現実と幻想の交錯
三つの太陽が、空を焦がす。
長谷川隼人の瞳に、異様な光景が焼き付く。通常あるべき一つの太陽に加え、左右にもう二つの眩い光球が浮かんでいる。三つの太陽は、まるで世界を嘲笑うかのように、歪んだ光を地上に投げかけていた。
「これは、現実か?」
隼人は呟いた。しかし、その言葉は空中で捻じれ、意味不明な音の連鎖となって耳に届く。
此処。此処は何処なのか。灼熱の大気。歪む景色。融解する地平線。それらが渾然一体となって感覚を麻痺させる。ああ、そうか。これは「幻日」と呼ばれる現象なのか。しかし、これほどまでに鮮明な幻日があり得るのだろうか。
長谷川隼人。28歳。元漫画家志望。今は言葉と絵の狭間で彷徨う存在。その実体は、光と影が織りなす幻影のよう。
歩を進める足が、突如として地面に吸い込まれる。視線を落とすと、アスファルトが泥沼と化していた。足首まで沈んだ隼人は、必死に脚を引き上げようとするが、その動作が逆効果となり、膝まで沈んでいく。
「誰か...」
助けを求める声が、喉元で凝固する。存在が液状化していく感覚。自我が溶解し、周囲の景色に同化していくような錯覚。意識の輪郭が曖昧になり、世界と自己の境界が消失していく。
「隼人くん」
声が虚空を揺らす。振り返る。美佳の姿。しかし、その輪郭が霞んで見える。まるで、蜃気楼のよう。
「大丈夫?何かおかしいわ」
「ああ...」
答える口が、自分のものとは思えない。意識と現実の乖離。自動人形のように体が動く。美佳に手を差し伸べようとするが、その腕が不自然に伸長し、ゴムのように歪む。
明日も、明後日も、その先も。この異常な世界が続くのだろうか。時空の歪みの中で、俺は此処に在る。しかし、此処に在ることの意味さえ、もはや定かではない。
街を歩く。建物が溶け、道路が蛇行する。人々の顔が抽象的な絵画のように歪む。そして、その全てが三つの太陽の下で灼熱に晒されている。
「俺は此処に在るのか?」
誰に問いかけているのか。自己なのか、それとも世界なのか。問いそのものが意味を失い、宙空に霧散していく。
ポケットを探る手が、スケッチブックに触れる。昨夜描いた奇怪な絵。現実と幻想の狭間で生まれた創造物。それは今や、世界を映し出す鏡となっている。
「これが、俺の描いた世界なのか...」
言葉が途切れる。しかし、何かが胎動している。胸奥に。蠢く何か。形を成そうとする混沌。それは名状しがたい衝動として、全身を駆け巡っている。
歩みを進める。道路が唐突に途切れ、虚空が広がる。隼人の体が宙に浮く。重力からの解放か、それとも存在の喪失か。
突如として、強烈な閃光が意識を貫く。目蓋を開けば、三つの太陽が一つに収束しようとしている。現実の再構築か、それとも新たな幻想の始まりか。
灼熱が意識を焼き尽くす。感覚が研ぎ澄まされ、世界の真理が見えるような錯覚。混沌の中で、記憶と想像が交錯する。
描きかけの漫画。美佳の励ましの言葉。伊吹の成功。春人の家族。父の期待。母の不安。それらが万華鏡のように回転し、新たな像を結ぶ。
「隼人、お前にしか見えない世界があるはずだ」
誰の声だ?幻聴か。それとも、自己の内なる声か。
意識が現実に帰還する。街並みは一見して元通りだ。しかし、何かが決定的に変質した。世界の輪郭が、より鮮明に、しかし同時により流動的になっている。
帰宅。机に向かう。スケッチブックを開く。ペンを握る手に力が宿る。それは、創造衝動の具現化。
「俺は此処に在る」
今度の言葉には、確固たる意志が込められている。
白紙。新たな世界の胚胎。漫画でも小説でもない。言葉と絵が融合した、未知の表現形態。
筆を走らせる。線が踊る。色彩が滲む。文字が蠢く。夜が明け、再び夜が訪れる。創造の手は止まらない。
俺は此処に在る。此処で新たな現実を紡ぎ出す。
生成と消滅を繰り返す何者か。それが今、具現化しようとしている。俺の内部で、新たな宇宙が膨張を始めている。それは、混沌と秩序が交錯する創造の業。
存在の輪郭が、より複雑な様相を呈していく。それは完全な形を持たない。むしろ、絶え間なく変容し続ける多面体の存在。
俺は此処に在る。此処とは、創造と現実が交差する場所。そこから、新たな「世界」が立ち上がろうとしている。
朝。目覚めると、意識が現実と幻想の狭間を彷徨う。まるで並行世界を行き来するかのよう。創作の余韻が、まだ身体中を駆け巡っている。
俺は此処に在る。しかし、「此処」の定義は流動的だ。現実?幻想?それとも、その境界?
