第44話 銀の弾丸

「私達で良ければ、いくらでも協力する」

 

 少し考えた後、私は私の意志でシュプリさんの要請にイエスを返した。今までならヴェルトの指示を待ってから答えていたけど、この際そんな悠長にしていられる時間はない。それに、ユーリもヴェルトも二つ返事で協力を申し出るはず。


「……本当にいいのか? 提案しておきながら言うのもアレだが、君たちに何のメリットもないぞ?」

「関係ない。私達の力で出来ることがあるならやるよ。でも私たちは頭がいいわけじゃないから、病気のことはあんまりよく分からないと思う」


 ────ユーリが感心した様に笑っていることに私は気が付かなかった。


「……ありがとう。君たちの頭には期待していないから安心してくれ」

「「えっ?」」


 私たちは何を言われたのか一瞬理解できなかった。


 感謝されたと思ったら突然罵倒された。は? いや、理解できても理解できない。なんで?


「これシュプリ。他人をフォローするときはそんな貶し口調ではいかんぞ」

「悪い癖が出てますね。申し訳ありません。彼にとってはこれでもお二人をフォローしたつもりなんです」

「そ、そうすか……」


 …………あっ、これ一応フォローされてたの? 唐突に罵倒されたわけじゃないんだ。


「む……これでも最大限言葉を尽くしたつもりなんだが」

「言葉は言葉でもチクチク言葉じゃな」

「言葉を尽くすという言葉の意味を辞書で引き直してみては? きっといい知見が得られると思いますよ」


 困惑するシュプリさんにテレジアさんとジョセフさんが追撃を加える。シュプリさんは肩を落とし、部屋の隅っこで体育座りの状態から微動だにしなくなった。


「あぁダメじゃ。こうなってしまったら一時間は使い物にならん」

「えぇ……メンタル雑魚過ぎだろ」

「このバカに代わって我が説明しよう。お主らには我らの手伝いをして欲しい」

「お手伝い?」


 私は一旦シュプリさんのことを脳みそから追い出してテレジアさんの話に意識を傾けた。


「うむ。具体的には今から始める病理解剖の場にお主らも同席して欲しい」


 テレジアさんの口から飛び出した単語に私は硬直せざるを得なかった。


「びょうり、かいぼう? 何すかそれ?」

「……病気で亡くなった人を解体して死因の解明や病変を発見することよ」

「えっ!?」

「解剖するのは貴様がボコボコにされとった憲兵と天使病によって亡くなった患者の二人じゃ」


 意味を理解したユーリがギョッとした顔で声を上げるが、当然の反応だ。言葉を選ばずに言えば、人間の死体がバラバラにされていくのを見ろということになるのだから。


 ゲームや漫画などとは訳が違う。100%の現実だ。


「……」


 病理解剖が病気の解明のために必要なことは十分すぎるほど理解している。日本においても、杉田玄白が人体解剖を行って人体の腑分けを解明したことで医療が格段に進化した。


 古く甲斐盆地で流行った日本住血吸虫症が寄生虫によるものだと突き止めたのも病理解剖に依る所が大きい。


 しかし、私はつい最近まで普通の女子高生だった人間だ。医療従事者を志していたわけでもない。そしてそういうものに耐性があるわけでもない。


 だから病理解剖を見たいかと言われたら…………申し訳ないが、ノーだ。


「安心せい。何もお主らに解剖させる訳ではない。解剖作業を見る必要もない」


 テレジアさんが苦笑しながらフォローを入れてくれた。その言葉に私は大きな安堵と罪悪感を覚えた。


「ごめんなさい……」

「構わん構わん。いきなり解剖に立ち会えと言われて「はい分かりました」なんて言える肝の座った奴などそうおらん。お主らの反応が普通じゃ」


 また、テレジアさんに気を遣わせてしまった。


「……アレ? じゃあ俺たちは一体何をすればいいんすか?」


 私たちが話している間、シュプリさんは人差し指の腹を地面に当ててぐるぐる円を描いていた。ジョセフさんはそのそばに寄り添って肩に手を置いていた。


「死体が暴れはじめたときの対処じゃ。簡単じゃろ?」

「……は?」


 ユーリが呆気にとられたような間抜けな声を出した。


「まぁ待て。説明する前にお主ら、情動過負荷じょうどうかふかという霊力現象を知っておるか?」

「「情動過負荷?」」


 全く知らない単語の登場に私もユーリも首をかしげて聞き返した。霊力現象という名前だから霊力が関係していることは分かるが、それ以外は何も分からない。


「簡潔に言えば霊力の暴走じゃ。増幅する霊力が肉体の許容限界キャパシティを超えたとき、人の肉体は霊力によって無理やり造り変えられる。一部の霊力学者はこれを再構築オーバーホールと言っておるな」

「あ……」

 

