第16話 今は、まだ
ホームルームの時間がやってくると、筆談という名の会話はいったん打ち切られた。
一限ごとにやってくる十分休憩では話を着地させられない。
そう予感したのだろう、去り際に四ノ宮さんが残したのは「昼休みにまた改めて話をしよう」という提案だった。
病み上がりな事もあり、
まかり間違っても会う約束をしていた訳ではないし、街中ですれ違った記憶も僕にはない。しかし彼女はソワレという店の名前も、そこに僕らがいたことも知っている――とすれば、結論は自ずと導き出せた。
やっと迎えた昼休み、中庭のベンチに腰掛けながら僕は四ノ宮さんに問いかける。
「もしかして、あのお店で働いてるの? 四ノ宮さん」
「………………はい」
唖然とした。
彼女が男装カフェで働いていた事に対してというのもそうだが、その時まったくそれらしき人物を発見できなかった驚きの方がわずかに勝っていた。
長めの沈黙を破って聞こえた声は今にも消え入りそうなほど小さく。唇から離れたトマトジュースのストローは、
「気付かなかったでしょ。久世橋くん」
「全然……あの時、本当にいたの?」
「いつも強めのメイクしてから行くからね。……いっかい目が合いかけた時は死んだと思った。でもまぁ久世橋くん、あの子に付きっきりだったから助かったよ。なんか目で追ってたし」
「……そんなに分かりやすかった?」
「うん。まあ、結構」
僕が、小春さんを目で追っていた。
さらりと明かされた無意識に内心、動揺が隠せない。
人から見ても分かりやすかったのだから、自分はよほど小春さんの事を気に掛けていたのだろう。
四ノ宮さんは膝の上に置いていたサンドイッチを
そんな彼女がブレザーの制服を脱ぎ捨てて、見違えるほどの容姿になって働いている――というのは、信じられないがまるで漫画のようなエピソードだ。
おだやかな風が木々の葉を揺らし、そこはかとなく眠気を誘う。
気温もさほど高くなく、もし先週の土曜日がこんな天気であったなら、あのような波乱もなく一日を終えられていたことだろう。
周囲から聞こえる談笑の声を聞き流しつつ、僕も四ノ宮さんも昼食を平らげる。そういえば、気になっていた事がもうひとつだけあった。
「朝、だいぶ動揺してたけど……うち、バイト禁止されてるわけじゃないよね。なんで?」
学校によっては先生の許可が必要であったり、時期が限定されていたり、そもそも禁止である事も珍しくないという話は耳にしたことがある。けれど僕たちの通う『
担任の先生に申告すればアルバイトは基本、自由。ついでに言えば校則も厳しくはない。成績に差しさわりがある場合は注意を受ける場合もあるが、これはおそらくどの学校でも同じだろう。
四ノ宮さんはジュースを飲み干し、はっと息を吐きだして顔を上げる。
「……久世橋くん。もし、久世橋くんがあたしの立場だったとして……あのお店でバイトしたいなってなった時に、どんな風に先生に伝える?」
僕は少し考えてから、
「アーケード街近くにある、男装カフェで働きたいのですがよろしいでしょうか?」
「違うのよ久世橋くん。あたしはそんな鋼メンタルの持ち主じゃないの」
「あ、ごめん……! 男装“喫茶”で働きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「惜しいのよ。カフェじゃなくて“男装”って方に注目してほしかったのよ。アウトでしょ、どう考えてもそっちの方が」
「そ、そっか……言い方の問題じゃなかったんだね」
「言い方の問題だよ」
四ノ宮さんによればつまるところ、“男装”という単語を使ってしまうと先生が驚いてしまう可能性がある、という事らしかった。
「普通に『カフェで働きます』だったらまだ分かるけど、男装って単語が付くと途端にややこしくなっちゃうでしょ? だからあたしはあくまでも、ごく普通の一般的なカフェで働いてます――って事になってるの。あんまり言いふらされたくもないしね、クラスメイトとかに」
「噂になるから?」
「まあ……全然そんな事するようには見えないけどね、久世橋くんは」
浮かべられた笑みを信頼の証であると思い込むのは、まだ時期尚早だろうか。
あるいは単に諦められているだけなのかもしれないが、僕が信じたいのは前者だった。
「……ありがとう。誰にも言わないし、もし聞かれても適当にはぐらかすよ」
「こちらこそ。っていうか、久世橋くんが話せる人で安心したぁ。本当に……」
ようやく肩の荷が下りたのか、脱力しきった表情が四ノ宮さんの安堵を物語る。
向こうからすれば僕はあいさつ程度の会話しかした事のないクラスメイトで、緊張もひとしおだった事だろう。そよぐ木々の葉にまぎれるように、僕も淡く微笑み返す。
それからお礼のつもりなのかは分からないが、会話の流れで四ノ宮さんはちょっとした身の上話をしてくれた。
ソワレで働いていたのは単純に時給が良かったのと、制服がどれも素敵だったかららしく――稼いだお金のほとんどは、趣味のコスプレに費やしているらしい。
あまりその分野には明るくないが、なんとなくお金のかかる趣味であろう事は予想していた。衣装やウィッグ、メイクに小物など、素人が考えても手間のかかりそうなものが目白押しだ。
しかし最近では私服のような衣装に身を包んだキャラクターも多いそうで、意外にも常識的なコストパフォーマンスで楽しめる――という点を、早口気味になりながら力説してくれた。
風向きが変わったのは、四ノ宮さんがひとしきり語り終えた頃だった。
「ところで……あの女の子とはどういう関係? うちの学校の子じゃない、よね」
話の主導権が僕に移る。もしかしたらこのまま会話が終わるのではと思っていたが、やはり見て見ぬふりはできなかったらしい。
内心ではいつ聞かれるのだろうと、僕も薄々予感していた事だ。
「ええと……」
選ばれた言の葉の一枚に、どう答えるべきだろう。
まさかこのタイミングで「恋人です」なんてウケ狙いに走れるほど馬鹿ではない。
知り合いでは少し足りず、友達と言ってしまえば月並みではあるが、今の僕らにとってもっとも距離の近い言葉ではある。
思考が迷路を走り出す。
こういう時、小春さんならどう答えるのだろう――いいや、考えても無駄だ。質問を投げかけられたのは僕なのだから、自分で考えて答えを出さなくちゃいけない。
迷いかけの突き当たり、袋小路のすぐ近くで僕は何かを拾い上げる。
それはまるで、散歩中に見つけた形のいい木の枝のように手に馴染んで――
「……まだ、サボり仲間」
「えっ?」
丸くなった瞳が僕に向く。
「先々週の火曜日、実は午前だけ学校サボってて……そのとき偶然知り合った。最初は変な子だなあって思ったけど、この間は一緒に遊んだりして――」
僕はあえて会話を切り、
「四ノ宮さんはこういうの、言いふらす人?」
小さく笑ってみせると、四ノ宮さんは
「そういうキャラなんだ、久世橋くん……! っふふ。なんか結構、ワルだね」
「あれ、ストレートに悪口……」
「じゃない、じゃない。イメージと違うってだけで、全然ありだと思うよ。あたしは」
ギャップがあるという点でなら、僕は四ノ宮さんには及ばない。
飾り気のない笑顔を照らす木漏れ日のように――自分の気持ちが、少しずつ見え始めていた。
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