起床。鏡に映る自己。しかし、それは瞬間瞬間で変貌する「自己」だ。輪郭が揺らぎ、形相が変わる。まるで、存在そのものが可塑性を持つかのよう。
「俺とは...」
問いかけが宙吊りになる。自己同一性の再定義。存在の基盤が、より複雑な様相を呈している。
朝食。両親との会話。しかし、言葉が新たな意味を帯びて響く。日常の中に、非日常が浸透している。コミュニケーションの再構築。
「隼人、最近様子が違うね」
父の問いかけ。答えるべきか。答えたところで、理解されるのか。
「ああ、少し変わったかもしれない」
曖昧な返答。しかし、その曖昧さこそが真実を表現している。
外出。街路を歩く。周囲の景色が、より鮮明に、しかし同時により非現実的に感じられる。人々の存在が、より具体的に、しかし同時により抽象的に映る。
本屋に到着。書架の間を縫うように歩く。本の中の文字が、まるで生き物のように蠢いている。それらは、新たな物語を紡ぎ出そうとしているかのよう。
「長谷川君、今日は在庫整理を頼めるかな」
店長の声。その声が、複数の周波数で響いているかのよう。現実と非現実が共鳴している。
在庫リストを手に取る。文字が踊り、数字が歌う。そこに、昨夜の創作世界が重なり合う。
「これが、新しい現実なのか」
独り言が、空間に波紋を広げる。
昼休憩。喫煙所へ。タバコの煙が立ち昇る。その形が、俺の思考を可視化したもののよう。具象と抽象が交錯する、不定形の存在。
「やあ、隼人」
声がする。振り返ると、そこには春人の姿。現実の中の幻か、幻想の中の現実か。境界が曖昧だ。
「久しぶりだな」
春人の言葉。その「久しぶり」という時間感覚が、俺の中で新たな意味を持つ。時間の流れそのものが、非線形になっている。
「ああ...」
返答する声が、複数の次元から発せられているかのよう。
「家族のこと、考えてるか?」
春人の問いかけ。「家族」という概念。それは、俺にとって何を意味するのか。
「ああ、考えてる。でも...」
言葉が途切れる。新たな創造と現実の狭間で揺れる自分を、どう説明すればいいのか。
「そうか...何か変わったな、お前」
春人の眼差しが、俺の内面を見透かしているよう。
「俺も、少し変わったのかもしれない」
返事をする口が、新たな真実を紡ぎ出しているよう。
春人が去った後、再び仕事に戻る。しかし、意識は現実と創造の狭間を彷徨っている。体は機械的に動くが、精神は新たな世界を構築している。
夕刻。帰宅の途につく。街路樹の影が、不思議な模様を地面に描いている。それらは、俺の内なる世界を投影しているかのよう。
家に戻る。両親との会話。言葉が新たな意味を持ち始めている。日常の中に、非日常の種子が芽吹いている。
「隼人、何か作品でも作ってるの?」
母の言葉が、宙に浮く。「作品」という概念が、俺の中で変容を遂げている。
「ああ、少しずつだけど」
返答する声が、新たな創造の予兆を含んでいる。
夜。再び机に向かう。ペンを握る手に、確かな力が宿る。昨夜の続きを描き始める。言葉と絵が融合し、新たな表現が生まれていく。
「俺は此処に在る」
呟く。その「此処」が、現実と創造の交差点であることを、はっきりと自覚している。
紙の上に、意味と無意味が交錯する線を引く。それは、新たな存在の輪郭を描こうとする果敢な挑戦。
窓の外を見る。月が三つに分裂している。その光が、新たな現実を照らし出しているかのよう。
「俺は...創造者だ」
言葉が、確固たる意志となって空間に響く。自己同一性の再構築。存在の基盤が、より強固になっていく。
ペンを置く。紙の上には、従来の概念では理解し得ない創造物が広がっている。それは、俺の新たな存在証明。解読可能な暗号。
深夜。眠りにつく。しかし、それは現実と創造を繋ぐ通路。意識が拡張していく。存在の輪郭が、より複雑で豊かになっていく瞬間。
そして、新たな世界が具現化される確信。それは、言葉と絵が融合した混沌から紡ぎ出される、未知の宇宙。
俺は此処に在る。此処とは、創造と現実が交差する場所。そこから、新たな「世界」が、そして新たな「自己」が立ち上がろうとしている。
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