情愛の果て①

息も絶え絶えになりながら鬱蒼うっそうとした森の中を転びそうになりながら走る。

心臓が激しく脈打ち、自分の鼓動で周りの音が聞こえないくらいになっていた。

まだ昼間だというのに伸びきった樹木が陽を遮り、夜のように光を拒絶している。


背後を咄嗟に振り返ると、うっすらと木々の合間からこちらに向かってくる顔が見えた。

女の能面のような顔が笑みを浮かべ

百足むかでのように細長く伸びた体躯からは無数の手足が伸びて独立した動きを見せている。

身の丈は3mを超えるのではないかという巨体を左右に揺らしながら迫ってくる。


「――イザタマヘエ―イザタマヘェ―――」


おそらく、いや、確実に。

あの怪異は私を探しているのだ。

なぜこんなことになったのかといえば、それは数時間前のこと―――


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私は廃屋で見つけた骨壺を知り合いの神主のもとへ届けるため遠出をしていた。

電車で2時間ほど揺られることになるのだが

一人で遠出するのはちょっとした旅のような気がして胸が弾んでいた。

膝の上においてある紙袋には骨壺と、母から渡された茶菓子が入れられていた。

お世話になるのだからと渡されたものだ。

骨壺のことは適当にごまかしたのだが、怪訝な顔をしていた母はそれ以上詮索することはしなかった。

ボディバッグの外側の小さなポケットには白兎が収まっていた。

見知らぬ土地を見るのが楽しいらしく、外出しようとすると必ずつれてけと騒ぐのだ。

家に残しても何をするか心配なので仕方なく連れてきている。

土曜日という事もあって車内は少し混みあっていたが座れたのは幸運だった。


しばらくスマホで携帯小説を読んでいると、あっという間に時は過ぎ目的地についた。

静岡県にある富士宮駅は、世界遺産に登録された富士山への登山ルートのひとつでもあり

駅からほど遠くない場所には浅間大社せんげんたいしゃという立派な神社がある。

綺麗な小川が側に流れており湧玉池には鴨などがよく見られるのだ。

特にこの時期は境内の桜が咲き誇り、多くの観光客や参拝者でとてもにぎわっている。

霊峰富士をご神体とするのその社は圧倒的な存在感を示しているのだ。


私も初詣などで家族と訪れたことがありお気に入りの場所ではあるのだが...

が神気にあてられて消えてしまうのではないかという恐れがよぎり参拝は断念した。

一応、邪気から生じた存在故に神聖な存在に弱いかもしれない。


「――キエル、ハ、シヌ、コト――?」

「そうだね...それに近いかもしれない」

「ジャア、イヤ―――」


そう答えるとバッグの奥に隠れてしまった。

これから向かう神社は浅間大社ほどの圧倒的な力のある場所ではない。

おそらく大丈夫なはずだが念のため、

私の毛で編んだ小物入れの中に白兎が入れるようにしてある。

理由はわからないけれど私の髪は邪気もそうだが、陽の力である神気にも耐性があるようだ。

白兎はそれでも嫌がるそぶりを見せず、むしろ心地が良いと感じてるみたいだ。


市営のバスで富士山の方へと向かっていく。

霊峰とよばれるだけあって、富士山の周囲にはいくつもの神社が並んでいる。

古くから信仰されている物や場所には万物の根源たる神気が満ちている。

邪悪な気をもつ存在は近寄れないし、ひどく不快感を覚えるのだそうだ。

だがそれも低級な個体の話で、

太古の昔から名が知られているような妖怪の類は物ともせず闊歩するという。

妖怪とは邪気が集約した上位個体で、怨霊などと違い私たちの住まう現世うつしよに物理的に干渉できるほどの存在だ。ただし全ての妖怪がこの世界を破壊したり、誰かを傷つけたいと願っているものばかりじゃない。でなければとっくにこの世は滅んでいるだろう。