 ユーリがそのような声を洩らしたのは心当たりがあったからなんだろう。驚くべき事実に気付いてしまった人間が浮かべる表情だ。


「滅多に起こる現象ではないが、ミネルバが言っていた情動強化兵装じょうどうきょうかへいそうが悪さをしたんじゃろうな。信じられん外道共とはいえ、流石に同情するわ……」

「……」


 ユーリとミネルバさんは悲しそうな顔をする。互いに認知している部分に違いはあるとはいえ、知っているところがあるからこそ抱える気持ちが共通しているのだろう。


「ここからが本題じゃ。情動過負荷によって変貌した憲兵はどういうわけか天使病の発病者に酷似しておった。翼の色や皮膚に起こった亀裂などの相違点はあるが、概ね同じと言っても過言ではない」

「それはつまり……」


 ジョセフさんが冷や汗を流しながら尋ねる。テレジアさんは深刻な顔で頷いた。


「勿論ただの偶然の可能性はある。────しかし天使病は……情動過負荷を引き起こす爆弾。その可能性があることを考慮せねばならなくなった」


 数秒の重たい沈黙が室内を支配した。放心した様子で後ずさりをするジョセフさんの足音がやけに響いていた。


「なん、という────……」


 ジョセフさんはその場にしゃがんで頭を抱えてしまった。


「ジョセフさん……」


 ミネルバさんは悲痛な顔をより色濃くさせて、今にも泣きだしそうだった。私はなんて言葉をかければ良いのか分からず、ただ見つめることも耐えきれなくてジョセフさんから目を逸らした。


「重ねて言うが、これはあくまで可能性の話じゃ。たった一つの例で全てを定義することなどできはしない」

「テレジアの言う通りだ。それに、悪い情報ばかりではない」


 いつの間にか立ち直っていたシュプリさんが顔を上げて会話に入ってきた。ジョセフさんを除く全員の視線が体育座りのシュプリさんに注目する。


「今回の外出でまだ憲兵に回収されていない発病者の亡骸を入手出来たんだ。死後硬直もまだ起こっていない。病理解剖の結果次第では天使病の治療法発見にグッと近づけるぞ」


 もたらされた情報に私は自分の顔が明るいものになったことをなんとなく自覚した。それは他の皆も同じで、ジョセフさんも顔を上げてシュプリさんを見ていた。


「まだ諦めるには早い」

「……シュプリ殿…………」


 ジョセフさんの声は震えていた。


 そうだ。希望はまだあるんだ。絶望するのは希望が潰えた後でいい。


「えっと……話の腰を折るようで悪いんですけど、今までの話と死体が暴れるっていうのはどういうつながりが……?」


 ユーリが物凄く申し訳なさそうな顔でテレジアさんたちに疑問をぶつけた。その顔が何だかおかしくって、思わず笑いそうになったのはヒミツだ。


「これは意外と知られていないが、絶命した後も霊力は肉体に残り続けるんだ。今は安定しているが、解剖中に残存していた霊力がもう一度情動過負荷を引き起こす可能性がある」

「万一そのような事態になった場合、我ら以外の戦闘能力を持たない医者たちはやられてしまうだろう。お主らにはいつでも戦えるようそばで待機しておれ。ジョセフも頼む」

「了解いたしました」


 私たちはようやく全てを理解した。なるほど、確かにこれは私達向けな作業と言える。


「そういうことなら喜んで」

「そう言ってくれると助かるよ」

「大船に乗った気でいてください!」

「フンッ。態度だけは一丁前じゃの」


 テレジアさんはユーリにだけやたら毒を吐く。どうせユーリのことだから、テレジアさんに何か失礼なことでも言ったのだろう。


「それで、ヴェルトは今何処にいる?」


 シュプリさんの言葉により、私はようやく携帯にメッセージが届いていたことを思い出した。


「待ってて。今確認してみる」


 私はメッセージがヴェルトからのものであることを祈りながら携帯を取り出して起動した。ユーリも同じように携帯を動かしている。


「…………」


 結論から言うと、メッセージは確かにヴェルトから送られてきたものだった。しかし、そのメッセージの内容が問題だった。


[いきなりで悪いが、メシアに狙われた。しばらく会えそうにない。安心しろ、オレは大丈夫だ。だから二人は引き続きシュプリ・クロイツフェルトを探してくれ。会いに行けそうなら連絡する。もし連絡もないのにオレがお前らの前に現れたら、ソイツは偽物だ。追伸:気を付けろ。アスガルの対魔組合もメシアの手に堕ちている]


