第8話 例え炎魔と呼ばれても

 目を覚ましても上体を起こすのが精一杯だった。国立病院の最上階の普段は使われることのない病室の一つにオレは運ばれているらしく、しばらくぼーっとしていても誰かくる気配すらしない。ナースコールを押さない限り一生誰も来ないのではないかと思うほど静かだった。


 どこで間違えた? いつからオレは間違えていた? オレはやるべきことをやっただけだ。


 ────まるで夢でも見ているような気分だ。


 ただベッドの上で頭を抱えて、今自分が置かれている状況を導いたすべての原因を見極めようとする。取り返しがつかないことは分かっている。もう戻れないことも分かっている。茫然と置時計の針を人差し指で何度も巻き戻してみたが、オレが期待していたことは起きず、ただ数分が無為に経過しただけだった。


 失意に暮れて項垂れると涙が溢れ出した。拭っても拭っても溢れてきて、拭うたびに自分が仕出かした行いを思い出して、オレは年甲斐もなく声を出して泣いた。


 ────もう何もかもがどうでもよくなって首に掛けていたロザリオを引きちぎって投げ捨てようとした。


『────大事にしてくださいね?』


 直前で神父様の顔が脳裏に過って、オレはもう紐が切れたロザリオを抱きしめる以外できなくて、また、泣いた。その間、人が来ることはやはりなかった。


「オレは……剣だ」


 独り言を言う。


 ────虚しく部屋に木霊する。


「テミスの剣だ」


 自分に言い聞かせる。


 ────涙が涸れる。


「剣に心なんかいらない」


 ────例えそれが虚無だとしても、今のオレには必要だから。


「……行かなきゃ」


 ハリボテの決意が全身を満たしたころ、オレは起き上がって病室の扉を開いた。


「どこへ行くつもりだ」


 廊下に出た時、すぐ左から少し疲れたような男の声が聞こえた。


「親父……」


 顔を見なくても分かる。親父のフラムトだ。声を聞いたのは四年振りだが、このバリトンボイスを間違えるはずがない。


「今すぐベッドの上に戻れ」

「断る。オレは行かなきゃだめなんだ」

「六日間昏睡状態だった人間を行かせると思うか?医者の言うことは大人しく聞け」

「……黙れ。オレはテミスの剣だ。使命を果たさなくては、こんなところで寝てる場合じゃない」


 あくまで医者としての立場を貫く親父にオレは少しだけ失望した。


 ────四年振りの再開だというのに何が悲しくてこんな口論をしなくちゃならないんだ。


「お前の言う使命はなんだ? ありもしない神に縋りついて現実から目を背けることか? 帝国人を虐殺することか?」

「黙れ。こうしている間にも帝国軍が────」

「戦争なら既に終わった」

「……は?」

 

 そのとき、オレは初めて親父の顔を見た。四年振りに見た親父はまるで別人だった。いつも見上げていた赤い髪と目は目線の下にあり、整っていた顔は皺が増え、目の下には塗装されたような黒い隈が存在を主張している。白衣も随分ヨレている。

 

 元々仕事第一で医者のくせに自分の健康を鑑みない人ではあったが、こんなになるまで放置するような人でもなかったはずだ。いつの間にこんな風に変わってしまったのか。信じ難い発言に頭が真っ白になった脳みそは記憶の中の親父と目の前にいる人間を比べることしか出来なかった。


「霊魔の襲撃があったんだ。お前が意識を失った直後だ。王国は甚大な被害を受け、奇しくも帝国でも同じことが起きた。幸い国が滅亡することはなかったが、両国とも復興に専念するために停戦を選択した。二日前にな」

「それは、つまり……」

「言葉を濁しても何の慰めにもならんからハッキリ言うが、お前の虐殺は無意味だった」

 

