第39話 迷える子羊・Ⅳ
迷いに迷った末、迷い込んだキッズコーナーで約三時間の足止めを喰らったオレは紆余曲折を経てようやくアスガルの対魔組合にたどり着くことに成功した。
そんなこんなで到着した支部はオレが想像していたよりもずっと小規模だった。元よりこの国には憲兵がいるのでハンターに頼らなくても霊魔を退治出来る。テミスと同じで、霊魔の討伐に対魔組合の力をそこまで必要としない国は基本的に支部が小さいようだ。
とはいえ、小規模な施設の割に存在感があるのは大理石で建てられた他の建物と違って木で建てられているからだ。周りが白で統一されている分余計に目立っている。それに気付けなかったオレは一体何なんだろうかと一瞬思ったが、すぐに考えないようにした。
「アスガル支部へようこそ。ハンターカードの提示をお願い致します」
扉を開ければすぐに受付の職員が反応して声をかけてくる。中にはオレ以外にハンターは一人もおらず閑散としている。それはハンターが働く必要がないということであり、それだけアスガルの防衛体制が整っているということだが、この国を守る憲兵の有様を見た後では素直に頷けない。
まだ若そうな男の職員にハンターカードを渡す。ハンターカードを受け取った職員は一瞬目を見開き、オレの顔を見てからハッとしたような顔をする。しかしすぐにわざとらしく咳ばらいをして誤魔化した。
「何か不備でもあったか?」
「い、いえ! 一級ハンターの方とお会いしたのが初めてだったので少し取り乱してしまいました……。本日はどのようなご用件でしょうか?」
職員は照れ臭そうに頭を掻きながらハンターカードを返却した。普段のオレなら人の良いあんちゃん程度にしか尾も無かったが、憲兵の一件もあって疑り深くなっているせいか、その挙動に少し不信感を覚える。特に根拠はない。強いて言うなら勘という奴だが、一度気になってしまうと取り立てて理由が無くても気になってしまう。
ひとまず、オレはこの職員をあまり信用しないことにした。
「特にはない。先日この国に来たばかりだったから挨拶に来ただけだ」
「それはそれは、ご丁寧にありがとうございます」
職員はぺこりという擬音が付きそうなほど深いお辞儀を返す。
「ところで、アスガルに今滞在しているハンターはどれだけいる?」
「そうですねぇ……この間まで三級ハンターが二名と二級が一名いたのですが、ここ最近の憲兵の圧政に耐え兼ねて皆出て行っちゃいました。なので今はヴェルト様だけかと思われます」
職員は視線を上に向けながら、記憶の海から情報を探りながら答える。その挙動のどこにも嘘や違和感の類はなく、本当に真実を語っていることが伺える。
「……そうか」
オレはカウンターの奥を見やった。そこは丁度影になっていて、人ひとりぐらいならギリギリ隠れられそうだ。
「邪魔したな」
オレはそれ以上何もせずに組合から離れることにした。
外は至って平穏でのんびりとした空気が漂っており、ちらほらと見かける住民たちは世間話に花を咲かせていたり誰かと待ち合わせをしていたり、皆各々の日常を謳歌している。
オレは歩きながら、携帯を取り出してユーリとカナエにあるメッセージを送った。
♢
────去っていくスルトの背中を見送った後、職員はカウンターに両手をついて深く息を吐いた。それは緊張から解放された人が速い鼓動を抑えるように吐く息と同じだった。
「はぁ~! まるで生きた心地がしなかった……」
職員が冷や汗を流しながら呟いたとき、顔面がぐにゃりと真っ黒な何かに変形した。それは顔の皮が何かドロッとした粘性を持つ液体になったようである。液体が剥がれ落ちて影に溶けたとき、下に隠されていた正体が明らかになる。
「あれがテミスの炎魔……スルト・ギーグってわけか」
室内に響いたのは職員の声ではなく、幼さを残した青年の声であった。
黒目黒髪。かっちりとしたスーツはラフで動きやすい服装になり、その顔にはニヒルな笑みが浮かんでいる。
「案外イケメンだったな。ネットとか新聞だとこの世のものとは思えない悪魔のような人相とか言われてたけど」
男の名はラーク。人類救済を掲げて暗躍する秘密結社メシアの幹部であり、『武王』暗殺未遂事件の首魁として大陸対魔組合から追われている世紀の大犯罪者である。
「────相変わらず呑気な野郎だな坊主。一歩間違えたら焼き殺されてたかも知れねぇってのによ」
ラークの背後から少し色気を感じるハスキーボイスが起こる。足音ともにカウンターの奥から姿を見せたのは左目が灰色にくすんだ黒スーツの男だった。紫煙をくゆらせながら気だるげな双眸を向けてくる男に、ラークは振り返ってニヒルな笑みを見せた。
「いいかファウスト。フィクサーってのはいつだってクールで堂々とした存在なんだ。だから俺のこの態度も強者の余裕ってやつなんだよ」
「へぇそうかい。そういうことにしといてやるよ」
ファウストと呼ばれた気だるげな男はラークの言葉を興味なさげに切り捨てた。そのつれない態度にラークはおどけたように肩をすくめる。
「それで? 冷静沈着余裕たっぷりなフィクサー・ラーク様はこの後どうするつもりだ? あんな化物がいたんじゃ動こうにも動けねぇぞ」