 送られてきたメッセージはどれも一方的で、私達の返信を全く考えていないものだった。


「バカ」


 大丈夫って、またあの人は自分のことを後回しにして。


 あの人はそういうきらいがある。アトラのときもそうだった。言いたいことだけ言って終わり。一方通行で私たちの心配なんて全く勘定に入れてないんだから。


 言いたいことは分かるし、文面から察するにそれが一番正しいことも理解出来るけど、それでももう少し私たちを頼るというか…………むぅ。


 次会った時は説教しよう。私はそう心に決めた。


「どうした?」

「…………色々あって合流できそうにないって、さっきメッセージが来てた」

「……そうか」


 残念そうに息を吐いた後、シュプリさんは立ち上がった。


「もう時間がない。医者隊が全員集まったらすぐにでも解剖を始めよう」

「じゃな。もたもたしていると腐敗が始まってしまう」


 二人の顔は既に歴戦の傭兵と見まごうほどの真剣なものに切り替わっていた。


 

「ハァ…………! ハァ…………!」


 早く、早く! 早く皆に知らせないと!! 私が見てしまったこの事実を! 


 斜陽に照らされた道を駆け抜ける。ただ全力で、一刻も早くケリュケイオンの皆に私が目撃した衝撃の事実を伝えるために。


 聖王様はメシアに殺された! とっくの昔に! 今この状況は何もかもメシアに仕組まれたものだったんだ!!


 憲兵隊の異変も、情動強化兵装も、聖王府の狂乱も、天使病も!!!


 全てがメシアの計画の一つだったんだ!


 この国はもう────


「残念だ」


 ────夕闇が訪れる街中、乾いた銃声が響いた。


 それは右の曲がり角。そこで待ち伏せしていた憲兵隊の隊長がミリアのこめかみを撃ち抜いたことを知らせる凶報であった。


「憲兵隊だよ、ミリア」


 言わずもがな即死。そのまま倒れたミリアはもう二度と動くことはなかった。


「敵を騙すときは自分が騙されている可能性も考慮せよ。私は何度も教えたぞ?」


 硝煙の香りが立ち込める。撃ち抜かれたミリアのこめかみから流れた血液が血だまりを形成していく。


「残念でならない。君のように優秀な部下を粛清しなければならないとは」


 隊長は血だまりを見つめながら、若干の憂いを帯びた声を吐き出した。


(あぁ……そういうことだったのね)


 死したミリアの肉体、意識の残滓が真実に到達する。


(あ…………す……が…………)


 ボロボロのマントを着た男。その手にはボロボロの本を持っている。隊長の背後からこちらを覗き込むようなシカの頭。虚ろ色の瞳。隊長は己の背後にいる存在に気付く素振りを見せない。


 光が消えていく黄緑色の瞳。そのシカ頭の男が、ミリアが最期に見たものであった。



 拳銃を腰のホルダーに戻した後、隊長は耳に装着したインカムで何者かと通信を行っていた。


「お忙しいところすみませんラークさん。緊急でお知らせしたいことがあります」

『お、隊長さんじゃん。おつかれー。なんかあったの?』

「我々の存在に気付いた憲兵が一人いました」


 通信の相手はラークだ。上司と部下のような関係性が垣間見える会話は、隊長が裏でラークと繋がっていることを示す揺るがない証拠である。


『え、マジ?』

「マジです。どうやらファウスト殿が聖王の死体を処理している現場を目撃していたようで…………。今しがた粛清しましたが、この様子だと時期に他の憲兵たちも違和感を抱くかもしれません」

『あらら』

「どうしますか?」


 隊長はラークの指示を乞う。


『うーん。あんまり支障はないかな。実はもう準備は出来てるんだよね』

「おや、そうだったのですか?」

『うん。だから明日の昼頃には計画を始めるつもり。連絡遅れちゃってごめんね』

「いえ、問題ありません」


 隊長はインカム越しに頭を下げた。これは彼が隊長になる前の下積み時代、上司に媚びを売って出世街道を駆けあがっていた頃に染みついた癖である。


『とりあえず、隊長さんはケリュケイオンとかいう奴らをなんとかしてね。情動強化兵装も足りなかったらいくらでも斡旋するよ』

「承知しました」

『それじゃお願いね。バイバーイ』


 ラークの軽い声を最後に通信が終了する。隊長は再び、今度は違う者へ向けて通信を行う。


緊急号令エマージェンシー・コール009。全憲兵へ通達。ジョセフ・モルフォール討伐作戦の開始に向け、全憲兵は情動強化兵装を装備したうえで指示があるまで待機せよ。決行は翌朝10時以降。私がジョセフ・モルフォールを記念公園におびき寄せた時点で作戦を開始する」


 闇は着実にアスガルを侵している。


 ────あとがき────

 

 情動過負荷についての補足ですが、必ずしも天使のような姿になる訳ではありません。情動過負荷を引き起こすきっかけになった感情やその矛先によって姿が変わります。憲兵が黒い天使になったのも、天使病患者に対する憎しみと殺意が暴走したからですね。

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