 ────何を考えようとしても脳がそれを拒絶するので、ただただ茫然とするしかなかった。


「だから俺は反対したんだ…………神などこの世界の何処にも存在しない。この一週間の間に起きたことが全てだ」

「そんな、なぜだ………………オレは、テミスのために…………」

「仮に神が存在するというならば、それは霊魔に殺された十二万人が神に見殺しにされたことを意味する」


 段々と呼吸が荒くなっていく。


 ────握りしめていたロザリオにひびが入った。


「…………なぁ、もうこれ以上神に縋るのはよせ。お前が苦しくなるだけだ。今すぐ騎士を辞めろ。俺の後継ぎとしてこの病院を────」

「喧しい!!!!!」


 気づいた時には叫んでいた。


「神がいないだと? ふざけるな!! 神がいないならオレは一体誰に使命を与えられたんだよ!!! なんでこんな力を持ってる!!? 誰に何のために与えられた!! 一晩で十万人殺せるような力を与えられた理由は!! 化物みたいな肉体を与えられた理由は!! オレは何一つ望んでなんかないのに!!」

「…………」

「オレは普通に生きたかった!! 親父の後を継いで! 誰かの大切な人の命を助けて! 誰かに感謝されながら生きたかった! 誰かの大切な人の命を奪うような力なんて欲しくなかったんだ!!」

「……スルト…………」

「でもオレは力を与えられたんだ……! 与えられてしまったんだ…………!」


 声を荒げて叫ぶのは生まれて初めてする体験だった。こんなに心が痛くなるとは思わなかった。


「それはオレが………神に選ばれたからだ!! テミスの使徒として、テミスの剣として! オレはこの先一生、与えられた力の責任を負わなくちゃダメなんだよ!! それがオレの使命だ!!! オレが果たさくちゃいけない使命なんだよ!!!」


 叫ぶというのは意外に体力を消耗するもので、夢中になっていたせいかフルマラソンを終えた直後のような息苦しさがあった。肩を震わせ、荒い息で酸素を肺に取り込もうとするが、どうにもうまく呼吸ができなかった。


 不意に、親父が溜息を吐いた。


「リルカ・イエスマリアは死んだ」


 …………え?


「エルド・L・ラバーの目の前で息絶えた」

「うそ────」

「嘘じゃない。テミスはお前の親友をも見殺しにしたんだ」


 ひび割れたロザリオが砕け散って地面に落ちた。



 扉を開くと、教会の中には溢れんばかりの人がいた。全員がテミス像に向かって祈りを捧げている。


 コートを脱ぎ、それを右手に把持したままカーペットを進む。質の高いカーペットが足音を吸収しているので、一生懸命祈りに集中している者たちは真横を通るオレの存在に気が付いていない。


 ────長い悪夢から覚めた気分だ。


「え、だ、誰ですかあなたは!」

「どけ似非神父。消え失せろ」

「うわっ!」


 神父様を騙る偽物を突き飛ばして祭壇から追い出し、改めてテミス像の前に立った。


「…………」


 動きもしない。喋りもしない。ただ突っ立っているだけ。我が物顔で偉そうに教会を見下ろしているだけ。その天秤を使うことも無ければ剣を振るうことも無い。


 ────こんなデカいだけの石の塊を今まで信じ崇めていたというのか。


「ふさけやがって。お前のせいで────」


 霊力を全身に回す。発動した霊臓の炎が右半身から噴き出して渦を巻く。


「皆を返せェェェ!!!」


 石像に向けて拳を振りかぶった。


 ────それでリルカが戻ってくるわけがないのに。



「────スルト!!」


 石像を破壊したことで騒然となった教会から出た後、レグルス区の正門から国を出ようとすると、王国の息を切らした様子のエルドとバッタリ遭遇した。


「…………」


 振り返りたくない。顔を見てしまうとオレはきっと自分の首を絞めて死にたくなると思う。後ろ髪を引かれて踵を返すのを踏みとどまることで精一杯で、足を前に出すことが出来なくなってしまった。