「意外だな。あの"魔拳"をして、そう言わしめるほどなんだ?」
ラークは興味深そうにファウストの顔を見る。その瞳孔には試すような灯りがあり、ファウストはめんどくさそうに息を吐いた。
「別に、俺はそんな大層な男じゃねぇよ。俺はどこにでもいるような、パッとしないアラフォーのオジサンさ」
「バカいえ。世界最強の男と正面からド付き合いできるバケモンがどこにでもいるわけねぇだろ」
「アレはただのマグレだ。言っておくが、俺はもう二度とあんな化物ジジイと戦わねぇからな」
ラークは人を食ったような笑みをファウストに向けるが、ファウストは一切取り合わなかった。
「で、結局どうすんだ?」
「う~ん…………このタイミングで一級ハンターは不味いなぁ。憲兵共を差し向けたところで勝てるとは全く思わないし……」
唸り声をあげ、たっぷり時間をかけて悩んだ後、ラークはため息を吐いた。
「────しょうがない。ちょっとテコ入れしてくるよ。だからファウストは誰にも見つからないように聖王の死体を処理しといてよ。絶対見つかったらダメだかんな!」
ラークの全身がドロリとした黒い液体に変化する。
「……任された」
ファウストが返事をした時、ラークはどこにもいなかった。
ファウストは自分の影を少しの間見つめた後、物憂げな表情で紫煙を吐き出した。
「……」
思い返すのは数瞬前に視線がかち合ったスルトの琥珀色の眼。あの鋭い視線は気配を完全に遮断して隠れていた自分の存在に明らかに気付いていた。
「めちゃくちゃ帰りてぇ……」
ファウストはうんざりしたように吐き捨てた。
♢
「ハァ……! ハァ……!」
同刻。デリング劇場周辺は、突如見境なく暴れ出した憲兵たちを恐れて人が逃げ出したことで水を打ったように静まり返っていた。今やそこにいるのは憲兵たちとユーリだけ。肩で息をするユーリは頭から血を流していた。周りには憲兵が数人倒れており、そのそばにはユーリによって切断された情動強化兵装の残骸が転がっている。
暴走した憲兵はユーリを以てしても強敵だったのだ。ときおり起こる憲兵たちの同士討ちが無ければ今頃倒れていたのは自分だったとユーリは思う。
「殺菌ッ!!!」
しかし、憲兵はまだ一人残っている。高速で振り下ろされた警棒の一撃をユーリは両の手に持つ剣を交差させて受け止めた。
「潰れろォォ!!!」
「クッ!」
鍔迫り合いは憲兵の優勢。強化兵装により増幅した霊力は憲兵の筋力を数倍にも押し上げていた。一方で、連戦により体力を消耗しているユーリに鍔迫り合いを制する力など残っていない。
どんどん押し込まれていく己の剣にユーリは覚悟を決める。ユーリは大きく息を吸い込んだ。
「────オンドリャアアッ!!」
腹の底から気合を吐き出し、ユーリは力技で鍔迫り合いに競り勝った。競り負けた憲兵は警棒を弾かれた衝撃で体勢を大きく崩して隙を晒す。
「これで最後ッ!!」
千載一遇のチャンスにユーリは飛び掛かる。左に持つ水の剣をメリケンサックのような形に変形させ、大きく振りかぶった。
「パニッシャー!」
その拳はスルトの技を真似た一撃だ。憲兵の顔面に突き刺さった水の拳は形だけの爆発を起こし、憲兵を水浸しににする。それ自体には特に効果などなかったが、憲兵は単純にユーリの拳の威力によってその身体を一瞬だけ浮かばせながら後ろに倒れ込んだ。
「へッ……! 兄貴の技はスゲェだろ!」
息も絶え絶えにユーリは胸を張る。
今し方ユーリに殴り倒された憲兵は辛うじて意識を保っていた。折れた鼻から夥しい量の鼻血を流し、迸る怒りと憎しみに目を血走らせながらユーリを睨みつけている。
────異変が生じたのはそのときだった。
「この、雑菌風情が……!」
憲兵が憤怒を滾らせた声を発したその瞬間、壊れたはずの情動強化兵装から突然電流が起きた。向かう先はユーリを睨みつけている憲兵の偏桃体。転がっている全ての兵装から電流が発生して憲兵の偏桃体を際限なく刺激し続けた。
「────絶対に絶対に許さんぞォォ!!!」
瞬間、憲兵の身体から青白い発光を伴う爆発が起きた。寸での所で異常を察知していたユーリはすぐさま後ろへ飛び退いて爆発に巻き込まれなかった。
────なんだ!! 何が起こった!!?
突然の爆発にユーリは混乱していた。それでもすぐに剣を抜いて構えられたのは日ごろの鍛錬の賜物か。頭で思考を加速させても答えは出ず、沸騰寸前まで熱くなるばかりだ。
そんなユーリの混乱が冷めやらぬうちに、爆煙から何かが姿を現した。
「UGAA────!!」
狂乱の叫び声と共に現れたのは憲兵だ。しかし、その姿にユーリは絶句する。
「な……!?」
その身体には一対の巨大な漆黒の翼があった。折れた鼻や受けた傷は完全に元通りになっていて、皮膚のあちこちにはヒビ割れたガラスのような亀裂が浮き出ている。その隙間からは蒼白の光が滲んでおり、睨みつける憎悪に満ちた双眸は色が反転して人ならざる者の存在感を放っていた。
「GAA────!!!」
────黒い憎しみの天使が舞い降りた。
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