しそうに笑っているのが見えた。


正義の女神テミスは法の下の平等のために目を閉じましたけど、兄貴は絶対閉じちゃダメっスよ。しっかり目を開いて、自分の罪を見つめてください」

「当然。オレはテミスとは違う」

「兄貴らしいッスね。────よし! この話終わり! 今はとりあえずカナエとシュプリさんを探しますよ!」


 俺たちは捜索を再開した。


 その後、カナエはふらっと戻ってきたが、シュプリさんが見つかることは無かった。


♢ 

 

「やはり、君もあの日の空に開いた大穴からこの世界に来たのか? 或いは巻き込まれたか?」


 僕が問いかけるとカナエ君は開いた口が塞がらないようだった。恐らく当たっているんだろう。


「ノストラダムスの大予言は知ってるか? 憶測の域を出ないが、僕らがこの世界に来たのはあれが密接に関わっていると思う。ドイツでも花化病という謎の奇病が1998年から突然発生した。噂によれば日本では大予言のブームが起きていたそうだが、予兆のような現象が起きていたのか?」

「ちょっと、ま、待って! いきなりそんなこと言われても……」


 カナエ君は慌てたように僕を制止する。僕から受け取った情報の処理に手間取っているようで、水泳が苦手な人間が酸素を求めて必死に水面から顔を出しているような感じがした。


「だが地球に戻るためには必要なことだろう? この世界において僕らは二人だけだ。君と、僕しかいない。だから持っている情報は全て共有すべきだと思ったまでだ」

「そう、だけど……」

「君は、日本に帰りたいと思っていないのか?」


 僕が言うとカナエ君は真っ先に首を横に振って否定した。


「そんなわけない! 帰りたい! ……けど、方法が…………」

「だから情報を共有しようと言っているんだ」


 二度目の押し込みでカナエ君はようやく冷静さを少しだが取り戻した。


「とりあえず座れ。話をしよう」


 一旦僕は、カナエ君に着席を促した。



「────つまり、日本では特に予兆のような出来事は無かったということか」

「うん。米ソ間の冷戦とか公害とかで日本も暗い雰囲気があったから、大ブームが起きたのはそのせいだと思う」


 情報共有による収穫はさして大きなものではなかった。日本で何が起こっていたのかちょっとわかっただけ。しかし懐かしい地球の話題というだけで、僕の心は随分と安らぎを覚えている。


「しかし解せないな……ドイツだとかなり不可思議な現象が多発していたんだが、日本は本当に何もなかったのか?」

「私の知る限りは無かったし、そもそもドイツでそんなことが起きていたなんて全く知らなかった。花化病っていう病気も、今日初めて聞いたもの」

「真相は不明、か……」


 あと少しで届くはずだったゴールが地平線の彼方まで遠ざかったような気分だった。絶望的だ。


 だが、進展は確かにあった。


「僕らは、空に空いた大穴によってこの世界に引き込まれたことが共通している。それがただの超常現象なのか、或いは第三者による介入を以て引き起こされたものか……場合によっては事態は大きく変貌するぞ」


 この大きな共通点には必ず意味がある。意味があるはずだ。ないとはとても考えられないし、考えたくもない。


「ひとまず共有できそうな情報はこれだけか」


 僕は立ちあがって一歩前に進んだ。


「僕の連絡先をやる。何か分かったことがあれば連絡してくれ。こっちも情報が手に入ったら君に」

「これからどうするつもり?」


 カナエ君は僕の言葉を遮った。


「はぐらかそうとしないで」

「…………」

「貴方は……これから何をしようと思ってるわけ?」


 彼女の目は僕の心を見透かしていた。捉えて離さないという断固たる強い意志がひしひしと伝わってくる。逃げようとしていた僕は白旗を上げて白状するしかなかった。


「…………自分でも分からない。ただ、もう誰かを助けることはない」

「医者を辞めるってこと?」

「そういうことになるな」

「なんで?」


 シンプルな質問だった。だから非常に答えづらい。言った通り自分でもよく分かっていないのだ。それに躊躇いからくる答えにくさもある。何を答えても相手に批判されるだろうと思わせる漠然とした不安が言葉を迷わせる。


