第38話 迷える子羊・Ⅲ
「撃て!!」
憲兵の声が轟いた瞬間、私はミネルバさんを連れて横に滑り込むようにして長椅子に身を隠した。ユーリは反対側。身を隠すと同時に発砲音が連続で鳴り、床や椅子が銃弾に抉られて破片が飛び散った。
憶えている限りでは私達が二人なのに対して憲兵はさっき倒した二人を除いて七人。いずれも同じ場所で固まっているが、前に三人後ろに四人と二つのグループで分かれている。ミネルバさんを守るためにも最優先で倒すべきなのは拳銃を持っている後ろの四人だ。
(カ、カナエさん! どうして!)
(そうするべきだと思ったから。これは理由なんてないただの自己満)
動揺するミネルバさんに私はそれだけ言う。この行為に意味なんてない。私達のただの自己満だ。ただ憲兵にムカついて、そのムカつく憲兵にミネルバさんのような良い人が連れていかれるのが嫌だった。
(それに、ミネルバさんは私達を守ろうとしてくれたでしょ? なら私達もミネルバさんを守るよ)
火薬の香りが漂う中で、ミネルバさんは口をパクパクさせて困惑していた。その顔はちょっぴり間が抜けていて可愛くて、私は思わず笑ってしまった。
(ここでじっとしてて)
ミネルバさんに言いながら私は反対側に隠れていたユーリを見る。ユーリは頷くと、人の顔くらいの大きさの水球を生成し、天井に向けて発射する。放たれた水球は高い放物線を描いて憲兵たちの意識を釘付けにすると、拳銃持ちの憲兵が水球を破壊するために発砲を開始した。
「
私は水球へ手をかざして
────水球は妨害されることなく憲兵たちの頭上に迫る。
「弾けろ!!」
ユーリの叫びに呼応して水球は内側から爆発したように弾けた。一秒のゲリラ豪雨が憲兵たちに降り注ぐ。大きさが大きさなので水浸しにすることは出来なかったが、拳銃の火薬を濡らすには十分だった。
────これで憲兵たちはしばらくの間拳銃を使えない。
「しまった! 銃が────」
念には念を入れる。今は使えなくても火薬が乾けばまた撃てるようになる。ならば今のうちに破壊して二度と使えないようにする。私は即座に立ち上がって予め生成していた四本の霊力矢を番えて一気に発射した。
「!?」
全弾命中。私に射抜かれた四つの拳銃が憲兵の手から離れて宙に舞う。動揺する憲兵たちへ既にユーリが飛び出していた。
「峰打ちデストロイヤー!!!」
ふざけた掛け声とは裏腹に鋭い一閃が前に出ていた憲兵三人の意識を刈り取る。バギャッという鈍くて痛々しい音がしたが、アレほんとに生きてる? デストロイしたせいで死んでないよね?
ユーリの一撃で三人の憲兵が倒れ、残りは四人となった。拳銃を失った四人は携帯していた警棒を取り出して構える。黒い警棒にバチバチと白い電気が走り、憲兵たちの顔が憎しみに歪んだ。
「感染者を庇う不届き者めが……!! 聖王の名のもとにあの世へ送ってやる!!」
憲兵の言葉は私を不快にさせるには十分すぎた。怒りのまま私は矢を放つ。
「────えっ」
銃弾よりも速い自信がある私の矢は憲兵たちにあっさりと躱された。まるでさっきとは別人のような俊敏さで憲兵たちがユーリへ迫る。
「気を付けて!!
