55.
「お父さん!」
詩織をここへは連れてくるなと再三言い聞かせたと言うのに、どこのどいつだ? 連れて来たのは……。
ここには装備を確認しているのは古参兵と、新兵に毛が生えたような者しかいない。ドロシーとノーラが該当する。
「詩織?」
「お客さん! 前にこのお屋敷を案内してくれた、お爺ちゃん」
橘さんか。何しに来た? とは思わない。
依頼していた人員の用意が整ったのだろう。早急に欲しいと言った料理人の面子が揃ったのかもしれない。
現在我が家には――
スチュワートと並ぶ超級スパイのマルコは除いても、ファミリア教官セリスと若手と言うにはやや薹の立つイリス。若手筆頭のノーラを含め、我が家には三名のイレギュラーが存在する。
ヴェノム所属のノーラを除けば、セリスもイリスも戦士である。戦士は原則体が資本であり、めちゃ食う。なので、是が非でも料理人が欲しかった。
日々の二度寝生活を煩わしく思うことも然り、然り。
とはいえ、だ。
「御子柴は地下階に近付くな、と言わなかったか?」
「先生はそう言ったけど! ハミルトンお兄ちゃんが、お父さんのお客さんだからって!」
御子柴は十全に機能している様子ではあるものの、ハミルトンの影響力には未だ及ばず、と。そも、詩織にはハルに係る理由も素養も何もない。……この屋敷に滞在するという共通の要素を除けば。
「では、御子柴とハルが案内しているのか?」
御子柴は剛と交替させた以上、草むしり組の最高司令官が御子柴なのは仕方ない。が、あの御子柴が俺の思惑を無視するなどあり得ない。
彼は天才であり、秀才であり、鬼才ではあるが、俺の思いを決して蔑ろにすることはない。その辺りの感覚は『微に入り細を穿つ』レベルの察知能力を発揮する。
要するに彼の判断ではない。
と、事の証明された。
「ハル!」
「兄貴!」
俺がハミルトンをハルと呼ぶのは、最初期に幼き直子がそう呼んでいたからに過ぎない。俺がこの子たちに出逢ったのも高校時代の話だとしても。
「…………橘さんを案内してくれたことは感謝する」
が!とか、しかし!という今にも喉を突いて出そうな言葉は口を噤んで伏せた。
その背後に当人を連れてきていたからという理由もある。流石に外部の人間へ吐いていい言葉ではない。
「まさか嫁さんを連れて来るとは想定外もいい所ですよ? それに、私の個人的な知人までも……」
「奥様からは最大限の配慮を、と承りましたので」
「だからって隠居した嫁まで動員せずともねえ、柚葉さん?」
「わたくしも一線を退き、孫や曾孫を相手とすることが多くなりました。ただ、子供の相手というものは非常に疲れるものなのです」
この夫婦の異常さは、仕えるべき主人を一番に考えてしまうこと。橘家はそれなりに成り立ったらしいが、後継者は生まれず。双方が双方ともに美都さんこそが一番であり、一般的な夫婦関係ではなかったとまた双方から聞いている。ほぼ無理矢理に。
その上、一般論としてだが、幼い子供の相手は疲れる。年寄りであれば猶の事。
彼らは片道切符なのだ。起きていれば己の欲を満たそうと動き回り、疲れ果てれば眠る。その繰り返し。
早熟な子供ならば小学生の中学年くらいには、そんな扱いからも脱すると言うが。早熟なのは大概女の子であるが故に、男児ばかりを授かった家庭は苦労するらしい。とは剛の主張だったか。
更に問題なのは……見知った顔があること。
つい先日、ケータリングを頼んだレストランのシェフの顔がある。
この人物は俺のホテルマン時代、ウエイターでしかなかった俺を調理場へ放り込んだ張本人である。このオッサンとはゴルフ場やら乗馬クラブやらへの出張で、何度も繰り返し運転手をやらされた覚えがあり過ぎる。
定年退職後にフランス料理店を開業したと噂で聞き。ケータリングをお願いしたばかりだというのに! まさか店を畳んでまで雇用されてやって来るとは思いもしない。
「高城さん。ここがどういう場所か、ちゃんと理解しているの?」
「小坂の家だろ? あの小坂が天下の西園寺を顎で使えるほど一廉の人物になるとは、流石のオレも驚いたさ」
「何も顎で遣ってはいねえよ? っうか、そちらの女性は?」