「……疲れた」


 辛うじて絞り出せた声は案外ハッキリとしていた。カナエ君は黙って続きを待っている。


「いくら僕が助けたところで、皆更なる傷を負う。病気を治しても傷を治しても、関係のない人の悪意が全てを台無しにする。少なくともジョセフはそうだった」

「…………」

「意味が無い。僕がしてきたことは全て無意味なものだった。そして無意味なことを続けることに僕は疲れてしまったんだ」


 身体が震えてしまうんだ。助けた相手が残酷な死を迎える様を想像してしまう。


 そんな無意味な絶望を味わうのは嫌だ。これ以上絶望したくない。


「善い人になろうとするな。それは君に無意味と絶望を与える。僕は最後まで────」

「うるさい」


 ────一瞬、世界が止まったような感覚がした。彼女の口から飛び出した四文字はするりと僕の心に突き抜けて、いともたやすく僕を怯ませた。


「嫌ならさっさと逃げればいいでしょ? ……それともなに? 逃げ出すことを肯定してほしいの?」

「それ、は────」

「ハッキリ言ってあげる。なんで逃げ場があるとか信じてるの?」


 頭が真っ白になった。


「世界は無限地獄よ。私達は抜け出せない無限地獄に生まれたの。逃げ場なんかどこにもない」

「!」

「言っとくけど地球ちきゅうだって同じよ。地獄せかいは私達に絶望だけを与える。諦めても逃げ出しても、結局私達は絶望するしかないのよ」

「それなら、どうしろって言うんだよ…………!」


 叶うならば目を背けたかった。今すぐにでもこの場を逃げ出したかった。


 でも、次々ぶつけられる言葉に今まで目を逸らしてきた現実を叩きつけられて僕はもう動けなくなっていた。


 それでもカナエ君は、ゆっくりと口を開いた。


「今はただ、ひたすら絶望しながら進んでいくしかない。人生に手がかりなんてないし、進んでみなきゃ何も分からない。だから自責も葛藤もしないで。そんなの全部後回しよ。とにかくがむしゃらに突き進んで、たくさん選択を間違えて、最後に死ぬ。そして死んだ後に、それまで後回しにしたことをまとめてやればいい」

「…………」

「全てが終わった瞬間、きっと意味を見つけられるはずだから」


 どこまで行っても残酷なことに変わりはない。希望なんてやっぱりどこにもない。


 でも、何でだろう。


 少しだけ肩が軽くなった気がするのは。


「……散々言った後に言うのもアレだけど、怪我をしたユーリを助けてくれてありがとう」

「え……?」

「そして忘れないで。今に至るまで、貴方が数えきれないほどの多くの命を救ったという事実は、どんな絶望があったとしても変わらない。────未来永劫残り続ける真実だから」


 カナエ君はそう言い残すと、踵を返してどこかへ行ってしまった。


 僕は腰を抜かしたようにまたベンチに座り込んで、そのまましばらくの間動けなかった。色んな記憶や感情が一つに凝縮して爆発したような衝撃が全身を走っていた。それはとても痛くて苦しくて、悲しくて辛かった。


 でもその中には確かな温もりと喜びもあった。それは本当に僅かなものだが、確かにあったのだ。


「…………」


 やがて立ちあがれるようになったとき、僕の中には一握りの勇気の欠片が芽生えていた。


 ────この後、シュプリ・クロイツェルトは失踪した。すぐさま世界を巻き込む大捜査が始まったが、彼が表舞台に姿を現すことは二度となかった。


 これは余談だが、彼の失踪から一ヶ月が過ぎた頃。世界各地で「ウェストウィング」という謎の凄腕医師の噂がささやかれるようになったとか────…………



「研究医になるつもりはありません」


 シュプリ君は申し訳なさそうに眉を下げながら私の提案を断った。


「ふむ……その心は?」

「教授には以前もお話しましたが……僕は金や名誉のために医者になったんです。金や名誉のために人を助けることを選んだ人間なんです」


 私が不愉快になると思っているのか、シュプリ君は私の顔色を窺うようにちらちらと目線をやっていた。


「医療の可能性の模索という偉大なる開拓に…………僕のような邪な人間が携わるべきではない。教授には申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」


 そういって、シュプリ君は少しだけ速足で去っていった。


「…………全くとんだ大馬鹿野郎だね、君は」


 去り行く彼の背中を押すように。


「医者ってのはどこまで行っても人を助ける職業さ。そこに臨床医も研究医も関係ないよ」


 彼の行く道を祝福するように、私は小さく呟いた。


「所詮、理由なんてのは二の次さ。誰かを助けようとする意志は、それだけで偉大なものなんだから」


 偉大なる彼の背中に、天使の翼が与えられますように。






 二章 優しい人、だからあなたは天使になった・了


────あとがき────


 これにて二章完結です。

 読者の皆様、ここまで読んでいただき誠にありがとうございました!!

 本編はまだまだ続きますので、引き続きお楽しみいただければと思います!!


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