想いを伝えられたなら

今朝の目覚めはとても軽やかだった。

本来ならばアラームを何回も止めて起き上がれるほどなのだが

不快感がない朝は久しぶりかもしれない。

窓辺には白兎がおりチュンチュン鳴いているスズメを観察していた。


「おはよう、白兎」


私が話しかけたことに気づいたウサギは振り返り、心に優しい音色が響く。


「主――オハ、ヨ、ウ?」

「朝のあいさつだよ。"おはよう"っていうんだ」

「イミ――――――シリ、タク―――」

「うーん...今日も一日がんばろうとか健やかに過ごそうねって感じかな」

「――――...。オハ、ヨウ―――レイ、サマ」


私はぽんぽんと白兎の頭を撫で、微笑んだ。

その手をふわふわなぬいぐるみの両の手で、触れる白兎がなんだかとても愛らしい。

ずっと撫でていたい衝動に駆られたがそれでは遅刻してしまう。

よしっと自分を奮い立たせ、階段を下りていく。

いつも通りの朝食を済ませ、洗面所で歯を磨こうとしたところおかしなことに気づいた。

鏡の前に映る自分の―――髪の毛が伸びている。それも5センチ以上は。

一晩でこんな伸びるものかと考えたが、伸びすぎたらきればいいのだと自分に言い聞かせ髪ゴムで成長した髪をまとめあげた。うん、すっきりだ。


一通り支度を済ませて気配を感じ、階段の上を見ると白兎がじっと見ていた。

慌てて階段を登り、白兎を抱きかかえ部屋につれていく。


「え、どうしたの?だめだよ出てきちゃ!」

「主―――オソバニ、イタク――――」

「だめだよ,,,ぬいぐるみは学校にもっていけなんだから」


白兎を一緒に行きたいようだが、さすがにこの30cmほどのぬいぐるみを持ち歩くのは難しい。

どうしたものかと考え、机の中を探しているとお目当てのものが見つかった。

小さい、ミニチュアサイズのうさぎの人形だった。

ハウスなどの家具を集めるとまるで生活しているかのように楽しむことができるもので

可愛いものが好きな私は密かに集めていたのだった。

それを白兎の隣におき、尋ねてみる。


「こっちに移ることって出来たりする...?」


すると、おもむろに白兎はふわふわの手で人形に触れるとコテンと倒れてしまった。

失敗したのかと焦ったが、すぐに人形が手を挙げる動作をした。成功のようだ。


「コレデ――主、イッショ、イケ、ル?」

「うん、大丈夫だよ。人に見られないように隠れててね」

「ショウ、チ――――」


そう答えると白兎はもぞもぞと私のカバンのポケットに自ら入っていく。

登校仲間が増えちゃったと少し嬉しい。

カバンを持つと私は足早に部屋をでて階段を降りていく。

洗面所で弟がぼーっと歯を磨いているのを横目に、私は玄関の扉をあける。

車庫に行き、自転車を取り出すと前かごにカバンを乗せて走り出す。

ひょこっと白兎が顔を出し、朝の街並みを眺めているのだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


授業4科目が終わり、昼ごはんの時間になり束の間の休息となった。

私は鞄から母が作ってくれた弁当を取り出し、今日はなんだろうとワクワクしていた。

その時、隣の席の―――なんだったかな名前...思い出せない。


「なあ天原、飯くうなら一緒に食おうぜ」

「え?う、、うん、いいよ」


私は突然のことに戸惑いを隠せず

笑顔をつくったつもりなのだが...

引きつった顔をしているような気がする。

頼む、気づかないでくれ。


「天原ってさ」


あ、だめだバレた。


「部活なんにしたの?」


気づかれてなかった。よかった。

ほっと胸をなでおろす。


「いやまだきめてないんだよね...」

「そっかー俺、陸上にしようかと思ってんだよね。ずっとやってたし」

「え?そうなんだ。走るの得意なの?」


当たり障りのない会話で昼ご飯の時間が過ぎていく。

話しかけてくれたのが嬉しくて、うまくやっていけたらいいなと思った。

その様子を白兎がじっと鞄のポケットから覗いていた。

私と話しかけてきてくれた隣の席の男子―――

塚原つかはらと連絡先を交換して昼休憩の時間が終わり午後の授業へと移っていった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