悪戯であったり、誰かに構ってほしくて悪さをしてしまうような...。

もし人を害そうという意思のみをもった妖怪がいたならば、最悪だ。

そういった存在は”鬼”の名を冠しているとされている。


バスが目的地に到着した。

朝霧高原を超えた先は富士山への玄関口にも近い本栖とよばれる地域だ。

このあたりはキャンプ場も多く、休日という事もあって人がちらほら歩いていた。

もっと先に行けば青木ヶ原樹海に繋がっている。

山側に向かって私は進み、木で組まれた足場を慎重に登っていく。

草花の匂いと、鳥のさえずりが心地よい。

長らく乗り物に乗っていたせいか解放感に満ちた心から活力がみなぎった。

とはいいつつも少し息を切らしながらようやく目的地にたどり着いた。


霊仙りょうぜん神社は山の中にある小さな鳥居と、社、神職の待機場所程度しかない。

鳥居をくぐり、周囲を見渡すと白の衣と袴を身に着けた老人がいた。

祖父の知人であり神主である前原さんだ。


「前原さん、こんにちは」

「ああ...玲くんか。いらっしゃい、よくきたねぇ」


70代後半だろうか、シワの刻まれた顔に笑みが浮かんだ。

私に霊的な存在の知識や言霊の術を教えてくれたのもこの人だ。


「いやあ大変だろうに...なんもありゃせんがゆっくりしていくといい」

「ありがとうございます」


前原さんに案内され私は待機所の椅子に座った。

机や催事の道具、洗面台程度しかここにはない簡素な場所だった。


「それで、この骨壺なんですが...」


私は紙袋から骨壺を取り出して、前原さんに気を付けて手渡す。


「なるほど、これかね。永代祭祀えいたいさいしできるようにするでね」


永代祭祀とは神職の管轄である納骨堂に骨をおさめ供養してもらうのだ。


「ありがとうございます」

「いいに。いまお茶だすで」

「あ、それとこれ母からです」


忘れかけていたお茶菓子を無事渡すことができ、ひとまず任務達成だ。

お茶をもらい一息ついていると前原さんがじっとこちらを見てきた。


「ふむ...玲くん、最近なにか変わったことはあったかね」


最近といえば、白兎のことだろうか。

この摩訶不思議な存在を相談してみるのもいいかもしれない。

だが邪気から生まれた存在なのを考えると黙っていた方がいい気がして言わなかった。


「言霊の術で藁人形に邪霊を封じ込めて、混ざった魂を分けたぐらいですね...」

「え!?」


目が飛び出るかというぐらいに顔を前に出して驚かれた。


「なんかまずかったんですかね...」

「や、封じ込めるっちゅうのも驚きだけんど、魂を分けた...?」

「そのー...複雑ではあったんですけど、解けそうだったので...」


怒られるのかなとモジモジと私が視線をそらしていると

うーんと頭をかじりながら前原さんが困った様子だった。


「いや、うーん...まあ玲くんがいうんならできたんだろうけども...」

「魂なんてもんは”普通”は触るどころか認知すらできんもんで...」

「混魂を選り分けるなんちゅうんは神様の領域に近い芸当だでな」


そんなに難しい作業だったのか...と思い出していると

続けざまに前原さんが話しかけてきた。


「わしが前みたときよりも、玲くんの身にまとう気が違うのよ」

「どういうことですか?」

「濃いんよ...邪気が。罪人でもなけりゃそんな濃さにはならんで」

「えっ!?」


邪気...考えられるのは白兎の存在かもしれない。

肉塊だった邪気を私は退散させた...と思い込んでいたのだが、実は取り込んでいたのではないか。

だがしかし私自身は健康面でも精神的にもなんら問題はない。

通常、人間が邪気を浴びすぎると極端な暴力的な衝動に襲われ犯罪を犯してしまう。


「みたところ元気そうだけんども...本当になんともないだ?」

「はい...ちょっと髪の毛が伸びやすくなった程度で...」

「用心するにこしたことはないだで、ちょっとまっとれ」


そういうと前原さんは祭事用のしゃくを持ち出して私の肩に先端を下ろした。


「祓え給い、清め給え、神かむながら守り給い、幸さきわえ給え」


それは神主が神気を身にまとい、御神の加護を与える言霊の術だ。

笏から熱が伝わり全身に行き渡る―――はずだった。


パァーン!!という破裂音と共に木製の笏が弾き飛ばされ待機所の壁にあたり落ちた。

前原さんは笏を持っていた手を抑え、苦痛に顔を歪めながら膝をついた。


「大丈夫ですか!?」


私が駆け寄ろうとすると前原さんは手でそれを制止した。

前原さんの顔をみた私は驚愕した。額には脂汗が流れ口が半開きになり呼吸が荒くなっていた。

頭を抱え、ぶつぶつと唱えるように震える前原さんを前に私はどうしてよいか分からなかった。


しばらくして落ち着いた前原さんが重い口を開いた。

笏を置き加護の言葉を紡いだ瞬間、電撃のような感覚が全身に走ったらしい。


「すまんけども、はあわしには手に負えん...」

「いいもんとも言い切れんだが、なにかが玲くんに加護をしとる」

「...はは、この歳になって怖ぇもんがあるとはわからんもんだなぁ」


前原さんは苦笑いをして、額の汗をぬぐった。


「古い神...祟り神の類か。そも神とは傍若無人だけんども、なんちゅう嫉妬深さ...」

「"それ"はあらゆるもんを惹きつけてやまん」

「木の蜜に群がる虫が如く、精霊や魑魅魍魎までもな」


ようやく立ち上がった老神主は、押し入れからいくつかの道具を取り出してきた。

以前もらった退魔の札や御幣ごへいと呼ばれる木の棒に白い紙が挟まれた祭具だ。


「もし怪異の類がきよったらコレでなんとか...なりゃいいけんども」


そう告げるとまた座り込んでしまった。

すっかり憔悴しきった前原さんを一人にするわけにもいかないので

息子さんにきてもらい、安静にしてもらうこととなった。

私もどっと疲れが出てしまったので近くの見晴らし台までいきベンチに座り休んでいた。


「いつそんな加護なんて与えられたんだろう...」


思い悩んでいるとボディバッグの中から白兎がふいっと出てきた。


「――主、ミテ、コレ、キレイ」


綺麗な模様をした蝶々が白兎の小さな頭にとまった。

その様子をみてフフっと笑い、そうだねと相槌を打った。

と同時に、おなかがぎゅるると鳴り空腹に気づいた。

考えていてもお腹は空くし、今すぐ何かができるというわけでもないのだ。



私はひとまず食事をとるべく見晴らし台を後にしたのだった――――――















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