「妻の、絹代だ」
誰も彼も……彼女も? 何も夫婦揃ってやって来ることも無かろうに。
橘さんは奥さんを置き去りにする気満々なようだが、それはあくまで特殊事例だろう。
「若様」
「若様は止めてくれ。柚葉さんにとって若様と言えば、道長さんだろう? 俺はあの人ほど器は大きくないからな。
で、仕事内容になるが……当然ながら戦闘関連の教師役には全く困っていない。学問に関してもウチの天才児を付けた。あと欲しいのは儀礼くらいなものだが、それこそ庶民出では限界がある。その辺りを任せたい理由もあるが、母親経験の豊富な柚葉さんだからこそ任せられる仕事がある。そちらの方がより重要だと思ってほしい」
「お嬢様のことは、どうぞわたくしめにお任せください」
「ありがとう」
柚葉さんからの若様呼ばわりには違和感が大きすぎて、娘を槍玉に挙げた=生贄にしたとも言う。
柚葉さんは美都さん付きの侍女だった過去がある。定年をやや超えて退職し、子や孫・曾孫の教育にあたっていたと聞いていた。
夫婦仲は悪くはない。が……良くもない。そんな感じらしい。
子はとうに自立しており、孫も同様。曾孫は二組が時折預けられるという状況だったらしい。
「直接的な責任を負わない孫までは可愛いものですがね。曾孫までいくとほぼ他人ですから」
身も蓋もないが判らなくもない言の葉。
孫は他人と言いきった、ラルフの兄(貴族家当主)を彷彿とさせる。でも、柚葉さんの方が若干柔らかい表現ではあるかもしれない。
地下階の入り口と比べ、内部は若干暗い。
因って、地下階内部は見えにくい筈。
銃を含め、装備の点検をしている最中に訪れたアクシデントにしては、まだ言い訳は立ちそうか? 俺の背後では、装備品を鉄箱へ急ぎ隠す作業が進行中だった。
「お父さん、ここが地下シェルターなの?」
「そうだ。ダンジョンに遠征している間に、少々改装する予定があってな。その打ち合わせをしていた」
「ダンジョン!?」
詩織に問われ返答に困るも事実を告げる。改装するのは嘘ではないし、ダンジョンへ行くという話も剛から聞き出したことであり、どちらも真実ではある。
銃の射撃訓練場を作るとは、ここでは罷り間違っても伝えられはしない。ゆくゆくは詩織も利用する施設ではあるものの、俺たちから見てかなり鈍臭い詩織が、実際に利用するには長い訓練期間を要すると判断したが故の措置。
生物学的には俺の実子であるとしても、そも俺の才能は後天的なモノである。娘をあのような酷い目に遭わせたくはない。遭わせたいと思う、まもとな親はまずいないだろう。俺や智恵の親のように、イカレた親でもない限りは。
「高城夫妻は住み込みを希望しています」
「嫁さん連れて来るってことは、そうなんでしょうね。……てか、おっさん店はどうしたんだよ!?」
「娘婿にやった」
ほぼ隣でも一歩下がった位置にいる奥さんの顔が引きつっている。これは苦笑いではなく、怒りの表情だ。
つい最近まで慎ましくも親子仲良く小さな店を経営していたのだ。その怒りも相当なものと察せる。
「おっさん、考え直すのは今の内だぞ? 本契約後だと違約金が発生するからな」
俺はそんなもの求めはしないが、西園寺家としては大企業としての面子がある。絶対に洒落にならない莫大な金額が提示されることだろう。ましてや、俺関連ともなれば守秘義務が多く発生する。下手をすれば、俺の関知しない所で勝手に口封じされる危険もある。
ここへ来てしまった時点で、既に手遅れではあるのだが……本人にその自覚があるかは不明だ。まだ、たぶん、ぎりぎり、間に合うかもしれない。
「契約書にはもう判は押した」
手遅れだった!
「……わかった。厨房の近く、一階に部屋を用意するよ」
もう、そう言うしかなかった。
契約書に判を押してしまった、俺の知人を橘さんが逃す理由がない。
奥さんには災難としか言いようがないが、本当に嫌ならば離婚してもらうしかない。その際にも守秘義務は課せられるだろうが……呪うならばド阿呆な旦那を呪ってほしい。
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