今日の授業も終わり、それぞれが帰り支度と部活への移動を始めるなか

私はなにげなく教室の片隅に目をやった。

昨日いた黒い影のかたまりが、より鮮明になってそこに"座って"いたのだ。

黒い雨合羽のようなものを全身にかぶり、顔を丸く、目は大きいものが中央に一つ付いている。

何をするわけでもなく、そこにじっと座っているのだ。ただうつむいたままで。

気になった私は教室から人がいなくなるのを待ち、周囲を伺いつつその存在に近づいた。

大きさは...幼稚園児程度であろうか。


「なにしてるの?」


私が声をかけると、黒目玉はビクっとした様子でこちらを大きな瞳で凝視する。

悪い気配は感じない。

凝視するだけで身動きしないのでどうしたものかと悩んでいると黒目玉が何かを床に置いた。


「これは...鈴?」


それはずいぶんと錆びて汚れた鈴だった。

持ち上げてみると、音はならない。錆びてしまっていてくぐもった音がするだけだ。

すると黒目玉が起き上がり、小走りに教室を出ていった。

慌てて追いかけると校庭の隅っこの大きな桜の木のふもとで待っていた。

じっと桜の木を見つめたまま座り込んでしまった。この木になにか――――――

そう思い幹に触れるとまるで夢の中のように映像が脳裏に浮かんだ。


一人の男子高校生が桜の木の下で弁当を食べていた。

坊主頭で、筋肉質な彼は野球部を思わせる風貌をしていた。

その桜の木の後ろに黒い猫が匂いに釣られたのかやってきた。

それをみた坊主頭の生徒が弁当から鮭をわけてあげると、黒猫はハフハフと食べ始め彼は微笑んだ。

来る日も来る日も黒猫はその場所にやってきた。

坊主の彼もそのたびにおかずの焼き魚などを猫にあげていた。

ある日、彼は猫に首輪をプレゼントした。真っ赤な輪にキラキラとした鈴がついていた。

黒猫は最初戸惑った様子をみせたが、気に入ったらしく頭を彼にごつんとぶつけ尻尾をたてていた。

男子生徒が以前よりも細くなっているような気がしたが、黒猫は気にしなかった。

鈴がなれば、彼は黒猫がくるのを察知した。一人と一匹の穏やかな日々は何日も続いた。

だがある日を境に彼はこなくなってしまった。雨の日も風の日も。黒猫は待った。


どれぐらいの月日が流れたのだろう。黒猫は動けなくなってしまった。

耳も使い物にならなくなり、鈴の音色を自分で聴くこともできなくなってしまった。

視界は霞み、息苦しくなった。黒猫は目を閉じた。少し休みたかった。

長い長い時間が過ぎたように感じ、目を開けると痛みはなくなっていた。

けれど、自分の姿は様変わりして自慢だった首輪もなくなっていたのだ。

必死に黒猫は探した。すると教室の片隅に落ちていた鈴をみつけた。

もしかしたら、ここのあの生徒がいるのではとじっと――――――待っていた。



ハッと私は我に返った。

今みた光景がこの黒目玉の思い出なのだとしたら、この子はずっと待っていたのだろうか。

誰にも話しかけられず、存在すら認識されずに―――


その残酷さを私は知っている。


この子の願いが叶えばいいと純粋に思った。

だが...おそらく彼はもうこの世にはいないのだろう。

あまりに、あまりにも時間が流れ過ぎてしまった。

脳裏に浮かんだ光景と、今のこの場所は様変わりしていたからだ。

何十年...なのだろうか。筋肉質だった男子生徒がやせ細っていたのはなにかの病気かもしれない。


考えながら黒目玉を見つめる。この想いが学校に縛り付けてしまっているのだろう。

今は問題がなくとも"執着"が邪気を寄せ付けてこの子も変異してしまうかもしれない。

そう思い、鞄の白兎を見る。何も語らず私を見ている。


偽善かも知れない。自分が感じた辛さを解消したい独りよがりなのかもしれない。

けど、なにかできるのならそうするのがきっと"私"なんだろう。


「まっててね、すぐ戻るから」


黒目玉に告げると、私は走り出した。

駐輪場に向かい自転車を力強くこいで、目的の場所まで一心不乱に進んだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


日が傾いたときに私は桜の木に戻ってきた。

黒目玉は変わらずその場にじっと座ったままだった。

私は鞄から、袋を取り出した。封を切り、"それ"を黒目玉の前に置く。

身動きしなかった黒目玉が"それ"を凝視した。


真っ赤な輪にキラキラと輝く鈴がついた首輪。


「君にこれを」


黒目玉が私を見上げる。

それと同時に鈴の音色のような"声"が心に響いた。


【ただ、一目会いたかった。好きだと伝えたかったのに】


とても寂しい響きだった。

思わず私は黒目玉を撫でた。

それはふわふわの毛並みでまぎれもなく猫の毛並みだった。


「伝わっていたさ。君が自慢の友達だったんだよ」


そう伝えると黒目玉の姿が光りはじめた。

大きな瞳には私ではなく在りし日の友人を見ているかのように。


うずくまるように黒い体を丸めるともぞもぞと動き出す。

まるで蛹から生まれるかのように、中からツヤツヤと輝く黒い猫が姿を現した。


首には私があげた首輪をつけ凛々しく、4本の脚で立っていた。

そして黒猫はニャアと鳴くと桜の木を駆け上り

うえにうえに昇っていった。どこまでも。見えなくなるまで。

手元には錆びついた鈴だけが残った。

それを私は大事に鞄にしまった。


桜の木の枝の間からは夕日が差し込んでいた。


「じゃあかえろっか」


白兎にそう話しかけ、白兎は小さくうなずいた。


帰りながら私は物思いにふけていた。

桜の木は全てを知っていたのだろうか。

だからその光景を見せてくれたのだろうか。


夕日が沈みゆく街道を自転車で走り抜けていく。

私たちが日々、何気なくとっている行動が誰かにとっては大事なものであり

過日に心焦がすことにもなるのかもしれない。

自分もそんな風に振り返ることがあるのだろうか。


ならばなおさら、今を大切にしなくては。

私はそう心に決めたのだった。


鈴の音がちりちりと、鳴ったような気がした。





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