叫ぶミネルバさんの目線の先にはプレイヤーに操作されるRPGキャラみたいに足並みの取れた連携でユーリを追い詰める憲兵たちの姿がある。ユーリは私がこの世界で出会った人間の中では四番目くらいに強いはずだが、今は一人を相手にするのもしんどそうだ。それくらい憲兵たちの動きが格段に良くなっている。
「殺菌!!!」
「消毒してやるッッ!!」
それ以上に気になったのが憲兵たちの情緒だ。あの警棒を取り出した瞬間から異様なほど強い憎しみを炸裂させている。本来の目的であるミネルバさんなど眼中になく、目の前にいるユーリを殺そうとすることに必死になっている。
「風魔陣」
私は一本の霊力矢を放った。張り詰めた弦から打ち出された蒼白は途中で分裂し、横に墜落する彗星の欠片の如く憲兵たちの背後を狙う。
ユーリに集中していた憲兵たちは迫る矢に気付くことなく直撃を貰う。が、命中した瞬間矢が砕け散った。
「!?」
「逃げて!!」
動揺する私の代わりにミネルバさんの悲鳴のような叫びが教会に響く。ユーリは一糸乱れぬ波状攻撃に体幹を削られ、ついに転んでしまう。
「消毒ゥゥ!!!!」
大柄な憲兵が猿叫を上げて警棒を振りかぶる。黒い一撃がユーリの頭蓋に降りかかろうとしたそのとき、後ろに控えていた細身の憲兵が突然大柄な憲兵の側頭部を警棒で殴り倒した。
「殺菌ッ!! 殺菌ッ!! 殺菌ンンンッ!!!!」
気絶して倒れた大柄な憲兵を細身の憲兵は何度も何度も警棒で殴りつけた。涎を撒き散らしながら狂ったように叫ぶその姿に理性など微塵も感じられない。残った二人の憲兵も同様に狂いだし、どういう訳かユーリそっちのけで同士討ちを始めていた。
「な、なんだかよくわからねぇけど今のうちだ!! 逃げるぞ!!」
ユーリの声に私は我に返り、ミネルバさんの手を引いて一目散に駆け出す。結果を見れば私たちは助かったというのに、心の中にあるのは安心ではなく言い知れない気持ちの悪い不安。正気を無くした憲兵の叫び声が耳にこびりついていた。
「何なのよアレ……!」
「アレはガンドラ帝国が開発した警棒型の特殊兵装です……装備した人間の偏桃体に微弱な電流を流しこみ、感情を無制限に強化することで霊力を増幅させる史上最悪の発明品……!」
私の言葉に怒りで震えた声で答えたのはミネルバさんだ。私は聞き馴染みのある国の名前に驚くと共に少し悲しい気持ちになって、それ以上に強い怒りを覚えた。
「いたぞ!! あそこだ!!」
「一般人には手を出すなよ!!」
私が感情を露にする暇もなく増援の憲兵が私達を追いかけてくる。なんの合図もなく始まった街中の逃走劇に行きかう人々は混乱していた。
「絶対に逃がさんぞ反逆者どもめ!!」
憲兵たちが持っているのは例にもれずあの黒い警棒だ。最初は豆粒程度だった距離が見る見るうちに縮まっていき、あと少しの所まで追い付いてきている。デリング劇場の前まで来たときには一人の憲兵に追い付かれ、その憲兵は親の仇でも
「この雑菌共が!!!」
その憲兵には理性が残っていたが、やはり警棒の影響を受けているのかその振り下ろしは躱すまでもなく空ぶりだ。しかし威力は桁違いで、たった一発で地面に小さなクレーターが生まれていた。
「逃げるな雑菌風情がァァ!!!!」
躱されたことに腹を立てた憲兵が叫んだ瞬間、警棒からまたバチバチと電流が起きる。その光景に私は嫌な予感を覚えた。
「あああああ!!!」
その予感は的中し、憲兵は途端に理性を失って無差別攻撃をし始めた。それが合図となって他の憲兵たちの警棒からも電流が走り、私達を追いかけていた憲兵たちは全員近くにいる市民を攻撃し始めた。
「カナエ!! ミネルバさん連れて先に行け!!」
「ちょ、ユーリ!?」
「ユーリさん!?」
「俺は憲兵どもを止めてから行く!! このままだと一般人が大勢巻き込まれる!!」
ユーリは私の返答を聞く前に踵を返して暴走する憲兵たちへ向かう。駆け出しながら剣を抜き、もう片方の手には霊臓で生成した水の剣が既に握られている。それを見て私は何を言っても無駄だと悟った。
「終わったらちゃんと連絡してよ!」
私は短く言い残してデリング劇場から離れた。デリング劇場周辺の騒ぎが良いカモフラージュになったのか、それ以降私とミネルバさんを追いかけてくる憲兵たちはいなかった。それでも私たちは油断せず、周囲を警戒しながら走る速度を落とさない。
「カナエさん! 東へ向かってください!」
人の流れに逆らっているとき、ミネルバさんが突然そんなことを言った。
「東に?」
「そこにケリュケイオンという組織があります! 彼らは天使病の治療と現行聖王府の打倒を掲げる反乱軍! 郊外東のイーストウィングには憲兵たちも知らない彼らのアジトがあります!!」
「りょ!」
私はミネルバさんの指示に従い、ひたすら東へ走り続けた。
────あとがき────
[情動強化兵装]
ガンドラ帝国が開発した量産型の装備。装備者の偏桃体に微弱な電流を流して感情を強化することで装備者の霊力を増幅させる。警棒型・拳銃型・鎧型の三種があるが、いずれも効果は同じである。
本来は霊力の扱いに慣れていない者が感覚を掴めるように開発された訓練用の装備であり、感情の過剰強化を防ぐための抑制プロテクトが掛かっている。
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