「どこへ………行くつもりだ…………!」


 肩で息をしているせいか掠れ気味な親友の声が脳髄の奥を刺激する。


「真の神を探しに行く」

「なんだよそれ……! それに一体なんの意味があるって言うんだ! 君はテミスっを────」

「違う!!」


 食い気味に否定するとエルドは目を見張って驚いた。


「テミスは正義じゃない。奴は正義を騙る裏切り者だ」

「!?」


 エルドが目を見張った。


「ことの顛末は親父から聞いた。リルカは…………死んだんだな?」

「…………」

「何で死んだ?」

「…………霊魔に、殺されたから……」


 エルドは俯きながら、右手の親指を包むように握り拳を作っていた。


「それが真実だ。アイツは、オレよりも正義と善性に溢れる人間だった。悪戯好きでいっつも下らねぇことばっかする奴だったけど、超弩級のお人好しだ。これからも大勢の人間の命を救うはずの偉大な人間だったんだ────それをテミスは見殺しにしやがった!!」


 変な気分だ。怒っているはずなのに胸が痛くなるほど悲しい。大切な人を失って悲しいのか、大切な人を奪われて怒っているのか、自分でもよく分からなくなってきた。


「リルカだけじゃねぇ!! ホープスもドレアムも殺された!! 病院の中庭に冷たくなったアイツらがいたぞ! 何の罪もない子供たちが、テミスに殺されたんだよ!!」


 無数の遺体の中にアイツらの姿を見つけたときは気が狂いそうだった。ホープスは下半身が千切れていて、ドレアムは顔の右半分が潰されてた。


「皆が一体何をしたって言うんだ!!? なんで救われるべき善人たちが死んじまったのさ!! 裁かれるべきは、人を殺したオレのはずだろうが!! それともなんだ? テミスの正義は何の罪もない善人が化物に殺されるのを空から眺めることなのか? ────ンな訳ねェだろうが!!!!」


 喉が裂けたのか鉄のような香りが口に這い上がってくる。その匂いに誘われて一週間前の地獄がフラッシュバックし、思わず顔を顰めた。


「オレは行く。この世界のどこかにいるはずの正義の神を探しに行く」

「行くな!!!!」


 その怒号は今まで一度も聞いたことのないエルドの声だった。


「なんで、なんで君はまだ神に執着するんだよ…………そんな辛い思いを強いる存在なんて捨てればいいだろ!! 神なんてもうどうだっていいじゃないか!」


 歯噛みするような荒い息遣いが微かに聞こえてくる。


「…………オレは」


 曇天を見上げる。地平線の果てまで灰色で、終わりは見えない。


「オレはどうしても知りたい。オレに力を与えた存在が何者なのか。それを知る権利くらいオレにもあるだろ?」

「~~!!」

「それに────」


 振り返ろうとして、止めた。


「オレは、人殺しだ。人殺しに騎士を名乗る資格はない」

「待って────」

「待たねぇ。傷付く心はテミスと一緒に捨てたんだ。あとはこの道を進むだけだ」

「ッ!」

「またいつか、同じ星空の下で会おう」


 結局、オレはエルドの顔を見ることなく国を出た。後ろから声は何度か聞こえたが、誰かが追いかけてくる気配は一度もなかった。


「…………」


 今日、オレは死んだ。騎士のスルトは今日死んだ。


 だがらといって罪は消えない。オレはこの大きな業を一生背負う責任がある。


 だからこの先の人生は独善的な罪滅ぼしだ。同時に、オレを騙したテミスへの復讐でもある。

 

 オレは正義に殉職する。


 テミスとは異なる正義の神を、真に正義を司る神を発見する。


 正義は相手を選ばず。正義を騙る偽物は尽く灰燼に帰す。


 正義は相手を選ばず。ただ平和を乱す悪を滅するのみだ。


 相手が神だろうと関係ない。正義は相手は選ばないのだから。

 

 オレはあまねく悪を焼却する。


 この道を進み続ける。


 平和を嗤う悪魔を焼き払う。


 例え炎魔と呼ばれても。




    



〈序章 正義執行罪・了〉


────あとがき────


 次話から本当のアフター・C=ジャスティティアが始まります。


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