第6話 人魚の呪い

 カヤコの足には魚の鱗がある。キッカケは不明だが、小学から中学に上がる頃には、既に薄く鱗が現れ始めていた。色々な病院を巡り、様々な検査を行ったらしいが、どこの病院も原因を掴めず、治療法も無いと言われたらしい。それ以来、カヤコは足が出る服を拒み、他人はおろか、家族にすら足を見せないようになった。


 それでも、私にだけは足をさらけだしてくれる。私が他の誰よりも信頼出来て、落ち着ける存在だからだと、カヤコは教えてくれた。それを聞いて嬉しい反面、少し心配にも思った。カヤコは元々人とはあまり接しない子だった。そこにコンプレックスという他人には知られたくない秘密が重なり、自分の部屋に引きこもってしまった。


 それから一年も経たずに、カヤコに更なる不幸が重なった。鱗がハッキリと見えるようになった頃、突然カヤコは歩けなくなった。足を動かす事は出来ても、立って歩くという事が出来ない。歩けない時期が続くと、遂に完全に歩き方を忘れてしまい、現在は自室のベッドの上で生きるようになった。


 私はカヤコの足に鱗が現れ始めてから毎日、カヤコの部屋を訪ね続けている。話をしたり、カヤコに似合う服を買ってきて着せたり、時には何も言わずにただ寄り添う。周囲の人からは「無理をしなくていい」と言われるが、私は無理などしていない。会いたいから会いに行ってるだけ。それなのに、他人は私を【付き合わされてる可哀想な人】という認識で私を見る。そんな他人の視線が嫌になり、私も他人と距離を置くようになった。


「……今日のサチちゃん、なんだか機嫌が悪く見える」


 いつものように部屋を訪ね、いつもの位置に座るや否や、カヤコは私に言った。カヤコの光を失った虚ろな瞳は、私の瞳の奥を覗き込むように、その目力は強い。


「分かるの?」


「うん。だって、毎日見てるもの。私、こんな体になって嫌な事ばかりだったけど、良い事もあった。サチちゃんを自分のように分かるようになれた事。知ってる? 人って、瞳の奥にその人の心があるんだよ?」


「胸の内じゃなくて、瞳に?」


「うん。でも、サチちゃん以外の人の心は見たくない。きっとのその心には、恐ろしさが渦巻いてるから」 


 私の手の上にカヤコがそっと手を重ねると、手の甲に浮き出ている血管を撫で始めた。カヤコの細い指先で触れられると、背筋がゾクゾクする。決して嫌な訳じゃなく、むしろ気持ちがいい。高揚する気持ちのまま、カヤコを襲いたいとさえ思ってしまう。カヤコの視線が私の手の甲に向けられていたのは幸いだ。


「私、サチちゃんの手が好き。綺麗で、健康的で、触り心地が良い」


「好きなのは手だけ?」


「自分の手に嫉妬してるの? 面白いね」


「想い人には、自分の全てを愛してもらいたいからね」


「フフ……それじゃあ、サチちゃん。今日も触って? 誰にも見せたくない私の秘密を」


 そう言って、カヤコは私の手を握りながら、掛け布団で隠している自身の足に私の手を持っていく。少しザラついた冷たい感触が手の平から感じ、少しだけドキッとした。いつになっても、最初のこの感触だけは慣れない。


 鱗の感触に落ち着くと、私は隠れて見えないカヤコの足を優しく撫でていく。色気のあるカヤコの吐息が小さく漏れ出してくる。その色気に興奮する気持ちを鎮めるように、私は唾を飲んだ。


「……ねぇ。今日は、もうちょっと上の所も撫でてみて」


「上って……その、触れてもいいの?」


「触れてほしいの」


 私が今触れているのは太もも。これより上の部分という事は、つまり……。


「……それじゃあ、触れるよ?」


 撫でる手の動きを止めず、太ももの内側へ手を動かしていく。ゆっくりと、そして緊張している所為か、私の手はカヤコの太ももの内側に中々到達しない。


 すると、私の手がカヤコの足を通過していった。私は手を少し後ろに戻し、今度は自分に持ってくるように手を動かし始める。しかし、私の手はカヤコの太ももの上を感じたまま、私の元へと辿り着いてしまう。


「もう、無いんだよ」


「……え?」


 その言葉の意味が分からず、カヤコの顔を見た。カヤコは優しく微笑みながらも、何かを諦めたような悲しい表情を浮かべていた。


「今朝、気付いたの。私の足、人間の頃の私の足は、もう無いの」


「無い……足……え?」


「私、人魚になるみたい」


 人間の頃の足が無い。つまり、この布団の中に隠されているカヤコの足は、お話の中に登場する人魚のようになっているの? 奇病の症状がそこまで悪化していたなんて……ちょっと待って? 本当に、下半身だけで済むの? お医者さんだって知らない病気って事は、その症状がどんな風に悪化するか誰も分からない。もしかしたら、このまま上半身の方にも鱗が現れ始めて、最終的に……!


「っ!? 嫌……やめて……怖がらないで……!」


「怖がってなんか……」


「サチちゃんの心に恐怖が出始めたのは、瞳を通して分かる……違うの、怖がらせたくて打ち明けたんじゃないの! サチちゃんには、私の全てを知っててほしいの! 私の全てを受け入れてほしいの!」


 カヤコは私の頬に両手を当て、私が目を背けないようにしてくる。


「私にはサチちゃんだけ! サチちゃんにしか心を開けない! だから私を見捨てないで……私を愛して……私の全てを受け入れて……!」


 瞳から流れる涙で上手く言葉を続けられない中、カヤコは私に求めるもの全てを打ち明けた。私からの返事を聞く前に、カヤコは私のおでこにおでこを当て、小さく「見捨てないで」と呟き続ける。


「……大丈夫だよ、カヤコ。私はカヤコを見捨てない。確かに、さっきはちょっと驚いちゃったけど、もう受け入れたから」


「……ごめんね……こんな私で……ごめんね……!」


 私はカヤコを強く抱きしめた。カヤコという一人の存在を私の中に埋め込む程に強く抱きしめた。


「大丈夫。私は何があっても、カヤコがどんな姿になっても、見捨てない……私だけは、絶対に」 


「……ありがとう……サチちゃん、大好き……!」


「私も好きだよ。私だけの、人魚姫」


 カヤコには私が必要だ。身を蝕む奇病の恐怖を打ち消す為に。自分が人間だという事を過去のものにしない為に。孤独に耐えかねて、泡になって消え去ってしまわない為に。私を欲し、私で満たし、私を満たしてくれる。カヤコには私だけいればいい。


 どうか、この関係が続きますように。私達が泡となって消え去るその時まで。

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