第63話 メシア

「~~!!」


 ファウストは、項垂れて血が出るほど拳を握りしめているラークの肩に手を置いた。


「気持ちは分かるが今は帰るぜ。次があるだろ?」

「…………あぁ」


 力のない返答にファウストは嘆息を吐く。


「逃がすか!!」


 取り逃がす危険性を察知したスルトが爆炎を纏った拳を振り抜く。が、その拳はファウストに当たる寸前で何か白い浮遊物に受けとめられた。


「!」


 クリオネのような形をした浮遊物体だった。ぶよっとした感覚、ぐにゃぐにゃとしたそれはぶつけられた衝撃と炎を吸収して無効化させていた。


「言っただろ? リベンジはまた次だ」


 飛空艇から降りてきた巨大な白いクラゲに乗り込んだファウストは取り出した煙草に火を付けた。カナエ達が総攻撃を仕掛けたが、クラゲと共に降りてきた大量の浮遊物体に遮られて届かなかった。


「……そんなに気負うなよ。今回の敗北はお前のせいじゃない」

「…………」


 浮かび上がる最中、ラークの無言にファウストはため息を吐く。

 

 間もなくファウストは咥えていた煙草を吐き捨て、大きく息を吸い込んだ。


「────刮目しやがれジャスティティア!!!」


 突然、ファウストがアスガルを見下ろしながら叫び始めた。


「目に焼き付けろ!! 俺たちはメシア! 新時代の開拓者だ!!」

「……ファウスト?」


 突拍子もない仲間の行動にラークも思わず困惑する。


「俺たちの目的は神からの脱却!! 人類を神という名の束縛から解放することだ!!」


 地平線の彼方まで届くのではと錯覚するほどの迫力を帯びた魂の絶叫。


「もう気付いてるだろ? お前らが祈ってる神は救世主じゃない!! お前らが崇める神は断じて聖者じゃない!!!」


 カリスマ政治家の演説のような身振り手振りで、少しばかり大袈裟に感じるようなジェスチャー。慣れていないのかぎこちない。


「天に祈るな!! 神を捨てろ!! 救いなんざありはしねぇ!!! 望む未来は自分の力で掴め!! この残酷でクソったれな神の支配をぶっ壊せ!!」


 だが十分だった。その場にいる誰もが圧倒されていたのだから。


「目を覚ませ!! そして目に焼き付けろ!! 鼓膜に焼き付けろ!! 俺たちこそが最後の楽園ラストリゾート────メシアこそが救世主だ!!!」


 突如として光を放ち始めた飛空艇。クラゲやファウストたちも同じく淡い光に包まれていく。


「こいよ!!! 俺たちと一緒に、神世界しんせかいをぶっ壊そうぜ!!」


 演説が締めくくられた刹那、飛空艇と共にファウストたちは光となり、瞬く間にどこかへと消えた。


 取り残された勝者たちはただ茫然と青空を見上げるばかりだった。


 故に気付かない。


「…………」


 物陰に潜む二人の少女、ファウストの演説をスマートフォンで撮影していた幼い双子の存在に────…………。


 

「危ない所でしたね」


 飛空艇の甲板から雲海を眺めていた俺に声をかけてくる奴がいた。


「アトランタか」

「はい。アトランタです」

 

 声だけを返した俺の隣にアトランタが寄ってくる。チラッと横目で見れば、アールヴ特有の尖った耳とふわふわと漂っているクリオネみたいな白い浮遊物がまず目に入った。


「ありがとう。さっきは助かったよ」

「仲間ですから」


 表情を変えずアトランタは言う。それからしばらくの間は会話もなく、ただ二人並んで雲海を眺めていた。


「…………正直な話、私は貴方のことを過小評価していました」


 ふとしたとき、アトランタが思い出したように口を開いた。


「昼行燈な怠け者。腕っぷし以外に取り柄のない独活の大木だと思っていました」

「ボロクソに言い過ぎだろ」


 いくら何でも酷すぎる。否定はしないが、何もそこまで言わなくても。


「────先ほどの演説。アレはラークへの激励なんでしょう?」

「……」

「何も言わなくていいですよ。回答を求めているわけではないので」


 アトランタの言葉に俺は紫煙を吐き出した。


「ラークが感謝していましたよ」

「…………そうかい」

「フフフ。あの子は貴方が思っている以上に貴方に懐いていますよ?」

「まさか。あのクソガキに限ってあり得ねぇよ」


 肩をすくめて見せると、アトランタは薄く微笑んだ。


「あの子はそういう子ですから。昨今ではこのような性格のことをつんでれ? と呼ぶらしいですね」

「男のツンデレなんか興味ねぇっての」


 ゾッとしない。可愛い女の子ならともかく、あのクソガキのツンデレなんざ何の需要も満たさねぇだろ。


「そういえば今回の失敗についての処分ですが、先ほどリーダーから言伝を受けました」

「……」


 やっぱりあるよな、落とし前。


 三年も費やした大掛かりな計画を失敗したんだ。ない方がおかしいと言える。


 俺は黙って、アトランタの次の言葉を待った。


「「二人ともお咎めなし」だそうです」

「…………なに?」


 鼓膜が聞き取ったのは俺の想像とは真逆の言葉だった。思わずアトランタの顔を見ると、やはり薄く微笑んでいる。


「どういうことだ?」

「私はそれ以上知りません。ここから先は本人から聞いてください」


 そういうとアトランタは踵を返してどこかへ行った。


 その後姿を見送っていたとき、アトランタとすれ違った背の高い白衣の男がまっすぐ俺の元まで近寄って来た。


「……どうも」


 軽く会釈をする。


 ────ハート。

 

 この男こそがメシアの頭だ。表じゃ霊臓の名付け親、霊力学の父として有名な霊力学者。いつも白衣と黒のハイネックを着ているのが特徴だ。


 あまり話したことはない。こうして二人になるのも初めてだ。


「すんませんでした。今回の失敗は俺がミスったせいです」

「…………」


 俺はまずリーダーに謝罪した。


 だがリーダーは何も言わず、ずっと雲海を眺めている。


「…………」

「…………」


 え、何この人。なんでなんも言わないんだ。俺に処分を言い渡しに来たんじゃないのか? 


「その……リーダー?」

「…………」


 だから何で黙ってんだよ。クソ気まずいんだけど? 俺どんな顔してればいいんだ?


「────煙草」

「ッ! すんません……!」


 俺は慌てて煙草の火を消した。


「……違う」

「……え?」

「一本分けてくれないか」


 俺は頭が真っ白になった。この人マジでなんなんだ?


「早く」

「ど、どうぞ」


 ポケットから取り出した箱を差し出すと、リーダーは何故か二本取った。


 一本は自分の口に咥え、残った一本を俺に差し出してきた。


「少し付き合ってもらうぞ」

「……はぁ」


 俺はもう訳が分からなくて、いわれるがまま差し出された煙草を受け取った。


「…………」

「…………」


 その後、俺とリーダーは紫煙を吐き出す以外のアクションを起こさなかった。


 ダメだクソ気まずい。全然気分が休まらない。


「以後、気を付けるように」


 リーダーが突然口を開く。


「……はい?」

「責任を感じているなら今後も顎で使われてくれ」


 それだけ言ってリーダーはどこかへ行ってしまった。


「な、なんだったんだあの人……」


 一人取り残された俺は困惑して、とりあえず煙草を吸い直した。

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